6-10.証拠はただ一つ

 客室で一人寛いでいたシトラムは、計画の成功が間近であることを噛みしめていた。終着駅まではまだ時間がかかるが、既に伯父の「救出」作業は始まっている筈だった。兄弟達にも連絡が届いている頃だろう。

 駅に着いたらまずは精神的に憔悴している様子を装い、自宅へと戻る。兄と弟の前ではさめざめと涙を流せば良い。そうするために、これまで読んだ本の中で最も悲劇的なものを思い出すのは容易いことである。

 誰にも気づかれないように祝杯を挙げよう。自室に大事に保管している三十年物のワインと、中央区で購入した貴重なチーズがそれに相応しい。買った時には、まさかこんなことになるとは思わなかったが、これも巡り合わせだとシトラムは思っていた。

 その時、至福の時間を邪魔するように客室のブザーが鳴らされる。シトラムは不機嫌になったが、すぐに表情を改めると、敢えてゆっくりと扉を開いた。そこにはギルと、サロンで何かと目障りだった二人の孫が立っていた。


「すまないな、お疲れのところ」

「いえ。何か?」

「実は孫娘が大事な耳飾りを失くしてしまったのでね。もしかしたら、車椅子に引っかかったかもしれないと言うので、迷惑とは思いながらもこうして来た次第で」

「耳飾り、ですか」

「実は亡くなった妻の遺品を譲ったもので、私としても諦められない。少しだけ御老人の車椅子を見せてもらうことは可能か?」


 シトラムは少し考え込む。遺品を探す者を無下にすることも出来ない。自分で車椅子を調べても良いが面倒だった。ギルは無作法な男ではない。見つければすぐに帰るだろうと見越して、三人を中に入れた。


 十分に広い部屋には、大きなトランクが一つと車椅子が置かれている。結局ストッパーの掛け方がわからなかったため、椅子とトランクで挟み込むように置かれた車椅子は、少々窮屈そうだった。


「耳飾りのようなものは見かけませんでしたけどね」

「我が家はベルセ家と違って貧しいのでね、小さな一粒ダイヤだから見落としているかもしれない」


 シトラムは内心舌打ちをした。

 十年前、セルバドス家が持つ土地の一つを買収しようとしたことがある。そこにカフェを作ろうとしたためだが、結果として土地は買えなかった。どんな高値をつけてもギルは興味を示さず、それどころかそこに温室を作って花の栽培を始めた。

 シトラムは金で雇った連中に工作を依頼したが、温室に火を点けようとしたところで、セルバドス家の次男であるルノに撃退された。温室はルノの息子のためのものだったらしいが、そんなことはシトラムの知ったことではない。

 伯父は失敗の報告を受けて呆れかえりながら「そんな変な一族とは関わるな」と言った。今思えば、流石の慧眼とも言える。


「ストッパー、止めないんですね」


 車椅子を調べていたアリトラが微笑みながら振り返った。


「えぇ、ちょっと調子が悪いんですよ。バルコニーの扉にぶつかったせいかな」

「止め方がわからないんじゃなくて?」


 シトラムはその問いにも平然とした表情を崩さない。それは予期していた質問だった。客室に一人でいると、様々なことが考察出来る。


「コツがあるかもしれませんね。何しろそれほど車椅子に詳しいわけでもないので」

「今日受け取った車椅子なんでしょう? だから、詳しいことがわからないのかなって」

「それが何か問題がありますか? 使っていたのは伯父ですからね。私が全て知っている必要はない」


 少し口調を強めてシトラムは言ったが、アリトラは笑顔のまま切り返す。


「もう一台、あるはずですよね。少なくとも中央区に来るまでに乗ってきた車椅子が。そうしないと、おじいさんが移動できないもの」

「……それは、その車椅子を受け取った時に工房で」

「捨ててきた?」


 シトラムは小さく頷く。アリトラは少し考え込んだ後で首を傾げた。


「随分、大胆。使い慣れたものを新調する時って、前まで使っていたものを取っておく気がするけど。だって五年も使っていたんでしょう?」

「伯父はちゃんと使いこなしていましたからね。そんなのは貴女には関係のないことだ」

「じゃあどうしてバルコニーでストッパーを掛けなかったんだろう? あんなに揺れるし、危ないのに」


 アリトラは半分自問するように呟いた後、シトラムを見た。


「それがずっと引っかかってて。それで、もしあの車椅子を誰かがわざと置いたものだとするなら、どうして使い慣れた車椅子じゃなかったのか考えた」

「もしも」


 リコリーが途中から口を挟んで続ける。


「車椅子が二個あったとしたら、何が考えられるでしょうか。あれほどの特注品。しかも装飾物までついた代物です。梱包もせずに運ぶことは考えにくい。何か……そうですね、大きなトランクのようなものに入れたりするかもしれません」


 その言葉にシトラムは反射的に壁際のトランクを見てしまった。それを見逃さなかったアリトラが再び口を開く。


「それ、どうして貨物として預けなかったんですか?」

「だ、大事な物が入っているからだ」

「……新しい車椅子をおじいさんが試そうとするなら、長距離列車の中が最適かもしれない。だって転倒する可能性は低いし、土汚れも付着しない。車内で試そうとして持ち込んだ。そうでしょ?」


