七話 看病って、結構大変

 昼前に華子が目を覚ます。


「もうすぐ十二時ね。私、お粥が食べたいわ」

「うん」

「うん? 快人が作るのよ。看病しにきたんでしょ?」

「あ、そうか……。お粥? お粥か……」


 そういや、作ったことないな。家事は全面的に母に任せっきりだ。

 兄貴はたまに作ってるけど……。


「……まさか、お粥程度も作れないとか?」

「い、いや、ググれば大丈夫だから」

「すっごい不安。火事だけは勘弁してよ?」


 というわけでお粥を作ることに。さすがに人生初料理、ってわけじゃないけど。

 まずググってみたけど、シンプルすぎるのかメンドくさそうなのしか載ってない。

 まぁ、適当に参考にしながら作っていくか。

 ……やればできるもんだな。うまくやってのけた自分をほめてあげたい。

 そして、俺は土鍋をお盆に載せて華子の部屋に戻った。




 俺が部屋に入ると同時に華子が罵倒してくる。


「何時間待たせる気?」

「え? そんなに経ってた?」


 なんだ、まだ一時間も経ってないじゃん。


「もういいから、早く食べさせて」


 と、華子が自分の太ももをポンポンと叩く。

 指示どおり、固めの太ももの上にお盆を置いた。

 華子がマスクを外す。鼻の頭が赤くなっている。


「はい、あーん」


 華子が口を大きく開く。


「え、なに?」

「なに? じゃなく。快人が食べさせるのよ?」

「えっ!」


 食べさせていいの?

 極上の……好きな女に、あーん、とかしてあげるの?

 それって……すげぇ興奮するんだけど。


「いいんだね? ホントにいいんだね?」

「……なんでそんなに鼻息荒いの? ほら、あーん」


 無防備に俺に向かって口を開ける極上の女。はぁ~、極上の女は歯まできれい……。

 では失礼して……。


「ちょっとちょっと、ちゃんとふうふうしてよ。やけどするでしょ?」

「そうか、そうですね。では、お言葉に甘えまして……ふうふう」


 そして今度こそレンゲを華子の口の中へ。

 俺の差し込んだ長くて固いモノを、華子がうれしそうにぱくりとくえる。

 はわわ……俺の息がかかったお粥を極上の女が食べてるぅぅぅ。これって、ディープキスレベルじゃない?

 一口目を飲み込んですぐ華子が顔をしかめる。


「塩からっ!」

「あ、あれ?」

「あんた、これ味見してないでしょ?」

「……そう……かも?」


 華子が見せつけるようにため息をつく。

 俺はひたすら焦ってしまう。失敗? 失敗ですか?


「つ、作り直そうか?」

「いいわよ。このまま最後まで頂く。出されたものは全部食べる主義だしね」


 そしてまたあーんと口を開ける。華子は熱い、からいと文句を垂れ続けた。


「そもそも量が多すぎるって。病気の女の子が食べる量くらい見当付けなさいよ」


 ……そんなの童貞にはムリですよ。

 とにもかくにも華子は俺が作ったおかゆを全部平らげた。

 で、俺の昼食なんだけど。


「俺のメシはどうしよう?」

「いちいち私の指示を仰がないでよ。冷蔵庫にあるの、適当に使って作ればいいわ」

「……料理はメンドくさいよ」


 お粥だけでかなり疲れた。


「あ、そうだ、レトルトのカレーがあるわ。温めるだけよ」

「カレーかぁ……」


 からいものは昨日の華子謹製の弁当で懲りている。

 仕方ない。


「コンビニで弁当でも買ってくるよ」

「ちょっと待ちなさいよ! それじゃあ、私が寝られないでしょ? 快人を呼んだ意味がないわ」

「ん?」


 華子の態度がなんかヘンだ。焦りすぎというか……。

 あ、分かった。


「前にゲンさんが、華子は一人じゃ寝られないって言ってたね。誰かに手を握っててもらわないと寝られないんだ?」


 途端に華子が耳まで赤くなる。


「ち、違うわよ。同じ家に誰かいないとダメなだけだから」

「それでも大概だよ。ホントは寂しがり屋なんだ?」

「う、うるさいわねぇ……」


 うめきながも否定はしない。

 うんうん、意外にかわいいとこあるよねぇ。

 今の華子をいつまでも眺めていたいところだけど……。


「やっぱり、腹減って仕方ないんだけど。ちょっと間だし、別にいいでしょ?」

「ダメ、あんたはレトルトのカレーを食べるのよ」


 そして俺はリビングでカレーを食べる。

 華子の部屋に戻ると華子はもう寝ていた。

 無防備な寝顔。見ているだけで胸が温かくなる。

 俺はそっと顔を近付けて、その桃色をした唇に……。

 なんてできるわけもなく。

 ヘタレの童貞ですからね。




 華子が夕方になって身体を起こす。


「気持ち悪い……」

「吐きそう? 吐きそうなの?」


 バケツ? 洗面器?


