第4話 +Dolphin[イルカ]
4-1.双子のティータイム
「水族館が出来たんだってさ」
父親が珈琲を淹れながら言った言葉に双子は揃って顔を上げた。
「水族館?」
「それって南区にあるやつ?」
「それは「海洋生物展示館」。今度、西区に出来るのはラスレ国のを真似した「水族館」だよ」
「何が違うの?」
リコリーが不思議そうに聞き返す。
「水槽が沢山並んでるんでしょ?」
「展示館は、ただ水槽を並べて横に生態系を書いたボードが置いてあるだけだっただろ? 水族館はもっとお洒落で面白いよ」
二人は顔を見合わせる。何が違うのか、どう面白いのか、まったく想像がついていないためだった。双子がまだ学生だった頃に勉強の一環で連れていかれた展示館は、薬品臭くて湿っぽくて、どうにも好きになれない場所だった。
職員が淡々と話す魚の生態もつまらないことこの上なく、アリトラは途中で寝てしまったし、勉強が好きなリコリーですら退屈を隠しきれなかった。
「ラスレの『エミュート』の真似か?」
ホースルの隣で小皿を並べていたカルナシオンが尋ねる。親戚から貰った有名店のラスクをお裾分けに来て、そのままセルバドス家のティータイムに引き留められていた。
「あれより魔法技術を使ってるって話だけど、俺は詳しくないからね。ジェスト・パースって人が監修してるらしいよ」
「あぁ、パースさんか。アカデミー出身で光魔法の天才なんて持て囃されてた人だ」
「知ってるの?」
「何度か仕事で意見を伺いに行ったことがある。気難しい人って聞かされてたけど、リノさんに比べれば百倍マシだ。双子、レーズンバターとシュガーレーズンはどっちがいい?」
双子は声を揃えて「どっちも」と返す。
カルナシオンが今口にした「リノ」とは双子の母方の伯父の一人であり、アカデミーに所属している。人嫌いの変わり者で扱いの難しい男であるが、身内である双子にとっては優しい伯父さんである。
「だと思った。……あれ? でもまだその水族館って開館してないんじゃないのか?」
「そうなんだけどね、プレオープンのチケット貰ったんだよ。常連さんから」
「お前の店の常連って閑古鳥のことか」
「失礼だなぁ。うちに来る閑古鳥はセンスがいいんだよ」
カルナシオンの揶揄に、ホースルは平然とした口調で返す。双子が記憶する限り、二人はいつも軽口の応酬ばかりしていて、仲はいいのだろうがいまいち踏み込んでいないような印象があった。
「どうせ軍人だろ」
「ガルジス少佐が店に来て、急に要り用になったものを買ったんだけど、ほんの少しだけ代金が足らなくてね。ツケでいいって言ったら、詫びとして渡されたんだ」
「双剣殿か。あの人、強いんだろうけど、とことん中央区が肌に合わないんだろうな。いっつもイライラしてる」
十三剣士隊に所属する『双剣』ガルジスは、その名の通り二本の剣を操る軍人であり、ホースル達より五歳ほど年上である。
普段は中央区ではなく生まれ育った農場で畑を耕している変わり者で、「都会は肌に合わない」が口癖だった。農作業中の姿は農夫にしか見えず、どこからか来た傭兵が襲い掛かって全員返り討ちにされた、という武勇伝は冗談半分で語られている。
「どこかで不味い珈琲でも飲んじゃったんじゃないの。そういえば、お店はまだ再開出来ないの?」
「あともう少しだな。何だ、俺の珈琲が恋しくなったか」
「違うよ。アリトラが暇してるんだよ」
ホースルは呆れ顔で言いながら、珈琲カップの並んだトレイを持ち上げた。双子の待つリビングまで運ぶと、テーブルの上にそれを置く。
「リコリーが風邪ひいてる間はそれなりに忙しかったみたいなんだけどね」
「おー、そういやリコリーはもういいのか?」
「はい。熱も下がったし、お医者さんにも問題ないって言われました」
一週間前まで伝染病の一つ「二十日熱」で寝込んでいたリコリーは、明るい声で返した。
「でも職場復帰は来週だろ? 折角だから二人で水族館でも行ったらどうだ?」
「えー、でも魚いるだけでしょ」
展示館のイメージが払拭出来ないアリトラは苦い表情をしながら珈琲を全員の前に配膳する。
「お魚は食べる分にはいいんだけど、生臭いのがちょっと苦手」
「だから展示館とは違うんだって。といっても俺もラスレのしか知らないけどな」
カルナシオンはどう説明したものか悩むように眉間を寄せ、ホースルに振り返る。
「おい、ホースル。プレオープンってことは何か目玉があるんだろ?」
