押しかけミニスカサンタクロース
大村あたる
サンタクロースはクリスマスの後に
一人で食べるホールケーキというのは、何故こうも簡素な味しかしないのだろう。
そんな考えが頭をよぎったのは、山積みになったホールケーキの山から二つ目のケーキを選んでいるときだった。一つ目は王道にショートケーキだったから、二つ目はモンブランにしようかな、なんてウキウキしながら考えているところにそんな思考が入り込んでくるのだから、まったくもって理性というのはとことんまで俺の人生を台無しにしてくれる。口の中に残った生クリームからはふっと甘さが消え、まるでビールの泡のごとく苦味だけがそこに残った。
どうして俺はクリスマス翌日に、自宅の四畳半で、一人で、ホールケーキの山と格闘しているのだ。子供の頃はそこそこに幸せな家庭だったはずだ。入学式にはわざわざ写真屋に行き大判の立派な写真を撮ってもらい、子供の日には鯉のぼりをあげ兜をかぶり、誕生日には包装紙に包まれたプレゼントを何個も送られ、クリスマスには家族で一つの机を囲みホールケーキを皆で切り分けた。順当に好きな子ができ、そう、そうだ、好きな子。それだ。俺が駄目なところ、俺がこうなってしまった理由。それは。
俺が『ヘタレ』だからだ。理性というものに従い、本能というものにあらがってしまったからだ。いつだって俺は他人に道を譲ってきた、いつだって人の嫌がることはしないようにと努めてきた。告白されたら断ることはしなかった、自分から告白なんてついぞしなかった、たとえ相手が誘っているようなそぶりを見せようと、据え膳喰わずの精神を貫いてきた。彼女たちには「女性恐怖症なの?」「もしかしてそっち系だった?」と蔑み憐れまれてきた。「勃たなくても気にしないよ」なんて慰めの言葉をかける子さえいた。いつだって俺はそれに曖昧な笑みで返し続けてきた。それが、その結果がこれか、神様!
断じて、断じて俺は女性恐怖症なんてものではないし、純粋に女が好きだし、AVを見ればしっかり勃つ。ただ。ただ、だ。相手に手を出すことはできない。それで相手が嫌がる可能性があるからだ。相手が不快に思う可能性があるからだ。勿論俺が拒否することによって相手が傷つくことがあるだろうが、それはまだ癒せる傷跡だろう……、と思う。確証? そんなもの子供のころから教えられた『普通のこと』だからだ。それが絶対的な基準であり、皆それに従って動くべきなのだ。それなのに嗚呼!
レールの上を行こうとしないやつらが正しい道の上にいて、レールからはみ出ないよう慎重に進んだはずの俺がこのザマだ。クリスマスの残り香を押しつけられ、腐らすわけにもいかずに今こうやって腹に入れようと苦戦している。一つ目ですでに胃の中は甘さの海で満たされていて、二つ目を手に取るとき思わずためらってしまった。そしたらさっきの考えが頭をよぎりやがった。なんなんだ、なんなんだよ俺が悪い事でもしたってのか! クリスマスの夜にもしっかり仕事をして! 他人の笑顔のために働いた俺が!
……なんて一人で吠えたところで、結局誰が聞いているわけでもないのだ。ここにあるのは山積みのホールケーキと本、敷きっぱなしの煎餅布団、ボロボロになったCDラジカセ、それに資料とカセットとCDの積み重なったちゃぶ台。着替えを含めた残りの荷物は、入居当時は布団をしまうつもりだった押し入れに詰め込んである。相槌を打ってくれるのは柱の間から吹いてくるすきま風だけで、俺の心も体もしっかりと冷やしてくれた。仕方ないと半ば自分の人生に諦めをつけ、二つ目の箱に手をかけたそのときだった。
トントン、と。ノックの音が部屋に響く。このぼろアパートにチャイムなんて高尚なものはついていないから、その音が聞こえることそれ自体には何の違和感もない。
問題は、今が午後の十一時を回ったところだということ。こんな時間に郵便はありえないし、集金はもっとありえない。じゃあ友人? はは、そんな交友関係があるのであれば今頃目の前のケーキの山はとっくに片付いているだろう。借金はしていない。じゃあ、なんだ……?
ふと一つの可能性に思い至る。そういえば聞いたことがある、空き巣は在宅の確認をノックやチャイムで確認するのだと。もし在宅していたとしても「いやあ、部屋を間違えてしまいまして」なんて誤魔化せば大丈夫、なんて寸法だそうだ。
それなら怖くなどない、普通に受け答えをして、そして普通に追い返せばいいだけだ。こんな時間に起きている男の一人暮らしだと分かれば、それ以降も訪ねてくることはきっとないはずだ。そう思ってケーキに向かっていた手を引っ込め、扉の方へと向かう。トントン、ともう一度扉を叩く音に少しだけ歩早める。
このとき少しでも「いや、もしかしたら強盗かもしれない」なんて考えを頭によぎらせ、鍵を開けずに扉越しに受け答えをしていれば、と思うのは、もう少し先の話だ。
鍵を開け、ドアノブに手をかける。立てつけの悪い扉はゆっくりと、ギギギと音を立てながら開いてゆく。どうせ小汚いおっさんが立っていて、それを追っ払うだけだ。そんな心持ちで扉を開けきると。
「あー! やっぱりいるんじゃないですか! もー早く開けてくださいよ、今外寒いの分かってますよね? この格好で待ってると本当に凍え死にそうなんですから。ていうかなんですかこのアパート、廊下もすきま風吹きっぱなしで超寒いんですけど!」
目を疑った。絶滅したんじゃなかったのかこんなテンプレート。そう思っていても、目の前で文句を言う存在は消えてなくなるわけはなくて。
「……えーっと、なにあんた。こんな時間にそんな恰好で、なんか俺に用時でもあるの。デリヘルの誘いならお断りなんだけど」
「あーひっどーい! せっかくいい子にプレゼントを持ってきてあげたのに、そんなんじゃあたし帰っちゃうんですからね!」
「どうぞ」
「え、いや、その……。あなたにプレゼントを渡すまでは帰れないっていうか、なんかその、ね? 察して?」
思わず頭を抱える。なんだこれは。今日は酒は入れてないはずだろう。幻覚か何かか、それとも誰かの美人局なのか。俺がそんな考えを巡らせうんうん唸っているのを気にもせず、目の前の彼女は咳払いを一度二度と繰り返した後、俺に向き直りこう言い放った。
「わたしはサンタクロース。いいこのあなたにプレゼントを届けに来たんです」
そう、目の前にいるのはミニスカサンタだった。平成もそろそろ30年に近づこうとしている今日、まさかこんなベタなものにお目にかかろうとはまったくもって想定外。しかもだ、頭が少しばかりイカれていらっしゃるご様子だ。
問い正したいことは山のようにあって、それでもこれ以上問題を増やすのはこりごりだった。だから俺は諦めて、まず目の前の問題を一つ一つ消すところから始めたいと思った。
「……とりあえず中入るか? ついでに中にあるケーキを食べていってくれると、とても助かるんだが」
「ケーキ!? いいんですか!?」
「いいから早く中に入ってくれ……」
そう返すと彼女は靴も脱がずに俺の部屋へ駆けるように上がっていった。俺はため息をつきながら扉を閉め、再び鍵をかける。玄関でミニスカサンタの女の子を追い返しているのが万が一にも他の住人に見つかってみろ、この狭い地域を噂という噂が駆け巡り、ただでさえ少ない大学内での俺の居場所が更に狭くなるじゃないか。
なあ神様。俺、そんなに悪いことしましったっけ。
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