十二話 ついに、伝える

 ゲンさんは温かく俺を迎え入れてくれる。

 華子はリビングにいた。まだ制服のまま。

 テーブルにヒジを置き、あごを手で支えている。

 目だけ俺に向けた。

 懐かしい、童貞を殺す目だ。

 

「なにあの人? ベラベラベラベラベラベラベラベラ。ご近所の斉藤さんちがカカア天下なんて知ったこっちゃないわよ」

「大変申し訳ないです」


 縮こまる俺。なんの話してるんだよ、母さん。

 華子が立ち上がる。

 俺の前を通り過ぎ、自分の部屋の前に立った。


「こっち来なさい?」

「……い、いいの?」


 華子の部屋? 極上の女の部屋?

 不謹慎にも興奮が高まる。


「ゲンちゃんは、絶対に入ってこないでね」

「はいはい、ごゆっくり」


 肩をすくめるゲンさん。

 そして俺は、華子の部屋に入っていった。




 俺は筋金入りの童貞だ。

 同年代の女子の部屋に入るなんて初めてのこと。

 なにこのいい匂い。腰が抜けそうなんだけど。

 先に部屋へ入った華子が振り返る。


「今は私が使ってるけど、ホントはゲンちゃんの恋人の部屋なの」


 ああ、そういうことをゲンさんも言ってたな。

 モノトーンを基調にした大人の部屋というかんじ。壁に自転車が立てかけてあった。

 華子がドライアイスみたいに冷たい視線のままで言う。


「だからあんまり汚さないように」

「あ、うん……気を付けます……」


 人を子供みたいに扱う。


「あなた、私に童貞を捧げたいって言ってたわよね?」


 華子の言葉には抑揚がなかった。


「う、うん……まぁ……そうだね」

「いいわよ、セックスさせてあげる。今すぐね」


 あいかわらず平坦な調子で言う。


「え? ええっ!」


 童貞を捧げさせてくれるの? 今すぐ?


「な、なんでそういう話になるの?」


 俺は聞かずにはいられない。あまりの急展開に脳の処理が追い付かなかった。

 華子が感情の込められていない声で言う。


「今ここでセックス。それで終わり。さようなら。二度と私に付きまとわないで。そういうこと」


 華子が制服のシャツのボタンを外し始める。

 俺の顔をじっと見つめたまま。


「な、な、なにしてるの、華子?」

「見て分からない? 服を脱いでるの」


 華子はひとつひとつボタンを外していく。


「あの……なんかおかしくない?」


 まだ事態を把握しきれてないが、華子がしてることはおかしい気がした。

 華子が手を止める。


「あなた、私とセックスしたいんでしょ?」

「ま、まぁ……でも……」

「コンドームはちゃんとあるから。私、いつも持ち歩いてるの」

「そっか、よかった。……いや、そうじゃなくて」

「私は絶対に濡れないだろうけど、ローションがあるから問題ないし」

「濡れない? 濡れないの?」


 え? 女の人って挿れたらすぐにびしょ濡れになるんでしょ?

 ……って、問題はそこだっけ?

 混乱する俺に向かって華子が言う。


「あなた相手にこの私が濡れるなんて絶対にあり得ない。もういいでしょ? 手早く済ませましょう」


 またボタンを外し始める。

 本気でセックスする気なの?

 いや、おかしいって。


「や、やめなよ……華子……」

「怖じ気づいたの? 散々下品なこと口走っておいて」


 華子がシャツを脱ぎ捨てる。

 ピンク色のキャミを下に着ていた。


「でも……愛のないセックスなんて……」

「愛?」


 華子がバカにしたように表情を歪ませる。

 そしてキャミを脱ぎ捨てた。

 花柄のレースをあしらった純白のブラが露わになる。 

 華子が続ける。


「今までのあなたの言動の、どこに愛があった? 下心だけだったでしょ?」

「そう……だったかも……最初は?」

「今は違うって言うの?」


 華子が下を向いて白いソックスを脱ぐ。

 脱ぎ終わるとすぐにまた俺を見る。

 冷たい……冷たい視線。感情なんてどこにも感じられない。


「今は……今は……」


 俺は次の言葉を言えない。

 言えるだけの確信を持てなかった。


「今も変わらず下心だけ。私とセックスすることしか考えてないのよ」


 華子がスカートとショートパンツを下ろす。

 その下に穿いている純白のものはレースで飾られていた。

 下着だけの華子。

 透き通るような白い肌が眩しい。

 憧れていた行為が間近に迫っている。

 でも俺は……。

 

