3-11.異なる価値観

「勘違いと申しますと?」


 メーラルはロゼッタから視線を逸らし、アリトラを見た。


「貴女はわかっていますね、セルバドス?」

「多分ね。被害者の持っていたロングソードはどこに隠したの?」

「このアパルトメントの屋根裏です」

「バセルーがいる家の庭にでも放り込めばよかったのに。道場関係者の引っ越しなんだから剣があっても不思議じゃない」

「えぇ。門の施錠はされていませんでしたからね。けどそうすると、バセルーに疑いがかかるでしょう」


 両者は口を閉ざし、視線だけを交わす。やがてアリトラが口元に笑みを浮かべた。


「ミソギさんに、自分のストラップは紐が切れてるって言ったんだってね。後で切って、実家に送るつもりだった?」

「嘘だと見抜いていましたか」

「バセルーが覚えてたよ。アルコとオードラは貰ってすぐに仕舞いこんでたって。剣で紐を切っちゃうような隙はなかったんじゃない?」

「あぁ、そんなことを覚えているとは盲点でした」


 メーラルは大仰な仕草で肩を竦めて、首を左右に振る。右手を上着の内ポケットに入れると、そこから花飾りのついたストラップを取り出した。


「意外と鋭いですね、セルバドス」


 右手が振られて、ストラップが宙を横切る。アリトラはそれを両手で受け止めると、目立った傷や汚れがないのを確認した。


「これ、アタシのだね」

「三日前に拾いました。翌日にバセルーに会いましたから、彼女の物でないこともわかりました」

「そうだね。バセルーは二日前に来たって言ってたし」

「えぇ。それに昨日、オードラに会いに行ったら精霊瓶につけてるのが見えました。残りはセルバドスかコンセラスです」

「アタシに届けようとした?」

「『マニ・エルカラム』の爆破事件で青い髪の従業員が怪我をしたことは知っていました。今日あたりにあの商店街に行ってみようかと思っていたんです」


 二人の会話が途切れると、それまで蚊帳の外に追いやられていたミソギが口を挟んだ。二人の応酬の意味を朧気ながら理解したためだった。


「ちょっと待ってくれるかい? じゃあアルコ二等兵は、アリトラ嬢に罪を着せようとしたってこと?」

「そんなに上手くいくとは思えない。一人ひとりのアリバイとかもあるし。でも万一誰かが罪を被るなら、アタシでいいって思ったんじゃない?」

「それは……」


 何故、と続けようとしたミソギの目に入ったのは、アリトラが握っている軍刀と、それに映るアルコの苦い表情だった。

 その時、直感的にミソギは動機を理解する。しかしそれは、信じられないようなものだった。普段なら気の迷いとして片付けるような荒唐無稽な考えを、ミソギは一つの確信を持って口にする。


「……一人だけ、剣の道に進まなかったから?」


 道場にも入らず、軍にも入らず、剣を握り人助けに身を粉にするでもない。かつて同じ剣術部として肩を並べていた五人のうち、アリトラだけがその道を捨てた。


「多分、アルコがオードラを庇ったのは、その腕を惜しんだため。その点、剣を捨てたアタシなら構わないと思ったんでしょ。違う?」

「……その通りです」


 最早誤魔化すこともないと思ったのか、メーラルはたった一秒の諮詢だけ挟んで答えた。


「軍に入ってわかりました。貴女の剣は非常に実戦的です。戦場であれば貴女が一番強い。それを捨てるぐらいなら、他の有望な……オードラの剣の道の糧にしたっていいでしょう」

「そんな無茶苦茶な話があるか!」


 リッタが怒りを含んだ口調で言った。


「誰がどんな道に進もうと自由だろ。アタイやオードラみたいに剣術道場の娘に生まれた奴は別として、セルバドスがどう生きようと自由じゃねぇか!」

「私は剣で救える命がいくつあるか考えました。キース・ネイルが生きていたら、尊い命がいくつも失われた。オードラはそれを阻止しました。剣で命を救ったのです。剣すら握らないセルバドスは、私の価値から外れています」

「あのなぁ!」


 怒鳴るリッタの傍らで、ロゼッタは茫然としていた。

 メーラルが罪を被るつもりで、あんな妙な細工をしたのだとロゼッタは思いこんでいた。だが目の前で明かされたのは、無関係の人間に対して罪を着せようとしていた事実だった。


「剣は握ってるよ、今でも」


 アリトラはリッタを手で宥めながら口を開く。


「でもね、アタシは大した人間じゃないから。皆みたいに人を助けようとか、剣の道を究めようとか考えたことなんてない」

「遊びだったんでしょう、貴女には」

「そうかもね。入賞するとアタシの何倍も喜んでくれる片割れがいたし、その日は御馳走を作ってもらえるし、ぐっすり寝れるから剣術は好きだった。それにアルコ達とも戦えるしね」


 右手に持った軍刀を、アリトラをメーラルの眼前に突き付ける。敵意や殺意はそこになく、試合を申し込むかのような洗練された仕草だった。


「アタシは今も昔も自分のためにしか剣は握らない。アタシから無理矢理剣を取るのも、握らせるのも不可能。それが気に入らないのなら、今ここで勝負してあげるよ、アルコ」

「……その言い方は卑怯です」


 メーラルは剣の先を見つめたまま呟いた。


「思い出しました。貴女の片割れ……大会にいつも顔を出していた背の低い黒髪の男の子ですね。勝っても負けても二人で楽しそうにおしゃべりをしていました。……あぁ」


 嘆きに似た苦笑がその口からこぼれた。


「それではどう足掻いても、私は勝てませんね。貴女は最初から優劣の中にいないのですから」


 剣術を楽しんでいただけのアリトラは、メーラル達とは徹底的に価値観が違っていた。何のしがらみもなく、こだわりもなく、それがアリトラの剣を強くした。それを別の価値観で見ても何の意味もない。


「最初は自分で罪を被るつもりでした。貴女のストラップが手元にあったから、魔が差したのです。申し訳ないことをしました」


 謝罪をするメーラルを見て、アリトラは剣を下げる。そしてその目の前まで近づくと、優しく肩を叩いた。


「気にしなくていいよ、アルコ」

「許してくれますか?」

「まぁ、実際に捕まったわけでもないし、冤罪未遂ってところだし」


 アリトラは悪戯っぽく笑うと、右手を大きく振り上げた。


「これで勘弁してあげる」


 直後、紙風船を打ち抜くかのような炸裂音が響き渡った。

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