「――で、今度は一体どちらから拾ってきたのですか、姫様」

「だから、違うと言っているだろう。妾がきた時には、すでに木の下で寝転がっていたのだ」

「そんな言い訳が通用すると思っているのですか。虫や小動物ならばまだしも、この大きさの生き物が、誰にも気付かれずに城壁の中へ侵入するなどあるわけがないでしょう」

「ならば別の誰かが連れ込んだに違いない。早速探し出さなければ」

「お待ちなさい姫様。なにを逃げようとなさっているのですか?」

「別に、妾は逃げようなどしてはおらぬ。ただ、犯人を見つけ出そうと思ってだな」

「こんな事をする者など、この城にはあなたしかおりませんよ」


 少し離れた所で、二人の姉ちゃんが喧嘩してる。


 責められてる方が、さっき俺に剣を突き付けてきた姉ちゃん。改めて見ると、凄ぇスタイルがいい。胸ドーン、腹キュゥ、尻バーン、みたいな感じ。ズボンなのが悔やまれる。隣の姉ちゃんみたいにスカート履けばいいのに。


 あ、でも丈はもっと短めでお願いします。

 くるぶしじゃなくて、太腿の半分位の長さが俺は好き。


「濡れ衣だアイリーン。妾は誓って、この綿だか何だか分からぬ生き物を城壁の中へ招き入れたりはしておらぬ。本当だ。信じてくれ」

「そう言って先日、生まれたてのオヴィスの子供を飼育舎より攫ってきたのは、一体どこのどなただったでしょうね?」


 超ロングスカートの姉ちゃんに睨まれて、胸ドーンの姉ちゃんは口籠もった。それでも「やっておらぬものはやっておらぬ」と古めかしい言葉で戦いを続ける。さーせんっす、俺のせいで犯人扱いされちまって。

 でも謝ろうにも、俺の口からは「メェメェ」以外の言葉は出てこない。

 しかも声を発した瞬間、超ロングスカートの姉ちゃんが凄ぇ勢いで睨んできた。黙ってろと言わんばかりに掌を俺にかざす。


 途端、俺の足を縛る水の縄が、締め付けを強くした。


 これ、多分魔法的なあれなんだと思う。よく分かんないけど、あの姉ちゃんが手を動かしたら、そこの池の水がシュルシュルーって俺の前と後ろの足に巻き付いてきたし。


 いやぁ、しかし本当変な感じ。

 だって自分の手がいきなり足になったんだよ? しかも蹄付き。腕毛まで天然パーマになっちゃうしさ。クルクルは頭だけでいいっつーの。


「まぁまぁー。ミルギレッド様もアイリーン様も、少しは落ち着いて下さいよー」


 あ、姉ちゃん達の喧嘩が止まった。


 視線を水の縄から持ち上げれば、姉ちゃん達の間に、姉ちゃんなのか兄ちゃんなのかよく分かんない人が立っていた。三つ編みにした髪を肩に流して、ニコニコと笑ってる。


「どなたが連れてきたにせよ、見つけたからにはどうにかしなければいけませんってー。ほら、使用人達も不安がっていますしー、ここは一つ、対応を先に考えた方がよろしいのではー? 原因はそれからでも遅くはないでしょうー」

「おぉ、良い事を言うではないかシム。そうだ、その通りだぞアイリーン。ここでやったやらないを論ずるよりも、もっと時間を有効的に使おうではないか」

「……まぁ、そうですね」


 超ロングスカートの姉ちゃんは咳払いをして、木の下に転がる俺を見た。


「では、あちらの生き物をどう処理致しましょうか。見たところ、闘争心はほぼないようですから軍用には向かないかと」

「見た目からして工業用ですかねー? 毛も妙に長いですしー、どこかの国で特産品を作る為に飼育されている、という線もあり得ると思いますがー。最近、そのような献上品はありましたっけー?」

