9-3.教会の殺人事件

「殺されたのは?」

「昼間です。その日はオルガンの調律の日で、彼以外の人間は教会に入れませんでした。かなり繊細な楽器なので、雑音や過度の乾燥、湿気がご法度らしいです」

「なのに強盗に殺されたのか?」

「えぇ、目撃者の証言があります」


 カルナシオンはますます怪訝そうな顔つきになると、少しだけ身を乗り出した。


「待て。なんだ、その「目撃者」ってのは。中に誰かいたのか?」

「すみません、実際には見てないんですが便宜上ということで。オルガンの調律中は中に人は入れないんですが、外で聴いている人が多いんですよ。その日も何人かの「見物客」がいたんです」

「なるほど。便宜上の目撃者ってことは、中で言い争う声でも聞いたのか?」

「そういうことです。オルガンの音が急に止んだので一人が訝しんで近づいてみると、中から言い争うような声がしたそうです。あの教会にはワイヤーオルガンを日光から守るために窓がないので、出入り口は正面と裏口の一つしかありません。正面の扉を叩いたけど反応がないので、急いで裏口に回ると、扉は開け放たれていて、中には被害者が倒れていた……というのが簡単な事件の流れですね」


 ヴァンは説明するために持っていた事件概要の書類を、カルナシオンに差し出す。横で興味津々な顔をしているアリトラは、敢えて見ない振りだった。


「オルガンの前で、胸を数ヵ所ナイフで刺されて絶命……か。第一発見者は逃げた犯人は見たのか?」

「いえ、裏口に回り込む間に逃げたのではないかと。裏口には足跡が残っていましたし」

「じゃあなんで、それが「移民の仕業」になってるんだ?」

「刑務部がそう言ったわけじゃありませんよ。第一発見者が「フィン語ではなかった気がする」と言ったためです」

「それを新聞に書かれたのか。何っつー無責任な」


 呆れながら書類を捲ったカルナシオンは、そこに書かれている情報を見ると目を釘付けにした。何度か前後の記載を確認してから、改めてヴァンの方に視線を合わせる。


「おい、この第一発見者って」

「えぇ、俺達の身内です。しかも三局の不正をチェックするために存在する特別機関……「監査部」の長官。先輩にとっては、元上司でいいですよね?」

「ゼンダーさんか。確かに監査部なら、あのワイヤーオルガンの調律に立ち会っていても不思議じゃないな」

「監査部って何?」


 アリトラが遂に耐えかねて口を開いた。カルナシオンはそちらを振り向いて口を開きかけたが、思い直したようにヴァンを促す。


「説明してやれ」

「先輩がすればいいじゃないですか。……監査部っていうのは通称で、正式には「監査委員会」と言う、制御機関の第四の組織だ。制御機関の内外において、職員が不正を行っていないか監査するために存在する」

「そんなのあるの? でも監査部の人って見たことないけど」

「そりゃそうだ。監査部は一人しかいないからな。他は全員臨時職員だし」


 ヴァンは書類を持ち上げ、それに目を通しながら続ける。


「公明正大な視点を持って監査を行う、という信念から来る仕組みで、長官以外の職員は必要に応じて各部から選出される。本来の仕事は監査だが、制御機関の中でどの部が引き受けるかあいまいなものも対象になっているんだ。例えば、国賓を招いた際の護衛とかな」

「えーっと……じゃあワイヤーオルガンの調律の立会も?」

「あれは魔法技術もさることながら芸術性も高いから、万一のために制御機関が立会を行う。だが宗教色が強い施設に置かれていることもあって、正規の部の職員は何かと不都合なんだ。それで監査部が行ったんだろう」


 ふぅん、とアリトラは納得したような声を零した。


「マスターの元上司って言ってたけど、本当?」

「嘘ついてどうする」


 カルナシオンはアリトラが食事を終えたのを見届けてから煙草に火を点けた。


「テオ・ゼンダー。俺より十歳上だから四十八か九だな。俺が制御機関を辞める少し前に刑務部を離れたんだ。ゼンダー家ってのはお前も知ってるだろ?」

「レバス・ゼンダー家?」

「そうそう。貴族令嬢にして民主革命の立役者の一人だった、「革命の乙女」シュネル・レバス・ゼンダーの子孫だ。正義感が強くて、人当たりも良いし、魔法の腕もかなりのもんだった」

「先輩が言うと嘘くさいですよ」


 ヴァンが横から混ぜ返すように言った。


「先輩が認めるのはセルバドス管理官だけでしょう」

「ライバルとしてはな。魔法の腕だけで言えば他にも認める奴はいるってだけだ。……しかし、「フィン語ではなかった気がする」か。あの人にしちゃ迂闊な発言だったな」

「見物客の中に『マイエセル』の新聞記者が紛れ込んでいたんですよ。だから、これ幸いとゼンダーさんが零した言葉を拾い上げたというわけです」

「なるほどなぁ……。運が悪いっつーか、なんというか」


 『マイエセル』はフィン国でよく読まれる新聞の一つである。政治よりは犯罪事件を得意とする記者たちが集まり、小さい事件から大きい事件まで取り上げ、独自の解説や専門家などの意見を組み込んだ記事は若い世代に人気があった。

 一方で強引な取材を行う記者が問題になることも多く、それを正義と見るか野次馬と見るかで世論が割れることもあった。


「殺された場所も状況も良くなかったな。元から多い移民排他派に格好の餌を与えたようなもんだ。他民族を受け入れるための教会で、フィン伝統のワイヤーオルガンの調律師が殺された、なんて」

「その通りです。よりにもよって、被害者の母親は「異邦の門」に所属していましてね」

「あの過激派か。「異邦の文化に対して門を設けよ」とか言う」

「はい。息子の死で完全に移民を敵視してしまって……」


 書類の束から一枚の報告書を抜き取ったヴァンは、それをカルナシオンに見えるようにテーブルに置いた。そこには「異邦の門」のメンバーの名前や、その思想、過去に起こした事件が羅列されている。


「リリス・アングレオン、五十歳。ここ数か月間の移民に対する傷害事件や通報の黒幕は彼女という見方が濃厚です」

「あー、何度か引っ張ったことがあるな。息子がいたとは初耳だったが」


 添えられた写真には、白髪交じりの茶髪を無造作にまとめた女が写っていた。不機嫌に結ばれた唇は赤々しく、その右下にある黒子と共に歪んでいる。薄青色の瞳は鋭く光り、写真を撮る者を今にも仕留めんとするかのように力強かった。


「しかし移民に嫌がらせしたって、息子が生き返るわけじゃないだろう。何か目的でもあるのか?」

「それがですね……」

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