1-12.犯人・動機・殺気
「彼が使用済みのグラスを洗わなかったのは、このグラスに他の仕掛けがあることを懸念していたからだ。双子ちゃんの推理では一杯目は無害なもので、二杯目がブラントン氏を死に至らしめるものだった。これについては俺も異論はない。でもそれを彼が把握していないとしたら?」
「把握していないって……自分で出したんでしょ?」
「勿論そうだ。でもね、用意したのが別の人間だとしたら話は異なる。正体不明な物に人は慎重になるものだ」
バーテンダーの男は動かない。リムの銃口が揺らがないのを察して、大人しくしているようだった。
「別の人間が、凶器の氷を用意したんだよ。このバーテンダーはあくまで実行犯。計画をしたのは別の人間だ」
「殺し屋さん、ってこと?」
アリトラが恐る恐る確認する。リムはそれにあっさりと肯定を返した。
「ブラントン氏が此処に来たのは、偶然なんかじゃない。誰かが指示をしたからだ。『会長のスピーチが始まったら、此処で待っていて下さい』とか言ってね。だから彼は招待客なら列席すべき場にいなかった」
「誰かと待ち合わせの約束をしていたってこと? だったらどうして二杯目を持って何処かに行っちゃったの?」
「また別の伝言があったからさ。そうだよね、バーテンダー君?」
リムは微笑みながら、銃口を相手の頭蓋にねじ込むように力を入れる。小さな舌打ちが答えの代わりに口から漏れた。
「此処にずっといるバーテンダーが「待ち合わせ場所が変更になりました」なんて言っても信用されないけど、外から来た軍人が「伝言」をしに来たならどうだろうね」
「じゃあ此処に見回りに来る軍人さんを……。あ、違う」
矛盾に気が付いたアリトラは、途中で声量を少し上げた。プールの中にその声が響く。
「最初に取り調べした人が言ってた。「見回りは支給された水と食料しか口にしない」。なのにバーテンダーさんは「軍人さんがこっそり飲みに来る」って言ってた」
「その通り。俺も一応元軍人だからね、フィン国軍の規律ぐらいはまだ覚えているよ。何かあればすぐに逃げることも出来ない船上で、見回りが不用意に飲食をするわけがない。従って、その軍人は偽者だよ」
リムの紫色の瞳が、リコリーの背後を見る。そこに立っていたのは、出て行ったはずの軍人だった。三人の動向をずっと見守っていたのか、顔には焦燥と共に興奮に似た笑みが浮かんでいた。
右手には抜き身の剣が光り、切っ先は双子を向いている。臆病な気質のリコリーが悲鳴を上げたのに対して、アリトラは果敢に睨み返した。
「殺せ!」
バーテンダーが叫ぶ。同時にリムが引き金を引く音がプール内に反響した。アリトラはハイヒールの踵で床を蹴りつけるようにして立ち上げると、グラスを手に取って思い切り偽軍人へ投げつける。
鋭く正確な投擲は、相手の顔面に的中し、中の水分を散らすと同時に隙を生み出した。ワンピースの裾を大きく割って踏み込み間合いに入ったアリトラは、右手を拳の形に握りしめる。短い息吹と共に突き上げられたその軌道は、偽軍人の右手の親指近くにある急所に入った。
親指は他の指に比べて可動域が広いため、神経も多く集まっている。その根本は軽い力で打撃しただけで痺れを生じる。一見すると可憐な少女の突然の攻勢にたじろいだのか、あるいはただの油断か、偽軍人の手から剣が落ちてプールサードへと滑った。
「リコリー!」
「わかってる」
片割れの呼びかけより先に、リコリーは精霊瓶を握りしめて詠唱を終えていた。
氷魔法を得意とする魔法使いにとって、これほど絶好の環境はない。魔力で水を生じなくとも、プールの中に山ほどある。リコリーが魔法を発動すると、プールから無数の細い氷の鎖が飛び出し、まるで津波のように偽軍人に襲い掛かった。
剣を奪われた偽軍人は慌てて逃げようとするが、その足に鎖が巻き付く。瞬く間に他の鎖が追撃し、四肢を絡め取って宙に吊り上げてしまった。
「軍人の振りするなら、剣術ぐらいマスターしてよね」
情けない様の偽軍人を見て、アリトラが呆れたように言う。リコリーは魔力の調整をしながら、片割れに問いかけた。
「さっきの技は何? 僕初めて見たけど」
「学院時代に覚えた軍式護身術。初めて使ったけど上手く決まって良かった」
「よ、よかったね……」
呆れたように言うリコリーの言葉に被せて、拍手が聞こえた。双子が振り返ると、カウンターの前に立ったままのリムが笑顔を浮かべていた。
「大したものだね。セルバドス一族にしてはなかなか優秀じゃないか」
「リムさん、そっちの人は?」
先ほどの銃声を思い出したアリトラが尋ねる。血の匂いはしなかったが、カウンターに俯せになった犯人は微動だにしない。
「ちょっと脅しで空砲撃ったら、気絶しちゃったんだよ。情けない殺し屋だ」
拳銃を元の隠し場所に戻したリムは、その場を離れて双子の元へ戻る。プールの中に出来上がった氷のオブジェが、天井からの光を半分ほど遮ってしまっていた。
「お兄ちゃん、何か言いたそうだね」
艶やかな笑みと共に、リムがリコリーに視線を合わせる。氷と通して乱反射した照明の光が、その顔を照らしていた。
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