第3話 +Fencer[剣士]
3-1.猟犬
その男は驚愕のためか衝撃のためか、大きく目を見開いた状態で事切れていた。瞳孔は開き切り、体は死後硬直で固まっている。仰向けになった胸には大きな裂傷が刻まれ、服にも地面にも血がしみ込んでいた。
「心臓を一突き、か」
ミソギ・クレキはその裂傷を覗き込んで肩を竦める。
「どう思う?」
「通り魔に突然襲われたんだろ。今話題の「猟犬」に」
当然と言わんばかりに答えたのは、カレード・ラミオンだった。朝焼けの日差しの中で、美しい金髪が透き通るような輝きを見せている。
老若男女を虜にすると言われる美貌の剣士を前に、五年来の付き合いであるミソギは鼻で笑った。
「それぐらい子供でも答えられるよ。何しろ、奴の犯行を示す紙細工が残されているんだから」
遺体の血だまりの中には紙で作られた犬の切り絵が浮かんでいた。血を吸って真っ赤に染まった犬は大きく口を開けて牙を向けており、まるでその牙で死者を食いちぎったと言わんばかりだった。
このところ、中央区では謎の通り魔「猟犬」の話題で持ち切りだった。夜道を歩く人間に突然斬りかかり、置き土産として切り絵の犬を置いていく。これまでの被害者は成人女性が二人に成人男性が一人、未成年が二人。腕や足を刺されて全治数か月の怪我を負うのが今までのパターンだったが、死者は初めてだった。
「俺が言いたいのは、犯人は相当な手練れだってことだ」
「何でわかるんだよ」
「被害者に防御した形跡がない。傷が背中側にないことから、犯人は正面から彼に襲い掛かったはずだ。手や衣服に他の傷がないのは不自然だよ」
「急に襲い掛かられたら、そういうこともあるんじゃねぇの」
「お前のその目はガラス玉かい? 彼の右手を見てみなよ」
ミソギは死体の右手を指さした。胸の傷に触れたのか真っ赤に染まっていたが、乾ききった血は数か所が不自然な盛り上がりを作っていた。
「あれ? こいつ、剣やってたのか」
「そう、これは剣を握ることにより出来るタコだ。傍に落ちている荷物にも練習用の木剣が袋に包まれた状態で入っているし、何より俺は彼を見たことがある。名前は忘れたけど」
「ふーん。……左手に何か握ってるみたいだぜ」
カレードは死体の傍にしゃがみ込むと、右手と違って血液の付着が殆ど見られない左手に顔を近づける。そちらにも剣術によるタコが多く見られた。拳の形に握りこまれたその手の隙間から、何か光るものが見えた。
「こいつ左利きだな」
「そうだね。どっちもタコが多くてわかりにくいけど、右手にはない指の癖がある。少なくとも文字を書くときは左だね」
左手の中指第一関節が盛り上がっているのを二人は目ざとく見つけていた。剣一本で戦場を駆け回る二人にとって、相手の利き手や癖を探すのは難しいことではない。
「開いてみるか?」
「手袋は……つけてるか。じゃあお願いするよ」
革手袋を嵌めた手で、カレードは遺体の指を一本ずつ丁寧に開いていく。死後硬直はしていたが、まだ完全に固まりきってはいない。
「この硬直からして、死後五時間ほどかな。真夜中に襲われたと考えた方がよさそうだ」
「真夜中だったら、いくら剣が出来ても無意味じゃねぇか? 周りもよく見えないだろうし」
「それは犯人にしても同じことだよ。何持ってた?」
開かれた手の中から、カレードが何か長いものを摘まみ上げる。朝日の中でも光って見えるそれは、装飾具の一種のようだった。
女性のネックレスよりは短く、ブレスレットよりは長い革ひもに、銀色の糸が縫い込まれている。その輪にフィン国の国花を模した銀細工が通してあり、裏には微かに文字が刻まれていた。
ミソギはカレードの肩越しに顔を近づけて、その文字を読み取る。
「剣術大会……?」
「あれじゃねぇか? サンカショーってやつ」
「バケツがどうしたって? ……あぁ、参加賞か。お前、アクセント変だよ」
剣術大会の参加賞となると、本人の持ち物かもしれない。そう考えたミソギだったが、カレードが横から口を挟んだ。
「それ女物じゃねぇの?」
「何でそう言えるんだよ」
「花って女向けだろ? 男なら剣とか国章とかだと思うけど」
「……あぁ、一理あるね」
銀細工は親指の先ほどもあり、デザインとしては大振りだった。男性に贈るようなものとは思えない。
「犯人の手がかりかもしれないから、刑務部に預けておこう」
「ったく、通り魔の見回りさせられたと思ったら、初日で死体に出くわすとは思わなかったぜ」
「滅多なこと言うもんじゃない。今までは人の命までは奪わなかった「猟犬」が、とうとう他人様の首にかみついたんだからね。次の犠牲者を出す前に捕まえないと、軍や刑務部に苦情の嵐だよ」
ミソギが近くにいた刑務部の若手を呼び寄せると、遺体から回収した装飾具のようなものを渡した。念のために尋ねてみたものの、その物体が何かはわからないとの答えだった。
だが、偶然にもその若い魔法使いは、被害者が誰かを知っていた。
「有名な剣術家ですよ。家が近所なので名前だけは良く知っています」
「名前は?」
「キース・ネイルです。年は確か二十三歳。『オードラ王宮剣術倶楽部』の師範だそうですよ」
「あぁ、王政時代の剣術を研究している場所か。此処から近いのかな?」
「すぐ其処です。今から責任者を呼んでこようかと思っていたところですが、どうしましょうか?」
「代わりに行くよ。剣が絡んでいるとなると、俺たちのほうが適任だろうからね」
道を教えてもらった二人は、その言葉の通り徒歩十分の場所にある大きな建物の前に辿り着いた。
二人は何度かこの近くを通りかかったことがあるが、そこに剣術道場があることには全く気付いていなかった。
「王宮剣術倶楽部、ねぇ。名前はなんだか軽いな」
カレードの素直な感想に対してミソギは否定を返す。
「有名な道場だよ。俺たちの部隊だと、アリデウスが此処の出身だね。所謂良家のお坊ちゃん、お嬢ちゃんの中でも特に武闘派なのが集められた倶楽部だ。名前で甘く見ると痛い目を見る」
「
「道場破りしに来たわけじゃないんだから。でもこんな場所だったかな? 第五地区だった記憶があるんだけど」
建物は二階建てで、白い石造りの堂々たる門構えをしていた。門には大理石に箔押しで、道場の名前が刻まれている。
ミソギは門を潜ると、既に開いている玄関の方へと向かった。門から玄関の間はさして距離もないが、芝生が敷き詰められて、小さな噴水まである。如何にも高級嗜好で上流階級の通う場所のように思われた。
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