 反論を口にしようとしたシトラムだったが、言葉が上手く出てこなかった。ストッパーの件は確かに自分でも失敗だったと思っていた。だが、シトラムが伯父を殺害するに至ったきっかけが、まさにそれだった。

 新しい車椅子に乗った伯父は色々と装飾品や部品を弄っていたが、列車がカーブに差し掛かった時にストッパーを使っていなかったために転倒してしまった。

 伯父はシトラムがストッパーを掛けなかったこと、そして操作方法を予め確認していなかったことを責め立てた。転倒した気恥ずかしさからかもしれないが、伯父はシトラムに反論を許さぬ勢いで話し続けた。

 そして興奮のあまりか、老人は言ってはいけないことを口にした。


「じゃあどうして前の車椅子じゃなくて、新しい車椅子が外に出ているのか」


 リコリーの声がシトラムを回想から引き戻した。


「トランクが欲しかったからと考えられます。でも二つ車椅子があったらどう見てもおかしい。だから一つは処分するしかなかった。五年間使った車椅子と、高い新品の車椅子。例えもう乗る人がいなくても、どっちを選ぶかは自明です」

「な……にを、言いたいんですか」

「トランクの用途は、荷物を入れることです。では本来入っていたはずの車椅子を取り出して、代わりに何を入れたか。そして……何故あんな大掛かりなことをしてまで、新しい車椅子がベルセ老人が使っていたものだと見せかけて、古い車椅子を隠したかったのか」

「おじいさんが列車にいないように見せたかったんでしょ」


 アリトラがトランクに手を掛けた。シトラムはそれを止めようとしたが、ギルが一歩進んで道を塞ぐ。その眼光は鋭く、シトラムは気圧されて足を竦ませた。


「遺体を消したいならバルコニーから落としちゃえばいいのに、何故かそうしなかった。それは、「何処に落ちるのか」わからなかったから。上手く誰にも見つからない場所に落ちればいいけど、そんな保証は何処にもない」


 トランクの留め金を指で弾くように外しながら、アリトラは淡々と続ける。青い髪の先が黒いドレスの上で揺れているのを、シトラムはまるで悪夢でも見るかのような目で見つめていた。


「要するに、見つかってしまったらまずい死体だった。明らかに他殺だとわかってしまうような姿だったから、貴方は必死になって隠したんでしょ?」


 トランクの蓋が開き、その途端に生臭い匂いが室内に放たれる。黒いトランクの中には、痩せこけた老人が無理矢理詰め込まれていた。入れる時に邪魔だったのか、いくつかの関節は強引に折った痕跡もある。

 だがその損傷の中でもひときわ目立つのは、首についたロープと、ひっかき傷の痕だった。


「絞殺、ですか」


 あまり直視しないようにしながらリコリーが口を開く。


「確かにこの状態で見つかったら、他殺だということが一目瞭然ですね。落下の衝撃でこれらの痕跡が隠れる可能性はありますが、絶対ではないですし」

「アタシ達、どうしても気になってたから色々考えたの。方法はわかったけど、証拠がなくて。でもこれって、間違いなく貴方が殺した証拠だと思わない?」


 シトラムは喉が痛くなるほどの渇きを覚えた。体の中の血が沸騰して、水分を次々と奪っていく。生まれて初めての感覚を味わう間もなく、ギルが穏やかな声で尋ねた。


「孫二人が確かめたいと煩くてな。で、何か言うことがあるなら拝聴するが?」


 その口調は、死んだ伯父を彷彿とさせた。

 シトラムを散々罵った後で、伯父は萎縮している甥を馬鹿にしたように見て言った。


 それで、何か言うことはあるか? 役立たずめ。


 気付けば伯父は死体になって倒れていた。

 ヴィンス寺院の振り子鐘を思い出して考えたトリックも、窓の外を渡ると言う命がけの曲芸も、全てその場で思いついたものだった。だが、それに縋るしか、シトラムには道がなかった。


「……偉そうに」


 思わず本音が口から零れた。


「十年前にも、貴方の次男から馬鹿にした態度を取られた」

「十年前? あぁ、アゼのために作った温室を焼こうとした馬鹿の話か。そういえばルノがそいつらの雇い主と話し合いをしてきたとか言っていたな。誰かは聞かなかったが」

「元貴族だか名家だか知らないが、何度人を馬鹿にすれば気が済むんだ。しかも」


 シトラムは双子を睨みつけるように見た。リコリーは驚いて一歩後ずさったが、アリトラは平然としている。それが余計にシトラムを苛立たせた。


「人が丁重に接していれば図に乗って、生意気にもほどがある。大体、薄汚い混血が私の視界に入るなんて……!」


 怒りの言葉は長くは続かなかった。ギルがその手でシトラムの顔面を掴んで、勢いよく壁に叩きつける音がしたのと、シトラムが自分の軽薄さを後悔したのは、殆ど同時だった。


「……悪いが、もう一度言ってくれないか。孫を侮辱された気がするが、勘違いだろうか?」


 頭を強かに打ち付けたシトラムは、立っていられずに床に座り込む。見上げたギルの顔は無表情だった。それが最大級の怒りを示しているのだと悟るには十分なほど、目の奥に冷たい光が宿っていた。

 きっと伯父から見た自分も、同じような顔をしていたに違いない。シトラムはそんなことを思いながら、全てが終わった虚無感を溜息にして口から吐き出した。

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