「やめようよ、華子……。服を着てよ……」

「セックスしたいんでしょ? 私と……いいえ、極上の女と」

「違う……これは違うよ……」


 華子が俺を指差す。

 その指を少し下に向ける。

 指が差す先。

 俺は……みっともなく勃起してた。


「身体は正直って奴かしら?」


 口元を歪める。

 華子はそんな顔をしても美しい。

 ……俺に裏切られたと思った時の華子。

 あの時の華子は美貌を保てなかった。

 それほどいかったのだ。

 華子にあんな顔をさせたのは……俺だ。


「ゴメン、華子……許してよ……」

「今さら尻込みしてどうするの? 身体の準備も……できてるでしょ?」


 華子がすらりとした右足を前に出す。

 その親指と人差し指で、ズボン越しに俺のものを挟み込んだ。

 きゅっとした締め付けに思わず身体を震わせてしまう。


「ふふ……どうする? 最初はこのまま出しちゃう?」


 妖艶な視線を向けてくる。

 俺は悔しかった。

 こんな時でも節操なく勃起する童貞であることが悔しかった。

 でも、どうにもできない。

 華子が親指の腹で俺のものを撫でる。上から下へ、下から上へ。

 ……今ここで放ってはダメだ。

 煩悩まみれの童貞たる俺でもそれは分かった。

 ……でも、このまま愛撫されていたい。

 極上の女の足技。どうしようもなく興奮してしまう。


「さぁ、思いっきり出してしまいなさい? 汚くて臭い奴を吐き出すのよ」


 華子が足の指全部を使って包み込むように摩擦してきた。

 マズい……マズい……。

 我慢の限界がすぐそこに迫っていた。

 我慢? なんで我慢なんてするんだ?

 俺はしょせん童貞。性欲のおもむくまま美少女をオカズにする男。

 今さら体裁を取り繕うなんてヘンだろ?

 そうだよ……極上の女の足技で昇天するなんて、これから先何年もオカズにできるラッキーイベントだろ?

 でも……ダメだよ、華子。

 俺は一歩二歩、後ろに下がった。

 かつて味わったことのない快感が遠ざかる。

 でも俺に後悔はない。


「華子はこんなことしちゃダメだ。ダメなんだ」


 華子は黙ったまま俺を見つめていた。その視線はさっきほど冷たくないような気がする。

 いつの間にか俺の方へ伸ばした右足を戻していた。

 俺は静かに華子に伝える。


「自分から服を脱いで、自分から男の一物を愛撫する。基本受け身の童貞からしたら、大変ありがたいよ。正直助かる。……でもね」


 俺は強い視線で華子を見た。

 向こうも視線を外さない。

 力を込めて俺は言う。


「俺の知ってる華子は、こんなことしない」

「私を知ってるみたいに言わないで」


 強く拒絶された。

 俺はうなだれてしまう。

 華子が言葉をぶつけてくる。


「極上の女が自分から服を脱いでやって、足で汚いブツを弄ってやったのに、そんなことするなって命令するんだ? 童貞のくせに偉そうに」


 俺はどうにか顔を上げた。

 真っ直ぐ相手を見てから言う。


「命令なんかじゃないよ。これは願いなんだ。こんなことはしないでほしいって、俺は願ってるんだ」


 それが俺の正直な想いだった。

 どうにか届いてほしい。

 しかし華子は鼻で笑って俺をバカにする。


「極上の女が性に積極的なのが、なんだかんだでイヤなんだ? 清く無知でいてほしい? いかにも童貞くさい願望よね」

「……極上の女は関係ないよ。華子が……華子が、こんなことをするのが哀しいんだよ」

「哀しい? なによそれ」


 華子が不快そうに目を細めた。

 俺は言う。


「捨て鉢にセックスしようとする華子を見ると哀しくなる。そりゃそうだよ」


 俺は華子を力強く見る。

 華子の目に戸惑いが浮かぶ。

 それでもお互い見つめ合ったまま。

 俺は、今ここで言うべき言葉を見つけていた。

 精一杯の勇気を振り絞って言う。


「俺は華子が好きなんだ。好きな人とは、ちゃんと愛し合いたい」


 伝え終わった数秒後、華子に異変が起こる。

 顔が――いや、露わになった肌全部が朱に染まった。

 そして俺に背を向けるとうずくまる。

 顔だけこっちに向けてきた。やっぱり真っ赤だ。


「むこう向きなさい!」

「え、でも華子、様子が……」


 心配になって俺は一歩踏み出す。

 すぐに華子が大きな声を上げた。


「むこう向けって言ってるでしょ! バカ! ドスケベ! 見ないで!」

「あ、うん……え?」


 よく分からないけど回れ右をする。

 ごそごそと物音。

 しばらくぼさっとしてると後ろから声をかけられる。


「もういいわよ」


 振り返ると短パンにTシャツの華子がベッドに腰かけていた。

 ほっぺたを膨らませてふて腐れている。

 かわいい、と俺は思った。

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