4-9.イルカは何処に消えた?

 声を小さくしてアリトラが問う。リコリーはそれに首の動きだけで肯定の意味を返した。

 音響魔法は子供が悪戯でよく使うことからわかるように、「対象物を驚かせる」のが目的であることが多い。要するに、あの状況で大きな音を出して得られるのは「音を聞いた者の反応」である。もしイルカが投影魔法であれば音に反応することはない。それを確認するための行動だったと、リコリーは推測していた。


「でもその人は最初からその目的でやってきたわけじゃない。本当にイルカの存在の有無を確認したいなら、誰にも気づかれず、そして正確な結果が得られる魔法を準備してくるはずだ」

「つまり、突発的な犯行」

「だと思うよ。でも本人も此処まで大事になるとは思わなかったんじゃないかな?」


 双子の傍をスタッフが慌ただしく通り過ぎていく。

 「イルカ」「水槽」などの単語が微かに耳に入ってきた。


「イルカが何処に行ったかは置いておくとして、誰が音響魔法を使ったか考えてみようか」

「わかるの?」

「消去法だけどね」


 話している間に少し溶けたアイスをスプーンで掬いながら、リコリーは自分の右手側を見た。クラゲが大きな丸い傘を広げたり閉じたりしながら、水の中を漂っている。


「まず、展示館から来たギレンスさんは除外出来ると思う。海洋生物に詳しい人なら、もっと良い確認方法があるはずだし、ただでさえ落ち目の展示館に悪評を立てる真似はしない」

「うん。リコリーが水槽を悪戯してると思って注意してきた時にも、熱帯魚を刺激することを嫌がっているみたいだった。そんな人がイルカさんを驚かせるようなことしないよね」


 えーっと、とアリトラはドームにいた人間を頭の中に思い浮かべた。


「あの女の人達は? エレナって人は「気になると止まらない」って言ってた。イルカの有無が気になってつい、とか」

「彼女たちは違うよ。ドームの形状を見て話をしていたのを聞いたでしょ? 彼女たちは建築関係の大学か、専門学校に通っているんだと思う。入口で説明された通り、アカデミーのカルツ教授はこの建物の監修に携わっている。恐らく彼女たちはその教え子だ」

「そうか。ドームで音が反響することなんて、あの人たちにとっては当たり前のことだもんね。なのにあんな大音量の音響魔法を使うわけない」


 実際、彼女たちは耳の痛みを訴えていた。ドームの構造を理解しながら、下手をすれば悪戯どころか傷害罪まで適用されかねないことをするとは思えない。監修を行った教授の顔にも泥を塗ることになる。


「じゃあ、バイス商店のあの二人と、絵描きさんのうちの誰か?」

「そうだね。でもその三人から一人を絞り込むのは簡単だよ。音響魔法がどこで使われたか考えれば、すぐに答えは出る」


 すぐに、という言葉にアリトラは眉を寄せた。


「リコリーがそういう時は、絶対に小難しいこと言い始める」

「そんなの言ったことないよ。基礎の物魔学や魔法陣論の何が難しいって?」

「難しい。アタシにとっての物魔学は、リコリーにとっての三段跳びだから」

「そう言われると、俄然難しい気がしてきたよ。じゃあなるべく掻い摘んで話すね」


 アイスクリームの器についた水滴を指で掬い取ったリコリーは、それを使ってテーブルの上に大きな円を描いた。右側に何かよくわからない物体を描くと、すかさずアリトラが指摘する。


「何それ」

「イルカ」

「潰れたカエルじゃないの?」

「うるさいなぁ」


 左側に扉を描き、更に人がいた位置に指の先を押し付けて点を作る。


「水槽に一番近い場所にいたのは絵描きのビッツさん。その少し後ろにミゼットさんとジョルジュさんがいた。二人の斜め右後ろには僕たちがいて、反対側にはセレンさんとエレナさん。ギレンスさんはずっと離れた入口横。此処にはスタッフの人もいた」

「うん。それで?」

「破裂音は何発も聞こえたけど、実際には一発だったと思う。それがドームに仕掛けられていた「反響魔法」によって何回も反復させられたんだ」

「は?」


 突然の推理の飛躍にアリトラがきょとんとした表情になる。


「ちょっと待って。それ何処から出て来たの?」

「あれだけ凝った演出をするドームだよ。それぐらい仕掛けてある」


 リコリーはテーブルに描いた円の外側を指で叩いた。


「パース博士は音が鳴りやんでから出て来た」

「鳴りやむまで待っていたんじゃないの?」

「普通、自分が魔法で制御している場から予想外の音が聞こえてきたら、すぐに出てくるだろ。大事なイルカもいるんだし。多分博士は反響魔法陣が暴走したのを止めようとしていたんだ。音が鳴りやんだのは、魔法陣が停止したから」

「……あ、じゃあその後、魔法陣を起動するって大声で言ったのは反響魔法が使えなくなっていたから?」

「そういうこと。ドームはある程度音が反響するけど、それだけじゃ安定したパフォーマンスが出来ないからね。それにスタッフの人は拡声器なども使わないでナレーションをしていただろ?」


 アリトラは頷きながら感心したような声を出す。


「なるほどね。反響魔法のことはわかったけど、それで犯人を割り出すことが出来るの?」

「あのドームの中にはいくつもの魔法陣が使われている。イルカの水槽に投影するための魔法陣は、このあたり」


 円の左側、入口近くをリコリーの指が示す。


「魔法陣を重ね合わせることは出来ないから、反響魔法陣は別の場所にある。またパース博士の言葉からして、水槽の中に魔法陣はない」

「スタッフの人はナレーションをする時にドームの中央に出て来た。あれが反響魔法陣に近づくためだとしたら……真上?」

「正解。まぁ実際に見たわけじゃないけど、ドームの一番上に設置するのがいいだろうね。投影魔法を邪魔しない程度の魔力で最大限の効果を期待できるし」

「だとすると、ビッツさんは除外出来るね」


 反響魔法陣に音響魔法が作用するには、その真下である必要がある。

 水槽のすぐ近くにいたビッツが、わざわざ後方で魔法を発動させるのは理屈に合わない。


「となると残りはあの二人。どっちだと思う?」

「イルカの有無を確認しようとしたんだよね? だったら犯人はジョルジュさん」


 アリトラはそう断言した。リコリーは試すように「どうして?」と聞き返す。


「だってあのお婆さん、目が殆ど見えてないもの」

「あぁ、それは気付いてたんだ」

「ビッツさんが荷物をバラまいた時に、お婆さんは一度だけ視線は向けたけど、その後はすぐに目を離した。絵を拾ったジョルジュさんが絵の説明をしたけど、お婆さんは「絵描きか。道理で木炭くさいと思った」って言っただけ。つまり殆ど目が見えない」

「正解。でもあのお婆さん、結構鋭そうだから今頃……」


 遠くの方から老婆の怒鳴り声が聞こえた。それに続けて、若い男が哀願するような声が混じる。詳しくは聞き取れないが、どうやらジョルジュのしたことを知ったミゼットが怒りをぶちまけているようだった。


「音の方はこれで解決だね。後はイルカさんだけど」

「イルカの居場所も大体わかるよ」


 リコリーは席を立ちあがり、アリトラについてくるように促した。


「何処にいるの?」

「何処にいるかはわからないけど、いる場所は知ってる」

「探しに行くの?」

「いや、探してもらうんだよ。イルカは視力がいいらしいからね」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る