第20話
水樹が予想していた通り、人目を避けるように林へと向かったのはディーネであった。誰かに出掛ける所を見られていても、「訓練をしていた」という言い訳が出来るように、動きやすい服装に着替えている。ちなみにボロボロとなっていた学生服は、自分が縫うと強固に主張した水樹によって回収されている。
この世界の衣服の感触に違和感を覚えつつ、ディーネは林の奥へと踏み込み、予定していた通りに魔法を発動する。
「―『魔法炉起動ラジエーターオープン』」
その言葉を口にすると、四肢に刻まれた刻印が発光し、魔力が身体中に行き渡った事をディーネへと通達する。
この起動ワードを口にすることが、ディーネが魔法を使うための条件。圧倒的な魔力量を誇る彼が背負っている唯一のハンデである。
ディーネが過去説明を受けた事によると、なんでも幼い頃にその莫大な魔力量を暴発させないための名残だとか。今でもそれをリミッターとして活用している物の、ディーネ本人としては一刻も早く解除して貰いたい所だ。
彼はその魔力を指先に集中させ、空へ滑らせる。すると空中に光の帯が、指の軌跡を追うように出現する。ディーネは迷うことなくその手を動かし、一つの魔方陣を空中に描いた。
「こんな所か…『届け、彼かの元へ』」
最後の仕上げを呟くと、魔方陣が一層輝き、完成したことを告げる。暫くすると、何処からともなく声がディーネの脳内に響く。
『…隊長ですか。少なくとも魔話が出来ているということは無事ではあるのですね。残念です』
「ははは、初っ端から上司に喧嘩を売る部下なんて初めてだよ。お前減給な」
ディーネの元へ届いたのは、共に潜入した部下であるフィリスの声である。出だしからバカにされたディーネは、額に青筋を浮かべながらも彼女に応対する。
『そうですか、ならば仕方ありません。国王に隊長がこの前経費として私物を買っていたと連絡して―』
「すいません! 給料20%アップさせるんでそれだけはお許しください!」
ちなみに彼ら暗部は月給制。それに加えて任務の達成料金がプラスされる。命を賭けた仕事の為、結構な高給取りなのだ。その中でもトップの筈のディーネが常に金欠なのは…まあ別のお話である。
『足りません。50%アップで』
「…せめて30%でお願い」
『40%』
「わかった。35%な」
『仕方ありませんね。それで手を打ってあげましょう』
なぜ上から目線なのか。自らの部下に対して釈然としない気持ちが浮かんでくるも、そこをグッとこらえるディーネ。もう自分は少年ではない、立派な大人なのだと自らに言い聞かせながら、深呼吸して気持ちを落ち着けようと―
『あ、すいません。その件は先月報告済みでした』
「50%カットだこの野郎!!」
手近にあった木を殴り付ける事で溜まったストレスを発散させるディーネ。なんの罪もない木は鈍い音を立てながらその身を揺らした。
「今月やけに給料少ねぇなとか思ってたらお前のせいかよ! お陰で武器の代金帝国魔導開発局ヤツらに払えなくて散々な目に遭ったんだぞ!?」
『…ああ、この間やけに珍妙な格好をして開発局長と街を歩いてたあれですか』
「なんで知ってんのお前!?」
自らの黒歴史を暴露され動揺するディーネ。良い様に弄ばれているその姿からは、暗部の威厳など微塵も感じさせない。
『いやはや、初め見た時には遂に我らが隊長も女装趣味に目覚めてしまったのかと、自らの進退を真剣に考えた物ですが…いえ、すいません。今もまだ考えていますね』
「遂にってなんだよ!?」
因みにディーネがしていた事とは、メイドの格好で局長に一日奉仕することである。目撃した彼の部下曰く、
「非常に似合っていた。正直持ち帰りたかった」
「あんなことやこんなことをされたかった」
「踏んで欲しい」
との事である。この事実が彼にとって良いことなのか悪いことなのか、それは定かではない。
『まあそんな冗談は置いておきましょう。いえ、隊長の女装が似合ってしまう容姿については冗談ではありませんが、それも一先ず置いておきましょう』
「話題持ちかけたの君だよね? ねぇ?」
『細かいこと気にすると禿げますよ』
「は、ハゲちゃうわ!」
咄嗟に頭へと手をやってしまったディーネを責められる者がいるだろうか。いや、ない。
『冗談はこのくらいにして、いい加減始めましょう隊長。隊長にしても、あまり時間は無い筈ですよ』
「…はぁ、わかったよ」
フッと自らのスイッチを切り替えるディーネ。それまでのコミカルな雰囲気は一切消え、代わりに張り詰めたような緊張がその場を漂い始める。
真剣な表情をしたディーネは、自らの手に入れた情報をありったけ報告する。
「まず勇者達に関してだ。名前などの基本的な情報、容姿などに関しては事前報告の通りで間違いないだろう」
魔方陣の向こうからはただ羊皮紙にペンを走らせる音が微かに聞こえる。帝国への報告書類としてフィリスが記録をしているのだろう。自らのスパイ容疑を証明する物を作っているとも言えるが、そう易々と見つかるほど甘い管理はしていない。彼女ならば問題ないといえる。
「ただ、元の世界における勇者達の関係が分かり辛い。もしものことがあれば俺は即座に脱出するから、その為の逃走経路は用意しておけ」
『了解しました。何人かを王宮へと潜入させることで対応致します』
「勇者の戦力としての件。これに関しては今は心配する必要はない。ただ、伸び代を考えると不安要素が残る所だ。引き続き監視を続けて、逐次報告していく事にする」
『了解。報告書にもそう記載しておきます』
手早く進んでいく情報伝達。暗部としては必須のスキルであり、ディーネ達からしてみればむしろ出来ない方が問題ではあるが、それでもこの早さが帝国が最強たる要因の一部を支えているというのは間違いないだろう。優秀な暗部は優秀な情報を集められる。当然の事だ。
「それとあれだ、宝具の件なんだが…」
『どういたしましたか? もしや誤作動でも起こしましたか?』
「いんや、そこは問題ない。性能に関しては申し分なしだ。ただ―」
ディーネは宝具の接続された左腕を掲げる。ガシャリ、と重々しい金属の音が辺りに響いた。
「―もう少しばかり、耐久性・・・を高めて欲しいところだ」
彼の掲げた宝具は、彼が魔力を通すと僅かなスパークと共に焼け焦げたような煙を上げ、その異常を如実に伝えていた。
異常の原因は至極単純。僅かとはいえ発揮されたディーネの力に耐えきれず、宝具が誤作動を起こしているのだ。宇野との決闘で相手の魔法を力ずくで掻き消したのが直接的な原因と思われる。
『…次からは自重を覚えてください隊長。宝具もタダではないのですよ』
「悪かったよ。少しばかり勇者の実力を舐めててな」
『そもそもです。隊長はいつもいつも―』
「―お説教はそこまでだ。ご来客の様でね」
と、ディーネの研ぎ澄まされた感覚が周囲の気配を察知する。自分へと近付いてくる誰かが一人。ディーネは警戒してフィリスの話を打ち切ると声を潜める。
『…なるほど。了解しました、ご武運を』
フィリスが小声でそう呟いたきり、彼女との連絡は途切れる。発光していた魔方陣と四肢の紋章が光を失うと、ディーネはいつも通り『薫』として行動を開始する。
(―はてさて、こんな夜に邪魔をしてくる無粋な侵入者さんはどなたかな?)
袖の内から覗かせた何かが、星の光を浴びて白銀に煌めいた。
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