「……違う。寝汗がすごいことになってる」


 身体のあちこちを触っては不快そうに目元を歪めた。そして俺に命令する。


「洗面器にぬるま湯とタオルを入れて持ってきなさい?」

「ぬるま湯?」

「身体を拭くのよ。気持ち悪くって耐えられないもの」


 なるほど、鈍感な童貞たる俺なら気にならないが、極上の女ともなると違うらしい。命令どおり身体を拭く準備を整える。


「上出来よ。じゃあ、快人は出ていくように」

「でも、俺は看病しにきたんだよ? 身体をちゃんときれいにして差し上げるのも看病だと思うんだ」


 一分の隙もない完璧な理論武装だった。

 俺はあくまで看病人として病人の身体をきれいにきれいにしなくてはならない。


「四百パーセント下心よね? いいから出ていきなさい」


 そして俺は追い出された。仕方なしにリビングで待つ。

 ……あの扉の向こうには、全裸の華子が。

 ちょっと様子を見るくらいなら? きっと困ってるはずだから?

 いやいやいや、俺は童貞であって痴漢ではない。

 抑えろ……抑えるんだっ!


「快人! 快人!」

「え、ああ、なに?」

「入りなさい?」


 もう終わったのか。残念だけど、理性の勝利を喜びたい。

 扉を開けたら背中を丸出しにした華子がいた!


「ゴメンゴメンゴメン! 見てないから!」


 慌てて回れ右をする童貞。


「見たからその反応なんでしょ? いいからこっち向きなさい」


 いいの? 見ちゃっていいの?

 本人の仰せなので華子の方を向く。

 華子はベッドの上で上体だけ起こしていた。前はタオルケットで隠している。

 しかし、背中には、なにもまとっていない!

 はわわわ……純白の肌……。やっぱ、この子とんでもなく極上の女だよ……。


「背中がちゃんと拭けないのよ。快人、拭いてくれる?」

「ええっ!」


 大声を出す俺。

 散歩してたら金塊を見つけてしまったみたいな衝撃だ。

 いいの? そんなエロスなことしていいの?


「そういう過剰反応はいいから。そこのタオルで拭いちゃってよ。もう気持ち悪くって……」

「は、はいっ! 浜口快人! 粉骨砕身、任務を遂行いたします!」


 俺は洗面器の中のタオルを固く絞る。

 ホント、すっごいきめ細やかな肌……。同じ人類の肌とは思えないね。


「あっ……ちょっと……」


 すべっすべ……。

 ほんのり温かく感じるのは風邪のせい?


「ねぇ……ま、まって……だめ……んっ!」


 背骨だってまっすぐ。ほら、すーっと……。


「ひゃあぁんっ!」


 いきなり華子が色っぽい声を上げた。


「ど、ど、どうしたの、華子?」


 華子は自分の膝に顔をうずめている。


「ぐ、具合が悪いの?」


 裸になったから風邪が酷くなった?

 華子がぐるりと顔を俺に向けてくる。


「あんたねぇ……病人になんてことするのよ!」

「え?」

「え? じゃなく! 今、直に触ってたでしょ?」

「あっ! ち、違うって、無意識だから!」


 魔性の柔肌に吸い込まれるように触れていた。


「ウソつきなさい! 思いっきり愛撫してきたじゃないの!」

「愛撫! いやいや、そんなつもりじゃないよ」


 いかに童貞とはいえ病人を性的に責め立てるなんてしないって。

 ……そもそも、背中なんて触って気持ちいいものなの?


「うう……風邪のせいで怒りが持続しないわ。……とにかく今は背中を拭きなさい? タオルでね!」

「は、はい……」


 そして背中を拭いていく。

 ……さすがにタオル越しでは憧れの肌の感触は分からない。


「こんなもの?」

「……そうね。じゃあ、出ていきなさい?」


 あれ? お礼なし?

 とにかくまた追い出される。




 しばらくしてまた呼ばれた。華子はもう服を着ている。


「じゃあ、洗面器を持っていって。タオルはお湯ごと洗濯機に。洗面器はすすいでから元の場所に」

「はいです」


 そしてぬるま湯とタオルの入った洗面器を持って部屋を出る。

 歩きながらふと気付いた。

 ……このタオルで華子の身体を拭いたんだよな? そしてこのお湯は何度もタオルが浸されている。今も浸ってるし。

 俺はいつの間にか立ち止まっていた。

 ……これ、飲んじゃっていい?

 いやいやいや! それじゃあ、ヘンタイだろ?

 俺は童貞だけど、ヘンタイではない! 一気飲みなんてヘンタイの所業だ!

 ……でも、ちょっと口にするくらいなら、童貞の甘酸っぱい行動の範囲に収まるんでは?

 い、いや……華子は病人なんだ。そして俺を頼ってくれてる。

 その信頼を裏切って、エキスで喉を潤すのは間違ってる!

 俺は再び歩き始めた。

 ついに洗面所にたどり着く。洗濯機もここにあった。

 最後の惑乱が怒濤どとうの勢いで俺に襲いかかる。

 やるなら……やるなら、今なんだぞ、快人!

 ダメだ……捨てろ、捨てちまえ!


「さらば、華子エキス!」


 俺は叫び声とともに洗面器の中身を洗濯機に叩き込んだ。そしてすぐにフタを閉める。

 ……これでいい……これでいいんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る