「いや。妾の覚えている限りでは、生き物などなかった筈だが」

「後は、食用でしょうか。丸々としていて肉も柔らかそうですし。一度厨の方に確認して参りましょうか?」

『い、いやいや。食用は勘弁して下さいよ。俺なんか食べても全然美味くないっすから。一見するとただの羊っすけど、中身はあんた達と同じ人間っすから。共食いっすよ共食い。ね、気分悪いでしょ? だから止めましょうよ。ね、ね』


 と、必死でメェメェ鳴いてたら、口ごと全身を水の縄で雁字搦めにされた。更に仰向けにされて、豚の丸焼みたいな体勢にされる。止めて。美味そうに見えちゃうから止めて。


 しかし、どれだけ俺が訴えても、超ロングスカートの姉ちゃんは耳を貸してくれない。腹キュゥの姉ちゃんと、姉ちゃんだか兄ちゃんだかよく分かんない人の方だけを見て、俺の話を続けてる。聞いてる限りだと、食用の線が濃厚らしい。


 ……俺、このまま食われちゃうのかなぁ。

 そんな思いが頭を過ぎった途端、涙が込み上げてきた。


 俺、まだ十六年しか生きてないのに。

 高校生になって、ちょっと大人に近付いただけの子供なのに。

 近所を歩けば「芽ちゃん芽ちゃん」ってじいちゃんばあちゃん達に声掛けられて、家で生った柿とか蜜柑とかをお裾分けされながら育ってきた、ただの田舎者なのに。


 いくら暢気と謳われる俺でも、流石にこれは辛い。


 でもこんな時でも、羊って泣けるんだーとか思っちゃう自分は、やっぱり暢気なんだと思う。


 鼻を啜って、俺は視線を上へ向けた。

 上には、葉っぱの生い茂った枝が何本も伸びていた。花の蕾みたいなものが沢山付いてるけど、そこからは花じゃなくて黒い綿がモフっと咲いている。

 葉っぱの隙間から木漏れ日が差し込み、いい感じに俺へ降り注いだ。昼寝するには最高な場所だと思う。


 いっそこのまま昼寝してやろうか。


 いや、血迷った事言ってるのは分かってんだよ?

 でもさ、本当に食われちゃうなら、せめて人生の最後を飾るに相応しい何かをしたいわけ。で、今の俺に出来る事って何なんだって考えた時、考える事と瞬きする事位しかないのさ。その中で人生の最後を飾るに相応しい何かって、一体なんだって話じゃない?


 その結果。いっそ寝るっていうのも、逆に斬新なのではないかと思ったのですよ。

 ほら、人生最後にやった事が昼寝だなんて、凄ぇ俺らしいじゃん。「いや、暢気過ぎやしねぇか」ってゆー友達の声が聞こえなくはないけど、まぁ、そこは無視って事で。


 そうと決まれば。


 俺は早速目を瞑った。昔から寝るのは得意なんだ。いつでもどこでも、とまではいかないけど、自分的に気持ちいい場所だったらあっという間に寝こけられる。特に日当たりのいい縁側とか干したばっかの布団は最高。日当たりのいい縁側に干された布団は更に最高。寧ろ最強。母ちゃんと戦ってでもその場から退きたくない。

 いや、結局は力付くで退かされるんだけど。


 布団に想いを馳せながら、俺の意識は急速に沈んでいく。モフモフっとした自前の毛が太陽の熱を吸い取り、俺を包み込んだ。心地良い感覚に、自ずと溜め息が漏れる。


 人生最後の昼寝が、今、始まろうとしていた。


 ところが、それを阻止する何かが、俺の腹に乗った。

 なんだ? と思い目を開ける。


 尻バーンな姉ちゃんが、俺の腹に掌を当てていた。


「……ふむ」


 指を立てて二・三揉むと、今度は胸の方に手が滑ってくる。くすぐったさと恥ずかしさが込み上げ、俺は身を捩った。けど、水の縄で縛られてるから殆んど動いてない。

 そうこうしている間にも、姉ちゃんは俺の体をいいように弄んだ。


『ちょ、止めて下さいって。尻はマズいっすよ。セクハラっすセクハラ。あ、脇腹もちょっと。マジ勘弁して下さいって。くすぐったい以外のものも込み上げてくるんで、本当、ちょ、聞いてます?』


