Record keeper ‐魂に寄り添う者‐

沢丸 和希

第〇章 年代不明


 魂を司る機関・転生省の来世選定局に、本日、新たな局員が配属された。




     ◆     ◆     ◆




 真っ白な壁に囲まれた生涯記録課のオフィスには、黒いローブを纏った男女が何十人と集まっていた。手には一様に黒い表紙の本を持ち、列をなして自分の順番を待っている。


 そんな中で、列にも並ばず、オフィスの隅に佇む色白の若い男が、一人。

 何を考えているのか分からない無表情な顔で、辺りを見回している。


「キアランくーん」


 つと聞こえた声に、若い男――キアランは、左を振り返った。


「おーい、キアランくーん。どこー?」

「ここです」


 手を挙げてみせれば、周りの目が一斉にキアランへ集まった。

 キアランは目を瞬かせ、ゆっくりと手を下ろす。視線も少し落とし、静かに体を揺らした。


「あ、いたいた。おーい」


 黒いローブの集団から、同じ恰好をした細身の女が顔を出す。黒い表紙の本を二冊抱え、一つに縛った髪を振り乱しながら近寄ってきた。


「いやー、ごめんねぇ、遅くなって。ちょっとそこで局長に捕まっちゃってさぁ。お小言食らってたらこんな時間になっちゃって。いやー、本当ごめん」

「…………そうですか」

「……あれ? キアランくん、もしかして怒ってる?」

「……いいえ」

「嘘だぁ。絶対怒ってるでしょ」

「そんなことはありません」

「いや、怒ってるね。だって目が超責めてるもん」


 そう女に指摘され、キアランは咄嗟に目元へ手を当てる。

 すると、女は突如吹き出した。


「き、君、意外に、素直な子なんだね……ぶふっ」

「……ありがとうございます」


 無表情な顔にどことなく不機嫌な色を滲ませ、キアランはベルから目を逸らした。


「ご、ごめんごめん。いきなり笑ったりして。失礼だったね。謝るから拗ねないでよ、キアランくん」

「拗ねていません」

「そ、そっかそっか。拗ねてないか」


 女はまた肩を揺らし、わざとらしく咳払いをする。キアランの視線が責めるように突き刺さるも、気にせず頬笑み、抱えていた本を一冊差し出した。


「じゃあ、早速だけど、はい、これ。見習い用の記録帳ね」

「……ありがとうございます」

「一応、注意事項とか、こういう時こうするとか、なんか色々書いてあるけど、あんまり気にしなくていいよ。それ読むよりも、実際にやってみた方が分かりやすいし、覚えられるからさ」

「……はい、分かりました」


 キアランは受け取った本の黒い表紙を見下ろし、適当にページを開いてみる。


「よし。じゃ、行こっか」

「……もう、ですか?」

「うん、そう。こういったことは実践あるのみだよ、キアランくん? ……あ、今のちょっと局長に似てなかった? この、ちょっと気取った感じがさぁ」


 女は楽しそうに笑いながら、オフィスの白い扉へと歩き出す。キアランも黒い表紙の本を閉じ、後を追い掛けた。


「あ、そうだ」


 突然、女は歩みを止める。

 ぶつかりそうになったキアランを気にすることなく、振り返った。


「今更だけど、ようこそ、来世選定局へ。同じ課の一員として、記録係の先輩として、キアランくんを歓迎します。これからよろしくね」


 満面の笑みを浮かべ、女は右手を差し出した。

 キアランは細い手を見つめ、それから、壊れ物を扱うかのように、優しく握る。


「こちらこそ、よろしくお願いします。ベル先輩」

「やだなぁ、先輩とか止めてよー。そういう堅苦しいの苦手なんだよねー。もっと気軽に呼んじゃっていいから。ね? あ、ついでに君のことも、気軽にキアランって呼んでもいい? くん付けとか、私のキャラには合わないからさー」

「構いません。では自分は、ベルさんと呼ばせて頂きます。これからご指導ご鞭撻のほどを、どうぞよろしくお願いします」


 キアランは丁寧に頭を下げた。ローブと同じ色の髪が、音もなく流れ垂れる。


「……んー、キアランや」

「はい、なんでしょう」

「一応確認なんだけどさ、本当によろしくって思ってる?」

「思っていますが」

「ならさー、もうちょいこう、なんて言うのかなぁ。笑顔? そう、笑顔で言って欲しいなぁ」

「……笑顔、ですか」

「そうそう、こんな感じでさー。はい、キアランも笑って笑ってー」


 自分の頬に指を当て、ベルは目と口に弧を描く。一つに縛った髪を右へ左へ揺らし、キアランを見上げた。


 キアランはつと目を瞬かせると、おもむろに唇を固く結んだ。

 そして、頬の筋肉を、痙攣させ始める。

 口元や目の周りも不自然に震え、苦悶のような、嘆きのような、何とも言えぬ表情を生み出していく。


「ぶはぁっ!」


 不意に、ベルが吹き出した。

 今度は腹を抱え、周りの視線が集まるのもお構いなしに身を捩る。


「あはっ、あははっ。キ、キアランって、結構面白いんだねっ。ただ笑っただけなのに、なんでこんなに面白い……っ、ぶはっ! やば、ちょ、思い出し笑いの波がぁ……っ!」


 その場に蹲り、床を叩き始めたベル。髪が床を舐めるのも気にせず、ひたすら笑い続ける。しまいには噎せて苦しげに咳き込んでは、キアランを見上げてまた体を震わせた。


 そんなベルを、キアランは不満げに見下ろしている。

 ほんの僅かだけ口を曲げると、無言で踵を返し、黒いローブをひらめかせた。


「あ、あれ? どこ行くのキアラン。ちょ、待って待って。ごめんって。本当謝るから、置いていかないでぶふぅっ」


 背後から未だに聞こえてくる爆笑を無視し、キアランは手に持つ黒い表紙の本を開く。研修中に担当する魂の名前を確認すると、オフィスの白い扉を潜った。


「あ、ねぇねぇキアラン。研修を始める前にさ、ちょっと煙草吸ってきてもいい? ほら、一回記録始めちゃうとさー、中々時間も作れないじゃん? だから今の内に思いっ切り吸いたくて、って、おーい、キアラーン? 聞いてるー? もしもーし?」


 追い掛けてくる気配に、キアランの眉間には少しずつ力がこもっていく。

 だが、足は担当する魂の元ではなく、ここから一番近い喫煙所へと向かっていた。


「……キアランって、やっぱり素直だねぇ。それにいい子だ。うん。私、キアランの担当になれて良かったかも」

「……そうですか」

「そうですよー」


 ベルはキアランの隣にやってくると、至極楽しそうに笑う。

 その顔を一瞥し、キアランは込み上げた溜息を飲み込んだ。

 ゆっくりと視線を逸らし、目の前に伸びる白い廊下を、ひたすら見つめ続けた。

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