第15話 最近兄からエルフ味噌のにおいがするんですよ?

 俺が生まれたのはアールシュバリエの小さな教会だった。

 5歳になるまでに母親に何回か連れていかれたのをぼんやりと覚えている。


 ふらりと街にやってきた彼女の出産を手伝ってくれた、そのお礼を言うためだ。

 最初は誕生日が近づくたびに毎年俺も連れていかれたのだが、そのうち母親ひとりで行くようになった。

 俺がシスターさんをナンパしはじめたからではないか、と子どもの頃は思っていたのだが、大人になったいま思うと、母親が神父にナンパされていた可能性もある。


 そんな俺が『特区』で生まれたか、などと聞かれても、首をかしげるしかない。

 そもそも、そんな地域は今まで聞いたこともなかった。


「『特区』って、どこの事なんです?」


「知らないのね……精霊ネットで流れている噂よ」


「知りませんね。そもそも俺は精霊ネットに接続できませんから」


「どうして魔力の弱い人間が、現代社会で他の魔法民族と肩を並べられるくらい発展してきたか……そのカギを握っていると言われている、歴史の闇に隠された秘密の地域よ。恐らく、人間社会では国家機密クラスの情報でしょうね」


 知っている訳がなかった。


「で、それって、どういう噂なんです?」


「うん、人間は自分たちの領土の中に、『特区』というのを設定して、そこから大量の魔石資源を得ていたというの。反魔法特別地区、通称『特区』。そこでは、すべての魔法が封じられていて、住んでいる人間は魔法を使えないし、魔法道具も一切動かないの」


「けど、この世界で魔法や魔法道具が使えなかったら……すごく不便じゃありませんか?」


「そうね。魔法がなければ、魔力灯もインターネットも自動車も存在しないでしょうね。けれど、産業革命期の後期から、かれこれ300年くらい『特区』は存在し続けているらしいわ」


「300年も……ですか?」


「そう、だから『特区』では、魔法を使わない道具が独自に発達してきた。水車やネジは『特区』で発明されたものだと言われているわ」


 ビビ先輩の言わんとしていることが分かった。

 ひょっとすると、魔法を使わない調理器具を作ろうという俺のアイデアも、『特区』からもってきたものかもしれない、と考えたのだ。


「人間が魔工機を発達させられたのは、魔石を使わないシステムを数多く取り入れることで、魔石資源の節約に成功していたからだと言われているわ。さらに『特区』では役に立たない魔石資源を、一部の魔術師たちが石ころ同然の値段で買い取っていたそうよ。この『特区』があるお陰で、人間の社会は産業革命期に他種族から抜きんでて発達したというわけ」


「そりゃなんとも……ひどい話だな……」


「ひどい? すごいと思うけど。奴隷のお陰で発展した文明なんていくらでもあるでしょう?」


「けれど……ひどいっすよ」


 俺は、ふごふご、と鼻を鳴らした。

 命を懸けてモンスターと戦いながら魔石資源を集めているアールシュバリエがある一方で、奴隷地区のような『特区』を擁して魔石資源を集めさせ、それを横取りしている強欲な魔術師たちがいるのだろうか。

 もしそうなら、騎士として許しがたいことだと思う。


 本当に『特区』が存在しているのならば、俺の前世の科学知識を『特区』の人々の生活に役立てることはできないんだろうか。


 その時からだ、俺が『特区』について思いを巡らせるようになったのは。


「あ、そうだ。ビビ先輩、なにかエルフ料理で食べたいものありますか?」


「ドナテッロ、この私を胃袋から落とすつもり? まさか私の事を狙っているなんて思いもよらなかったわ。身の程をわきまえなさい、このオーク風情が」


「ちがいますって、最近エルフ調味料に凝ってて、レパートリーを増やしてみたいだけですよ。ビビ先輩のハートも落とせるし、一石二鳥だ」


 エルフ食と日本食が似ているのなら、前世の記憶を頼りにすれば簡単に習得できるかもしれない。

 ビビ先輩は、少しばかり首をかしげていたが、やがて迷うことなく言った。


「味噌煮込みうどんが食べたい」


「み、味噌煮込みうどん……他のはありませんかね?」


「ん、どうして及び腰なの?」


 味噌煮込みうどんは、名古屋の郷土料理である。不勉強なことに、俺は名古屋といえば味噌カツしか食べたことがなかった。

 しかし、ビビ先輩はどうしても味噌煮込みうどんが食べたかったらしい。

 残念な顔をされてしまった。もっと食べときゃよかったな……。




「2020年にオリンピックが開かれるんだよ」


「ふーん」


「オリンピックって、なんて言ったらいいんだろう、世界中の国が参加するスポーツ大会みたいなもんでさ」


 オリンピックが何かから説明しなくてはならないリリエンタールは、俺の語る異世界の話はどうでも良いわよ、という感じで、アサリの味噌汁をすすりながらテレビを観ていた。


 テレビというのは俺の記憶にある世界での呼称だ。

 アールシュバリエでは投影結晶(ヴィジョン)と呼ぶ。


 器に張った水鏡にお互いの姿を映して会話をする、通信用の魔術を応用した魔法道具で、中世に入るころにはすでに鏡のタイプが出現していた。


 その次に鏡より大量生産しやすいプラスチックの結晶板へと進化しており、ブラウン管テレビが今の薄型液晶テレビの形になったことで、両者は偶然にもほとんど同じ形になった。


 まったく別の所で生まれた技術や道具が、まったく同じ目的で使われ続けるうちに、ほとんど同じ形状に進化してしまう。

 これを文化収斂というそうだ。こうしてみると、アールシュバリエと東京はほんとよく似ている気がする。


「お前のそのアサリの味噌汁だって、東京じゃめっちゃくちゃ昔からある馴染みの食べ物だったんだぞ」


「へー、そうなんだ」


「マジだって、夏には潮干狩りなんてやってたんだから」


 ビビ先輩に教わったカナサ貝のエルフ味噌スープを飲んでみて、アサリの味噌汁そっくりだな、と直感し、改良を重ねてみたのだ。


 あれ以降、魔工機技師資格を必死で勉強した俺は、遠火炉の代わりにガスボンベを使ったコンロを生み出し、さらにオリジナルの炊飯器も作ってみた。


 それを使って、前世の記憶を頼りにアサリの味噌汁を作ってみたところ、親指をぐっと立てて「ドナテッロ、あなた今すぐエルフの里に嫁に行けるわ」とビビ先輩にお墨付きをもらえて、俺は無性に嬉しくなった。


「いいんすか? オークの性欲は人間の10倍、エルフに換算すると250倍っすよ? もしエルフの里で貰い手がなかったら、先輩が全部受け止めてくれるんですよね?」


 と、からかうと、ビビ先輩は顔をぽっと赤くしたが、ためらわずに両手をばっと広げた。


「いいわ、私が全部受け止めてあげる。ばっちこーい!」


「先輩……ッ!」


 魔法薬研究室でひしっと抱き合い、将来を誓い合った俺と先輩。マジ青春。


 そんなばっちこーい、なやり取りがあって、帰宅してみると、妹はこの不機嫌顔である。


 今日に限ったことではない、俺が女の子といちゃいちゃした日には、必ずこんな顔をしているのだ。

 たまに超能力でもあるのかと思う。

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