3-2.王宮剣術倶楽部

「すみません。フィン国軍から参りました。どなたかいらっしゃいますか」


 中に向かって声を掛ける。暫くすると軽やかな足音が奥から近づいてきた。

 大理石で出来た床を叩くような音。それが朝の静寂の中に反響する。やがて二人の前に現れたのは、木綿で出来た練習着を身に着けた一人の少女だった。


 赤茶の髪を三つ編みにして後ろにたらし、元々癖が強いのか顔の左右に下がった髪はゆるくウェーブがかかっている。垂れ気味の大きな瞳は茶色で、そこに天井から下がったシャンデリアの光が映りこんでいた。


「お待たせいたしました。何か御用ですか?」


 しなやかな体つきと穏やかな物腰からは、その少女が剣術を嗜むようには思えない。だが両手に残る傷や痣の痕は、決して彼女が手習い程度で剣を握っていないことを示していた。


「こちらにキース・ネイルという方がいると思うのですが」

「ネイル師範ですか? それが今日はまだお見えになっておりませんの。遅刻するような方ではないのですが」


 頬に手を当てて首を傾げる様子は、剣術道場にいるより図書館にいるほうが似合っていた。だが、二人を観察する目に隙はない。


「実は今朝、何者かに殺されているのが発見されました」


 ミソギがそう告げると、少女は目を大きく見開き、それから唇を何度か戦慄かせた。どこか怒っているようにすら見える表情だったが、彼女自身が唇を噛み締めてしまったので、即座に視界から消え失せる。


「どういうことですか?」

「お話を伺いたい。責任者の方は?」

「父は遠征でおりませんの。今は私は代行を務めています」


 少女は洗練された動きで礼をすると、背筋を凜と伸ばした。


「当道場の師範筆頭、ロゼッタ・オードラです。宜しくお願い致します」

「娘さんですか。失礼だが、随分若いようですね?」

「十八歳になります。去年、西区学院を卒業したばかりです」

「では生まれはそちらの方で?」

「いいえ、中央区の生まれですが、剣術が盛んな西区の方が良いと父に勧められましたの。六歳から十八歳まで西区の親戚のところに身を寄せておりまして、夏に戻って来ましたが、この道場もつい数週間前に移転したばかりで、私はどうにも慣れませんわ」


 ロゼッタはミソギとカレードを交互に見ると、小さく首を傾げた。


「間違っていたら申し訳ありません。十三剣士の方ですよね?」

「あぁ、失礼。俺がミソギ・クレキ。こっちがカレード・ラミオン。どうもキースさんは剣で刺されたそうなので、俺たちのほうが適任かと思ったんですよ」


 そう言いながら、ミソギは頭の中でオードラという名前を思い出していた。王政時代の大貴族の一つで、「軍神」と言われた先祖を持つ一族。その剣術は男女を問わず幅広のロングソードを用いて、剛撃を放つ。

 かつてその先祖たる「軍神」が残した、敵国の門を叩き斬ったという伝説を真似るかのように。


「左様でございますか。……ネイルさんは熱心な方でした。昨日も随分遅くまで練習をしていたようです。今朝私が来た時に施錠を確認しましたら、深夜の十二時になっていましたから」

「施錠の確認はどうやって?」

「魔法陣を使っておりますの。我が道場はフィン国伝統の王宮剣術。フィンの人間……つまり精霊瓶をお持ちでない方にはご遠慮頂いております」


 失礼、とロゼッタは二人が立っている玄関の扉に近づくと、その持ち手にある魔法陣を指さした。白く輝く魔法陣にはロゼッタの名前が浮かび上がっている。


「個人所有の精霊瓶をかざすことで開錠し、時刻と名前を表示するものです。シンプルですが、これが確実ですわ」

「なるほど。俺やカレードが門扉をくぐるのはご法度だったかな?」

「とんでもございません。十三剣士のような方には無粋というものでございますわ」


 笑いながら言ったロゼッタだったが、ミソギ達が何をしに来たのか思い出したのか口を閉ざす。


「キースさんはどこで?」

「此処から数分ほど行った先にある十字路です。第一発見者は犬を散歩していたご老人。可哀そうに、まだ寝込んでいるそうです」

「お気の毒に……。キースさんは練習の後ですから剣を持っていたはずです。応戦の痕跡などは?」

「それが全く。……参考までにお聞きしますが、彼に正面から切りかかって心臓を貫くことが出来る人は、此処にどれぐらいいますか?」


 ミソギの問いにロゼッタは眉を寄せる。


「難しい問いですわ。実際に試合をする時には肩や頭を狙いますから。でもそうですね……父なら間違いなく。それに彼よりも段位が上の者なら可能でしょう。私もそうですけれど」


 特に隠す様子もなく実力を曝け出した相手にミソギは先ほど遺体から回収したものを思い出して尋ねてみた。

 特徴や大きさ、そして花の細工のことを話すと、ロゼッタは「ああ」と呟いた。


「それは私が十六歳の時に、女子剣術大会の開催百回記念として、審査員が決めた「特別賞」の受賞者に与えられたものですわ。全部で五本です」

「どなたが持っているか調べることは可能ですか?」

「えぇ。……一本は此処に」


 ロゼッタは腰に下げていた精霊瓶を手に取ると、二人に見えるように掲げた。そこには先ほど見たのと同じストラップが巻き付いていた。


「貴女がそのうちの一人、ですか。では他の四人は?」

「……一人はメーラル・アルコ。北区の名門軍人家系の出身です。学院卒業と共に軍に入ったと聞きました。北区の……警備軍でしたかしら。年は私と同じです」

「アルコ将軍の?」

「お孫さんにあたります。今は中央区にいますわ」


 ミソギはそれを聞いて疑問符を返した。フィン国軍は大きく五つの地区に分かれ、その中で更に細分化されている。徴兵制度がない代わりにそれぞれの隊の役割が明確化されているため、余程のことがない限りは転属はない。

 まして北区の軍人が中央区に来るような任務というのも、ミソギには思い当たらなかった。


「転属かい?」

「いいえ。確か演習だと言っていましたわ。昨日の朝、開錠をしているところで会ったのです」

「演習ねぇ……。まぁいいや、次は?」

「二人目は一つ上のリッタ・バセルー。バセルー流というのはご存知ですか?」

「有名な剣術流派の一つだね。うちの隊にもいるよ」

「『凍剣』殿ですね。存じております。三人目はネイ・コンセラス。この方も一つ上ですわね。剣術家として各地を転々としている、生粋の剣好きですわ。うちにも剣客として滞在していました」

「彼女は俺も名前を知っているよ。どこかで山賊を切り伏せたの、野犬から子供を守っただの、英雄扱いされているからね」

「えぇ。そして……」


 ロゼッタは少しだけ言葉を止めると、懐かしむように目を細めた。


「アリトラ・セルバドス」

「……は?」

「どこで何をしているかさっぱりわかりませんが、彼女が四人目です。ご存知ですか?」

「……まぁ、色々と。あの子、剣術出来るんだ」


 ミソギがそう呟く隣で、その腕を知っているはずのカレードは無言だった。アリトラの名前を一向に憶えない男にとって、今の名前は他の三つと同じ「知らない人間の名前」に過ぎなかった。

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