 羊語で必死に説得を試みたけど、そもそも口塞がれてるし、全然伝わってないご様子。

 姉ちゃんは俺の全身を隈なく撫で、時折指の間に黒い毛を挟んでは、ゆっくりと引き伸ばしていった。皮膚が引っ張られて痛気持ちいいっす。

 喉の奥から変な声が止まらない。体の力もどんどん抜けていき、遂には地面に我が身を預けた。姉ちゃんの思うがままに、毛を蹂躙されていく。


「……よし」


 ふと、俺を嬲っていた手が消えた。

 息も絶え絶えに瞼を開ければ、姉ちゃんが立ち上がり、俺にバーンな尻を向けた。


「こ奴を飼うぞ」


 腰に手を当て、偉そうにふんぞり返る。


「……駄目です」

「駄目ではない。飼う」

「どなたが世話をするのですか?」

「妾だ」

「出来るわけがないでしょう。姫様には、姫様のお仕事があるのですから」

「良いではないか。ほれ、見よ。この通り大人しいだろう? 触っても嫌がる事もなく、逆に心地良さそうにしているぞ。きっと妾の事が好きなのだ。離れ離れにさせるのも可哀そうだと思わないか?」

「思いませんね。大体、何なのですかこの生き物は。このような得体の知れない者を、姫様のお傍に置いておく事など出来ません」

「ならば、おばばにでも見て貰うといい。おばばはモファットの賢者と謳われているだけあって、何でも知っているからな。きっとこ奴の正体も分かるに違いない」

「おばば様を、そのようなくだらない用事で呼び付けるわけには」

「おい、シム。こっちにきてこ奴を撫でてみろ。綿のように心地良いぞ」


 ドーンバーンな姉ちゃんは、超ロングスカートの姉ちゃんを遮って、姉ちゃんだか兄ちゃんだかよく分かんない人を呼び付けた。

 よく分かんない人は、ニコニコしながら俺の傍までやってくると、手の甲で喉の辺りを触っていく。


「わ、本当だー。凄く気持ちいいですねー」

「そうだろう? 少々汚れているにも関わらずこの手触り。洗えばさぞ素晴らしい柔らかさとなるに違いない」

「あー、いいですねー。それで一緒に日向ぼっことかしたら最高ですねー」

「流石はシム。よく分かっているではないか」


 姉ちゃんと姉ちゃんだか兄ちゃんだかよく分かんない人は、俺の毛を撫でながら何やら盛り上がっている。


 あの、それはいいんすけど、二人の間から見える超ロングスカートの姉ちゃんが凄ぇ怖い顔でこっち見てますよ。いいんすか。


「ところでミルギレッド様ー。この子のお名前は何になさるおつもりですかー?」

「そうだな。何にしようか」

「……姫様。私は、反対です」


 低い声が、近付いてきた。


「いいですか姫様。あなたは、このモファット国の王女なのですよ。その身は常に狙われており、また常に細心の注意を払わなければならぬお立場なのです。勿論、お傍に仕える私共も、姫様の為に常に警戒を怠るわけにはいかないのです」

