第2話 兄のふごふごはカワイイですよ?
人間、危機的状況に陥るといったい何をするかわからない生き物である、というのは、行動心理学者のイーシャーシャンが唱え、そして自ら証明して精神病棟ゆきになってみせた通りである。
◆第三級魔法士資格試験
第一次選考通過者
(中略)……以上、13887名
「お……ち、た……(がくっ)」
俺は自分の名前が載っていないとわかっている掲示板を端から端まで何度も読みなおすという、論理的に考えればまったく無意味な行動を繰り返していた。
いや、これもまったく無意味というわけではない。
不安定な精神状態の俺に現実を直視させ、それ以外の突飛な行動を取らせないでいるためには必要な行動だったのだ。
なんせ自己採点における正答率は90%を超えていたし、これいけんじゃね? 的なことを周囲にさんざん言いふらしていたし、さらに先日は妹とささやかながら合格の前祝いパーティまで開いていた身の上である。
俺はいいかげん無意味な行動をする自分を制するように手のひらでまぶたを閉ざして、ぶんぶんと首をふった。
「いいや大丈夫、落ち着け、ドナテッロ、まだ拾い上げがあるじゃないか。きっと、病欠とかで急な空きが出る、かもしれないだろ?」
資格試験の結果に病欠なんてあるんだろうか? という疑問が浮かんだのだが、そのときの俺はとにかく病欠があることを祈るしかなかった。
ああ、他人の不幸を唯一の希望としてかろうじて息をしているなんて、自分はなんて情けない人間なんだ。
ふごふご、と鼻を鳴らしながら、もういちど掲示板の端から端までずーっと睨みつけて、俺はもういちどがっくりと肩を落とした。
アールシュバリエ県アールシュバリエ『紅の塔』250層、中央ロビー掲示板前。
それがこの不思議な魔法によって俺をはりつけにしている場所の名だ。
アールシュバリエ県は、いわゆる
産業革命期に雨後のタケノコのようにぽこぽこと生まれた魔石の大産地のひとつである。
いわゆるゴールド・コーストのようなものだったが、迷宮は金の鉱脈とは違って、モンスターが多数出現する場所である。
このモンスターが体内で魔石核を成長させていくため、現在進行形で埋蔵量が増え続ける、お得な鉱脈なのだった。
この街のほぼ中心には、美しい白亜の城『氷の迷宮』がそびえていて、その迷宮から産出される魔石を中心にして経済がまわっていた。
その城の監視塔として建てられた555メートルの紅白の塔、シュバリエ・ツインタワーは、モンスター・ハザードの時のための避難所として、また若き冒険者達の養成所として今も機能しており、50階から300階までのフロアには、魔法士の他にも戦士、盗賊、僧侶など多くのジョブの養成学校が設置されていた。
首をつりたくなるほど天井の高いゴシック調の部屋とかが好きな人には、ぜひ一度見てもらいたい豪華な建築物だ。
あと窓ガラスの外の風景は飛び降りたくなるほど高い。
とくに50階ロビーにあるクリスタル製の柱がひんやり冷たくて、試験結果にうなだれる俺みたいな人がしばらく頭をぶつけているのにちょうどいい角度になっていた。
ふだん俺の通っている騎士学園はすぐ隣の白の塔にあって、渡り廊下を通ればもう目と鼻の先にある。この目と鼻の先がじつに遠い。
一年中、雪がちらほら降っている『氷の迷宮』を、日が暮れるまでしばらく何もせずにぼーっと眺めていると、ぴりり、ぴりり、とスマホが音を立てて、アルバイトの時間が来たことを告げる。
LINEに「ごめん、なんかここから動きたくないわ」と打とうとして、そう言えば今月は妹にクリスマス・プレゼントをあげなければいけないことを思い出し、ふごふご、と動きたくない身体をおして、無理やり行くことにした。
姫騎士の母は、生まれてきた俺に騎士道精神と剣術のすべてをたたきこんだ。
その影響で子供のころから目指していた騎士だったが、いまどき騎士なんて危険な職業を目指している奴は少ない。
騎士は公務員の癖に薄給だもんな。
サービス残業は当たり前、鎧や剣の装備は手入れに金がかかるくせに経費で落とせない、おまけに常に命をはる危険な仕事ときた。
俺の前世の記憶によると、中世ヨーロッパの騎士もだいたいそんなもんで、傭兵の方が稼ぎがいいといって傭兵のアルバイトとかけ持ちをする騎士も多かったと聞く。
いわゆる御家人というやつで、こいつらが金さえもらえば何でもやると評判もすこぶる悪い。
だが、ここ迷宮都市の騎士の評判はよかった。
彼らにはダンジョン探索という安定した仕事があったからだ。
魔石鉱脈からあふれてくるモンスターの定期的な駆除が、街を守る騎士のお仕事として立派に成立していたのである。それなりに重要視もされている。
けれどもし、ダンジョンが攻略されてしまえば。
『氷の迷宮』にある『北極星』を破壊すれば、迷宮も魔力を失い、ただの城と洞窟になってしまうという。
そうすればモンスターの脅威も取り除かれるし、魔石も採り放題になるし、騎士も仕事が格段に楽になるし、街の人たちにとってはいいことづくめだったが、俺にはそうなった時の自分の将来が、不安定なものに思えてならなかった。
騎士学園そのものは、悪くはなかった。
可愛い姫騎士候補生の女の子がたくさんいるし、変な奴もいるし、いい奴もいる。
俺がオークの血をひいているからって不快そうな目で見る奴も中にはいるが、そいつらを変な目で見る奴の方が大半という健全な環境だった。
性別も種族も関係ない、ここでは実力のある奴が認められる。
かつて世界中から雑多な冒険者たちが集まってできたアールシュバリエ全体に、そのような気風があった。
母親の英才教育のお陰で、俺は騎士学園でもトップクラスの成績を収めることができたのだ。
ただ――俺はどうも、このまま騎士を続けていけそうな気がしないのだった。
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