「あー、確かそんなこと書いてあったね。ペンギンの赤ちゃんがいるんだって」
「ペンギン?」
「赤ちゃん?」
リコリーとアリトラは驚いて声を出す。
フィンは寒冷な土地なので、偶に海で流氷やペンギンを確認することが出来る。だが、それは大抵成鳥であり、雛鳥を見たことはなかった。
「うん。それと透明イルカの展示」
「透明イルカって、あの透明化魔法を生まれつき所持している神秘の哺乳類……?」
「巨大水槽に入っててね。光魔法を使った不思議なパフォーマンスが見れるんだって」
「不思議なパフォーマンス?」
双子はその魅力的な単語に、互いの顔を見合わせた。
「ペンギンの赤ちゃんって小っちゃくてフワフワで可愛いらしい」
「それだけでも見てみたいね。光魔法のパフォーマンスっていうのも気になるし。父ちゃん、それっていつでも行けるの?」
「いや、俺が貰ったのは明日の入場券だけだよ。招待枠が限られてるから、日別で分けてるみたいだね。行くの?」
ホースルの問いに双子は揃って頷いた。
「じゃあ明日は早く起こしてあげないとね」
「ロンが暇なら連れて行こうと思うんだけど」
アリトラがそう言うと、カルナシオンは首を竦めた。
「あいつ、この前の事件で試験を途中で放り出しただろ。それの補習があるから駄目だ」
「何それ。融通利かないなぁ。試験免除ぐらいしてあげればいいのに」
不満そうに言うアリトラをリコリーが窘める。
「ロンだってあまり特別扱いはされたくない筈だし、先生たちの立場もあるから仕方ないよ。オープンしたら、もう一度一緒に行けばいいじゃないか」
「それより、双子。ラスク食べなくていいのか」
カルナシオンにそう言われた双子は、慌ててラスクに手を伸ばした。
掌に乗るほどの小さなラスクは、縁を香ばしく焼き上げていて、それでいて焦げの一つもない。表面には薄く砂糖が塗られているため、齧るとほのかに甘い味が広がる。
「シュガーレーズン乗せちゃお」
アリトラはラスクの皿の横に置かれた器を取り、中に入っているレーズンをスプーンで掬いあげた。砂糖でレーズンを煮詰めた甘いもので、フィンでは冬の時期によく作られる。風邪を引いたときなどは、このシュガーレーズンをカップに入れて、温かいミルクを注ぎ、ブランデーを一滴垂らすのが定番だった。
ラスクに載せたシュガーレーズンを一口で頬張ったアリトラが、幸せそうに頬を緩ませる隣で、リコリーは別の器を引き寄せる。
「僕はレーズンバター」
バターにレーズンを練りこんで塩気を利かせたそれは、トーストに塗るものとして昔から人々に好まれている。パンにバターレーズンを塗って、丸めて、表面を焼き上げた菓子が「罪深いレーズンの丸太」と呼ばれているほどだった。
ラスクの上にバターを塗ったリコリーは、大きく口を開けて半分齧る。ラスクが砕ける小気味の良い音が漏れた。
「あれ? このバターレーズンって、もしかしてマスターのですか?」
「あぁ、どっちも俺が持ってきたやつだ。なんだ、口に合わなかったか?」
双子は首を左右に振る。
「父ちゃんと違う味がしたから、ちょっと驚いただけです」
「アタシはよく喫茶店で食べてるから、すぐわかったけど。シュガーレーズンはマスターのも美味しいね」
「ホースルのより甘くないだろ? 使ってる砂糖や塩が違うからな」
何もつけずにラスクを齧っていたホースルが「そうなの?」と声を出す。
「家庭によって味が違うとは聞いたことがあるけど」
「それは大袈裟だが、先祖が何処だったかによって違うのは確かだな。俺は北の方から流れて来た家系だが、セルバドスはずっと中央区だっただろうし」
「ふーん、いろいろあるんだね。俺はフィンの出身じゃ無いからなぁ。双子はどっちが好き?」
ホースルの問いに二人は顔を見合わせて悩みだした。
「どっちも美味しいよね」
「シュガーレーズンを何にもつけずに食べるなら、マスターのほうが断然美味しいけど、クラッカーに載せて食べるなら父ちゃんのほうが美味しいし」
「レーズンバターも、トーストした時の焼き加減で味が変わるよね。難しい質問だよ」
「あ、ごめんごめん。そんな真剣に考えないで」
慌てて双子を制止したホースルを見て、カルナシオンが声を立てて笑う。
「お前、双子にそんな質問したら、一日待っても結論が出ないぞ」
「まさかそんなに悩むとは思わなかった。……お前たち、水族館の魚を見て料理の話なんかしないようにね」
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