第19話

草木も眠る丑三つ時、と言うのは少し古風だろうか。異世界においてこの表現が正しいのかはわからないが、少なくとも夜がすっかり更けているという最低限のことは表現できているだろう。そんなとりとめもないことを考えながら、水樹は星の輝く夜空を見上げていた。


「……」


ここから見える星々は地球から見える星と同じなのだろうか。もしかしたらあの中の一つが地球なのではないか。そんなホームシックに掛かった子供のようなことを思い浮かべながら窓枠に肘をつく。開け放していた窓から風が流れ込み、水樹の髪を僅かに揺らした。


「…はぁ、寝れないなぁ」


自分以外に誰もいない部屋に、その言葉は嫌に響いた。普通は三人程で使う部屋を一人で使っているのだ。彼女が孤独感を覚えるのも仕方無い位には広い。強力なスキルを所持している勇者には、特権階級の如く個室が与えられており、水樹もその例に漏れずこのような広い部屋が与えられている。


あまりその待遇の格差を良くは思わなかった水樹だが、厚待遇を与えられている者がそれを言っても唯鼻につくだけだ。そのため彼女は部屋代えを申し出る訳にもいかず、ずるずると此処に居座ってしまっているという訳だ。


(…こんな慣れない気持ちも、長く過ごすうちに忘れていっちゃうんだろうなぁ)


順調に私物の増えていく自室に目を向け、そんな事を考える水樹。始めは私物を持ち込むことさえ憚られたが、徐々にそんな感情も薄れていき、気づけばこの有り様だ。彼女は都合よく変わっていく自分に溜め息を付きながら、再び窓の外へ目を向ける。


(…変わった、といえば)


脳内に浮かぶのは長い期間を過ごしてきた幼馴染の顔。いつもニコニコしながら、自分の後ろを着いてきていた小学校の頃を思い返す。


(いつからだったのかな。気付いたらお互い余り話すことも無くなっちゃって、相手の家に行くことも無くなった)


思春期だから、という一言で片付けられそうな問題ではあるが、水樹は意外とその事を気にしていた。思い返してみれば、中学の辺りで水樹が彼を遊びに誘おうとしても彼は笑顔でそれを断っていたような気がする。それが何回か続いたところで、お互いが喧嘩して―


「って、結局薫が原因じゃないの!!」


辺りに響く水樹の怒声。それに驚いたのか、ホーホーと鳴いていた謎の鳥は急に夜空へと羽ばたいていった。


「…はぁ。こんなに悩んでバカみたい」


 自らの腕に顔を埋め、ため息を付く水樹。躁状態から急激に鬱状態へとなった彼女は、どことなく情緒不安定のように見える。実際、少しばかり情緒不安定だとは彼女自身も自覚していることだ。異世界に来てからの薫への対応など、今までの自分であれば考えられないことばかりだ。少し前の薫に抱きついてしまったことなど、改めて考えてみても―


「っっっ!!!」


 顔を真っ赤にしてベッドへと寝転ぶ水樹。今更にして恥ずかしさがぶり返してきたようで、声にならない声を上げつつゴロゴロとベッドを転がる。


(なんであんなことしちゃったのよ私のバカーッ!!!)


 後悔先に立たずとはよく言った物だ。今すぐ過去に飛んであの時の自身を殴り飛ばしたい衝動に襲われる水樹であったが、やがて疲れたのかその動きを止めると、ポツリと一言呟いた。


「…貝になりたい」


 ハイテンションな興奮状態とローテンションな破滅願望。躁鬱躁鬱と忙しい彼女であるが、やがてその衝動も収まると、再び窓際に立って幼馴染みの事を考え始めた。


(…薫、帰ってきてから凄く変わったよね。様子は変わってないんだけど、こう…雰囲気が)


 いつも浮かべている特徴の無い笑みは変わっていなかったが、そんな印象も先の戦いで変わってしまった。


 真っ黒な鎧を身に纏い、強者だったはずの宇野を圧倒し、あまつさえ心まで折るという難行をやってのけた薫。とても心強い背中であったが、同時に見たことの無い背中でもあった。


 一体彼に何があったのだろうか。いくら考えども、水樹には分からない。その事実が、自らの知らない間に幼馴染みが変わっていたという事実が水樹の寂しさを掻き立てていた。


「…ん?」


 地球で言えば中世に当たる異世界の環境だからだろうか。窓の外に大きな明かりは無く、ただ星々の明かりが薄明かりを地表に放っている。唯一、夜中でも薪が絶えることの無い王城の周りだけが明るく照らされていた。


 そんな明かりの中から、一人の人物が暗闇の中へと歩を進めている。


「誰だろう…?」


 異世界の人物でも。いや、異世界の人物だからこそ、彼らは夜中に外へ出ることは無いはずだ。夜の危険性は彼らが一番よく理解している。何度も自分たちへ言い含める程には危険に感じているはずだ。


 それなのに外に出歩くとすれば…


(…うん。分からないわね)


 ただ、彼女は何かそれを放っておいてはいけないような、言いようのない何かを感じていた。何故だろうかと自身でも首を傾げながら、彼女はその感覚に従うことに決め、窓際から離れた。


「確か…王城周辺の植林の辺りだったわね」


 椅子の背もたれに掛けていた自らのパーカーを引っ掴み、手早く準備を整える。早く行かなければ彼を見失ってしまう。その一心で足早に王城の廊下を小走りに駆けていった。

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