「大丈夫だアイリーン。妾は強い。そんじょそこらの連中に負けるわけがないだろう」

「確かに姫様はお強いです。それは認めましょう。ですが、世の中に絶対はございません。どんなに些細な事でも、そこから綻びが生まれる可能性があるのです」

「大丈夫だ。仮に何かあったとしても、妾にはお前達が付いている。決してやられる事などないさ」


 そう言って姉ちゃんは笑う。


「それに、こんな生き物一匹飼ったところで何が変わるというのだ。我らの絆に太刀打ちなど出来るものか。そうだろう?」

「姫様……」

「ちゃんと世話はする。躾だってするぞ。お前には迷惑を掛けない。本当だ。信じてくれ」

「…………はぁ」


 超ロングスカートの姉ちゃんは、自分のデコを手で覆った。


「……きちんと躾をするのですよ」

「あぁ、勿論だ」

「途中で投げ出してはいけませんよ」

「任せろ。妾は最後までやってみせるさ」

「この生き物を理由に、お仕事を疎かにしないで下さいね」

「さて、では早速名前を付けようか」


 胸ドーンの姉ちゃんは、あからさまに顔を背けて俺を見下ろす。


「……姫様」

「んー、何が良いだろう。ダレン? ヒューゴ?」

「聞いていますか? お仕事は、きちんとなさって下さいね?」

「難しいなぁ。うーん、アンソニー、は少し違うし、バーナード、は似合わないし」

「姫様? ミルギレッド様?」

「はぁー、困った困ったー」

「…………レッディ」


 不意に、尻バーンな姉ちゃんの肩に、掌が乗る。

 そして、俺の耳まで届く音で、思いっ切り握り込まれた。


「いっ、ア、アイリーン、アイリーンッ、ちょ、イ、イリーナッ! 少し、ち、力を抜いて」

「あら、ごめんなさい。あなたがあんまり見当違いな事ばかり言うものだから、てっきり聞こえていないのかと思ったわ」


 超ロングスカートの姉ちゃんは、それはそれはニッコリと微笑み、更に力を加えた。指が超めり込んでる。

 掴まれてる姉ちゃんは、髪と胸を上下左右に振り乱して悶えた。


「で、レッディ。あなたはこの生き物を飼うに当たって、勿論執務はきちぃんとこなしてくれるのよね? いつもみたいに、私やシムを困らせたりはしないのよね?」

「も、勿論だイリーナッ。愛しの幼馴染を困らせるなどっ、そんな、妾がする筈ないではないかっ」

「そうよねぇ、そうだと思った。それでこそ私の愛する幼馴染だわ。あぁ、安心した」


 笑みを更に深め、姉ちゃんは手を離した。

 途端、掴まれていた姉ちゃんが俺目掛け倒れてくる。腹に顔を埋め、何やらフゴフゴ言っている。息がくすぐったいです。


「……む」


 俺が身を捩ってくすぐったさと戦っていると、不意に姉ちゃんが顔を上げた。木の上を見上げ、一つ頷く。


「よし、決めたぞ」

「えー、何をですかー?」

「こ奴の名だ」


 姉ちゃんが俺の腹を二度叩く。


「こ奴は、メータとする」


 メータ? 芽太っすか?


「こ奴を見つけたのはこのメータの木の下だし、それにこの毛がメータの綿花に似ておる。まるでメータの化身のような姿だ」

「成る程ー。だからメータなんですねー」


 姉ちゃんだか兄ちゃんだかよく分かんない人は、頻りに何度も頷いてみせる。


「いいか。お前は今日から、メータだ。メータ。分かるか?」


 分かるっすよ姉ちゃん。なんせ俺、元は人間っすから。それに本名が日辻芽太なんで、ほぼほぼ同じ名前でありがたいっす。もし別の名前だったら、しばらくは反応しないと思うんすよね。俺、あんまり器用な方じゃないんで。


「どうだメータ。気に入ったか? ん?」


 勿論っす、という気持ちを込めて、一鳴きしてみた。ついでに尻尾も動かしてみたら、姉ちゃんは歯を剥き出しにして笑った。


「よし。じゃ、早速」


 俺の体に腕を回す姉ちゃん。熱烈なハグっすか、とか思っていたら、


「よっと」


 羊一匹を、軽々と持ち上げた。肩に担いで、歩き出す。


「洗うかなぁ、っとぉ」


 そして近くにあった池へ、俺を投げ入れた。

 羊の泳ぎ方なんて知らない俺は、あっという間に沈んでいく。


 水を吸った毛の重みと動き辛さに、本日二度目となる人生最後の昼寝が、今、幕を開けた。

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