3-10.三等分の罰

 視線は床に注がれたままだった。だが、その言葉が自分に向けられたものだと知る人間が、たった一人だけそこにいた。

 新米軍人、メーラル・アルコは青ざめた表情で口を開く。


「何のことですか」

「遺体を動かした人間は、その手から剣を抜き取ってストラップを握らせた。そんなことが出来るのはアルコだけだよ」

「そんなこと、私以外でも出来ます」

「……ストラップを握らせる意味ってなんだろうね」


 アリトラが問いかけるような静かな口調で言った。誰も答えなかったが、それに構わず続きを話し始める。


「だってあれ、この世界に五つしかないんだよ。剣を持ち去ってストラップを握らせたってことは、この事件を猟犬の仕業に見せたかったってことでしょ。つまり今まで正体不明だった猟犬の容疑者を、一気に五人に絞ることになる」


 赤い瞳がメーラルを見て、ロゼッタを見て、そしてリッタを見てから元の位置に戻る。


「そして裏を返せば、今もストラップを身に着けている人間は容疑者から外れることが出来る。遺体を動かした人間は、誰かを庇うためにそんな細工をした」

「貴女の言っていることは見当違いです」

「つまりストラップを握らせることで、犯人を庇えることを確信している人間じゃないといけない」

「セルバドス! やめてください!」


 メーラルが引きつった声を出すが、アリトラは止まらなかった。そして、先ほどからリッタの後ろで黙り込んでいるロゼッタへと視線を動かした。


「この中でストラップの所在が唯一わかっているのは、オードラだけ。そしてオードラがストラップを精霊瓶につけているのを、アルコは知っていた。昨日の朝、精霊瓶を使って開錠をしていたところに出くわしたから」


 静寂が場を包む。誰もが黙り込んで、息をするのも重苦しいような空間。やがてそれを破ったのは、小さな嗚咽だった。

 椅子に座り込んだままのロゼッタが静かに涙を流していた。


「……オードラ。話してくれる?」


 アリトラが促すと、ロゼッタは大きく溜息をついて、涙を掌で拭った。


「ネイル師範が……猟犬ではないかと気付いたのは、彼の剣を誤って手に取ってしまった時です。刃に血を拭った痕跡がありました」


 その前日には女の子が一人、「猟犬」に襲われていた。新聞で傷の深さや箇所を知っていたロゼッタは、刃に付着した痕がそれにほぼ一致することに気が付いた。


「師範の持ち物を、練習中にこっそり調べました。それに施錠記録も。切り絵の型が荷物の一番下から出てきて、事件の日は必ず最終退場者として記録されているのを見た時に疑惑は確信に変わったのです」

「動機は?」


 アリトラが尋ねると、ロゼッタはその顔を見返して口元を緩めた。


「セルバドス。貴女は彼と試合をしたことがありましたね」

「非公式だけど」

「剣を交えてみて、どうでした?」

「あまり強くはなかった」


 素直な感想に対して、ロゼッタは大きく頷いた。


「彼の地位は本来の実力を金の力で底上げしたものです。彼は自分が勝てそうな人間にしか勝負を挑みませんでしたし、倶楽部の中には彼に配慮して手を抜く者もいたぐらいです」

「でもそんなの長続きするわけない」

「えぇ、そうです。彼も自分の才能が、せいぜい剣術部の後輩相手に威張る程度のものでしかないことを悟っていました。でもそれを認めるには、彼の自尊心が高すぎたのでしょう。だから自分が勝てる素人相手に通り魔を」


 ロゼッタの上品な顔立ちが醜く歪む。元からキースのことを快く思っていなかったことが歴然だった。


「でもどうして、刑務部に言わなかったの?」


 継続的に起きている事件や事故に関しては、刑務部が市民からの通報を受け付けている。それは匿名でも可能な仕組みとなっていて、実際にいくつかの事件は通報により解決している。


「……通報する前に、父に相談しました」


 王宮剣術倶楽部の責任者でもある父親は、娘からの相談内容に対して「黙っていろ」と告げた。名門流派から通り魔が出たとなれば、スキャンダルになる。それを恐れたものと思われた。


「だからって、自分で殺すことはないと思う。お父さんが何を言っても……」

「オードラ王宮剣術倶楽部に属するのは、いずれも王政時代からの名門貴族や王族に連なるような者ばかりです。転じて今は軍の上層部や政府高官、制御機関の役職付きも多い。彼らは自分達の安寧のためであれば、彼の罪ぐらいは簡単に握りつぶしてしまう」


 ロゼッタは憎々し気に呟くと、拳を握りしめた。


「ネイル家は裕福で、うちの道場に沢山のお金を落としてくれました。父からすれば、下手な真似をしてその金を失いたくはなかったのでしょう。次の犠牲者が出たのは、私が父に相談した翌日のことでした。父は名声と金のためにネイル師範のことを見逃そうとした。そして私は父に逆らってまで刑務部に直談判する意思がなかった。私も父も共犯のようなものです」

「だから自分で殺したって言うの?」


 信じられない思いで問うアリトラに、ロゼッタはあっさりと頷いた。誤魔化すつもりは微塵もない、事実に淡々と応じる姿がそこにあった。


「私はネイル師範も、父も、そして自分も許せなかった。だから等分に罰を与えることにしました。ネイル師範には死を、私には殺人の罪を、そして父には悪名を」

「殺してからすぐに立ち去ったのは、罪を隠すためじゃない。彼が猟犬であると世に知らしめてから出頭するためだね?」

「そうです。父やその周りの方々は、きっとネイル師範の罪を消そうと躍起になる。そして彼らが疲弊したところで私が彼を殺した証拠を携えて出頭すれば……もう彼らに隠しきる力はないでしょう」


 キースが最後まで道場に残った日、つまりは昨日の夜、ロゼッタは行動に移した。外套を羽織って、スカーフで髪の色を隠し、そして短刀を握りしめたままキースの前方を歩いた。なるべく弱弱しく、無警戒に見えるように。


「彼は面白いほど、よく引っ掛かってくれました。心臓に短刀を突き立てた時の彼は、何が起こったかわからないという表情をしていましたわ」


 ロゼッタは再度溜息をつくと、メーラルを見た。


「友情というのは美しいものですわ。なんの瑕疵もない貴女を隠蔽工作に駆り立ててしまうだなんて。そのせいでセルバドスにバレてしまいましたけど」

「……あの乾いた血の意味がわかりませんでした」


 メーラルは後悔するかのような声で呻く。


「そのままにするのが正しかったんでしょう。そうすれば見破られることはありませんでした。ですが、でもあれがネイルさんの残した犯人手掛かりだとしたら……。そう思って、つい遺体を動かしてしまったのです」

「貴女が気に病む必要はございません。いずれ私は罪を認めるつもりでしたから。貴女の純粋な友情に感謝します」


 だが、メーラルは首を左右に振った。


「私はそんな褒められた人間ではありません。軍人でありながら犯人を隠匿するような真似をしました。それに……貴女は勘違いしています」

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