神在華子は童貞を目で殺す

いなばー

一章

一話 極上の女

 極上の女に童貞を捧げたい。

 男なら誰もがそう願うことだろう。

 しかしたいていの男は適当に妥協して、そこそこの女を相手に童貞を捨てる。

 実に不幸な結末だと言えるが、そうなってしまうのも仕方がない。

 俺のように極上の女と出会える男なんて、ほんの一握りなのだから――




 ここは城山高校一年C組の教室。

 昼休みのにぎわいも俺の耳には入ってこない。

 今、俺の目の前に極上の女がいた。

 両手を腰に当て、触れたら指が切れそうな鋭い目で俺を見下ろしている。

 神在華子かみありはなこは端的に言った。


浜口快人はまぐちかいと、私と付き合いなさい?」

「付き合え? どこまで?」


 相手の言うことが理解できない俺。

 そもそも、神在華子から話しかけられるという事態を脳が受け容れてくれない。

 自分のイスに座ったまま、机の向こうで仁王立ちをしている彼女をただ見上げる。

 陶器のような純白で滑らかな肌。

 鋭い切れ長の目は大きくて印象的。

 漆黒の瞳には強い光を感じる。

 すっと伸びた鼻に小さめの口。唇は薄い。

 今の季節はブレザーを脱いだ夏服だ。

 純白の半袖シャツに紺のスカート。えんじの紐リボン

 地味と言っていい制服なのに彼女が着ると艶やかに見える。

 女子にしてはやや背が高い方か。

 下手に触れたら折れそうな細身の身体。

 露わな腕は細いながらも骨ばることなく。

 短めのスカートから伸びるすらりとした足は健康的に肉付いている。

 そして、自然なウエーブのかかった腰に届く長さの黒髪を後ろに垂らしていた。

 神在華子は、ひと目見ただけで分かる極上の女だ。

 その極上の女が整った顔を歪めて舌打ちをした。俺のとぼけた返答がお気に召さなかったらしい。

 いっそう厳しい視線を俺に向けて言葉を発す。


「交際よ。私と交際しなさいと命令してるの」


 あ、命令なんだ。

 でもそれはただの照れ隠しに違いない。言っている内容は、付き合って下さい、という告白なのだから。

 神在華子が俺に告白?

 城山高校で一番の美人が?

 童貞同盟の首魁たる俺に?

 

「マジで?」


 間抜けな声で言ってしまう。

 見てられないくらいの不細工ではないが、俺はあくまで平凡な童貞なのだ。

 俺の後ろにいた童貞同盟の面々がざわめきだす。


「神在先輩が? 浜口に告白?」

「裏切りだ、これは重大な裏切り行為ですぞ?」

「浜口でいいなら俺でもいいはずだ」

「ここは順番に……」


 神在華子がそちらへ目をやる。


「黙れ、童貞ども」


 見られただけで殺されそうな視線。


「はいぃぃぃっ!」


 童貞どもが返事とも悲鳴ともつかない声を上げる。

 さすが、神在華子。『童貞を目で殺す神在』の二つ名を持つだけはある。

 冷血な彼女ににらまれるのは童貞にとってこの上もないご褒美。たいていの童貞は勃起を免れない。中には触れることなく発射する者さえ。

 当然、俺もさっきから全開で勃起している。

 神在華子がまた俺を見る。


「で、どうなの、浜口快人。ありがたく私と付き合うわよね?」

「は、はい、もちろん喜んで! この際、神在先輩でいいです!」


 当然、俺に異存なんてどこにもない。神在華子は俺の童貞を捧げるに値する極上の女に違いないのだ。

 その極上の女が向こうから交際を求めてきた?

 こういう日が来るのをずっと待っていたが、本当にやってくるなんて。安易に捨てなくてよかった、童貞。

 しかし俺の返事を聞いて神在華子は眉間にしわを寄せた。

 いっそう厳しくなった視線に、俺の一物は痛いくらい膨張する。


「ちょっと待って。『この際』? 『でいいです』? 何その、私で妥協します的言い方?」

「いえいえ、妥協なんてとんでもない。神在先輩は三番目ですけど、十分俺の基準はクリアしてますから」

「ちょっと待ってちょっと待って。三番目って何? 私、去年の城山高校美少女ランキングでダントツ一位なんだけど?」

「学園祭の裏で決められた奴ですよね? それは知ってます。でも、俺の中では三番目なんですよ」


 俺は正直に伝えた。極上の女に関する話でウソをつくなんて考えられない。

 神在華子の視線はどんどん厳しくなる。

 やべ、トイレ……。


「じゃあ、一番目と二番目は誰?」

「……聞いたら傷付きますよ?」

「いいから!」


 俺は息を吐く。女性を、ましてや極上の女を傷付けるのは本意ではないのだが……。


「一番は安藤成美あんどうなるみ先輩です」

「三年の生徒会長ね。美人な上に、誰にでも別け隔てなく優しいと評判だわ。美少女ランキングは三位だけど」

「二番は三枝真琴さえぐさまこと先輩です。」

「二年B組の女子バスケ部のエースね。ボーイッシュで親しみやすい人柄だから男女ともにファンが多いわ。美少女ランキングは十二位だけど」

「そして三番目が二年A組、神在華子先輩なんですよ」


 そこまで聞いて、神在華子は腕組みをして首を傾げた。

 すぐに目を見開く。そして自分の両胸を手のひらで覆う。


「おっぱいね! あなた、巨乳好きなのね!」


 今までで一番厳しい視線。やべ、ティッシュ……。

 とにかくその通り。

 安藤先輩はFカップ。三枝先輩はEカップだ。

 なお、美少女ランキング八位でGカップという女子もいた。スペック的には三枝先輩を上回る。

 しかし、バスケ部のエース特有の魅力には敵わない。

 激しく動き回るのに合わせて揺れる乳房にはたまらんものがあった。童貞同盟で連れ立って、体育館まで見学をしに行くのは定例行事となっている。

 一方の神在華子は……おかわいそうにAカップ。画竜点睛を欠くという奴だ。

 ゆえに俺の中では三番目に甘んじていた。

 ウソをつきたくない俺は正直に言う。


「まぁ、おっぱいは男のロマンですから」

「サイッテェッ!」


 床にツバを吐く真似をする貧乳。

 俺の後ろでは童貞同盟の面々が見解を述べ合っていた。


「でもやっぱり胸は大きくないとな」

「パイずりができないもんな」

「貧乳じゃ揉みがいがないよ」


 神在華子がギロリと睨み付ける。


「黙れっ! 童貞どもっ!」

「おふぅっ!」


 何人かが悲鳴を上げて教室を飛び出した。間に合うか?

 神在華子は肩で息をしている。涙を浮かべた目で俺を見つめた。


「……この際、おっぱいは妥協しなさい? いいわね?」

「……分かりました。この際、パイずりは諦めます」


 ギリリと神在華子から歯ぎしりの音がする。


「……じゃあ、あなたは私と付き合うってことで」


 屈辱も甘んじて受け容れるつもりのようだ。惚れた弱みという奴か。


「分かりました。お付き合いしましょう」

「放課後、昇降口で待ってなさい。一緒に帰るわよ」


 そう言い残してくるりと背を向けた。とんでもなくいい匂いが俺の鼻まで届く。なんだこれ?

 おっと、このまま女子を傷付けたまま帰すわけにはいかない。

 俺から離れていく神在華子の背に優しく言葉をかける。


「大丈夫です! 貧乳でも先輩は極上の女ですから!」


 ダンッ!

 神在華子は黒板を拳で殴り付けた後、俺には応えずに教室を出ていった。

 照れてるな。

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