1-11.解けない理由
「バーカウンターに置いたままだったブラントンさんの一杯目のグラスの中には、何もありませんでした。でも二杯目のグラスの中には氷があった。一杯目の氷は何処に行ったのか」
続けてアリトラが口を開く。
「ブラントンさんは「無作法」で有名だった。もしかして氷を噛んでしまう癖がその中に入っていたのかも。お祖父様と食事をすると緊張する……みたいなこと言っていたし」
氷を噛むのは、食事のマナーの中でも悪い方に分類される。そもそも不必要に音が鳴ることをタブーとする習慣の中で、噛む必要のないものを噛んで音を立てるということは、少々マナーに煩い人間であれば眉を顰めるものだった。
「二杯目の氷に仕込まれた魔法陣は、彼のその悪癖によって噛み砕かれ、発動しました。氷を噛み砕くとき、大抵の人は力を入れやすい奥歯を使います」
「ということは使われたのは転移魔法陣かな?」
確認のために問いかけるリムに、リコリーは少し考え込んでから答えを出す。
「もし水を転移させるだけなら、ブラントンさんの食道にも水が入り込んだはずですし、多少吐き出されもしたでしょう。でも実際には死体から出て来たのは魚だけだった。となると、肺の中の気体を水に変換した方法が考えられます」
「想像しただけで苦しくなるような方法だね。でもそれなら魚は? まさか、それも大気から生成したなんて言わないだろうね」
「魚は一種の目くらまし」
自分の口を指さしながら、アリトラが言う。
「本当の凶器を誤魔化す道具であると同時に、恐らく喉を塞ぐ役割を果たしていたはず。魚はある程度大きかったから、転移された途端にブラントンさんは呼吸困難に陥った。それで本能的に空気を取り込もうとして、それが次々に水に変換されたんだと思う」
魚は入り込んだのではなく、そこに転移させられた。双子のその推理に、しかしリムはまだ納得出来ない様子で首を傾げる。
「でもなんで二杯目だったんだろう。一杯目じゃ駄目だったのかな?」
「一杯目に仕込んでしまえば、バーのすぐ傍で亡くなってしまう可能性が高いからです。二杯目を渡せば、プールしかないこの場所で飲むより、他の場所に行くでしょう」
「普通、人が変死ををしたら傍にいる人間が一番怪しいと思われる。アタシ達が疑われたようにね。ブラントンさんに二杯目を渡して「今、甲板から流氷が見えますよ」とか他の場所の見どころを言えばバッチリ」
「でも君達の推理通りだとして、バーテンダーはなぜ同じものを君達に振る舞ったんだろう? そもそも、どうして嘘だと?」
双子は揃って首を右に傾げると、続いて「だって」と口を開いた。
「このカクテルに氷は使われていません」
「これはジュースの比重で三層に分ける繊細なカクテル。氷なんて入れたら色が混じっちゃう」
「だからブラントンさんが飲んだのは別のカクテルです。本人は酒を飲みすぎた、と言っていたから少なくともアルコール入りでしょう。彼が僕らに嘘を吐くメリットはない」
半分ほど飲まれたリコリーのグラスの中で、三層の色はまだその状態を辛うじて保っている。此処に氷を入れてしまえば、温度差や密度差が生じて綺麗に分離しなくなることは明らかだった。
「バーテンダーさんは僕達がブラントンさんの知り合いだと言ったので、氷のないカクテルを彼が飲んだという嘘の証言をしたんですよ。後で僕達が何か聞かれた時に、そう言ってくれることを期待した……保険みたいなものですね」
「正直、蛇足」
リムはそれを聞くと、軽く目を見開いてから口元に笑みを浮かべた。怜悧な眼差しには一種の感嘆が含まれている。
「君達、成長したじゃないか。でも、彼が何故そんなことをしたかはわからないだろう?」
「それなんです。考えても動機がわかりません」
「ブラントンさんが此処に来なきゃ殺人は成立しない。でもバーテンダーさんはずっと此処にいたみたいだし、都合よく誘き寄せることなんて出来るのかな?」
アリトラが疑問を口にする。リムは喉を少し上げてグラスの中身を飲み干すと、最後の仕草まで美しく空いたグラスをテーブルに戻した。
「ヒントを上げよう。どうしてバーテンダーの彼は、ブラントン氏の空きグラスを洗わずに置いていたんだろうね。すぐに洗ってしまえば、君達の目に止まることもなかったのに」
「時間がなかった、とか?」
「まさか。人が来なくて手持無沙汰だったはずだよ。洗ったグラスで別の飲み物を作って、他の人に使わせてしまえば証拠隠滅にもなる。それをしなかった理由は……」
リムは唐突に立ち上がり、ガラスのテーブルに左足を乗せた。履いている白いブーツに打ち込んだ鋲が軽やかな音を立てたが、ガラスのテーブルは微動だにしなかった。
まるで羽が踊る様な軽やかな動きで、リムはテーブルを飛び越え、双子が座っているソファーの背へと飛び移る。
「彼が作った物ではないからだ」
首の後ろに左手を回したリムは、編み込んだ髪に隠していた拳銃を取り出した。女性が護身用に使うことの多い小さなそれは、リムの手の中で一回転して、銃口をバーカウンターへ向ける。
発砲音がプールに響き渡り、それに野太い悲鳴が重なった。
カウンターに身を乗り出すようにしていたバーテンダーが右手を押さえて倒れ込み、そして手前の床にリムのものより一回り大きな拳銃が落ちていた。
射撃距離、凡そ数十メートル。リムの拳銃の射程距離とほぼ同等であり、並みの人間では失速や空気抵抗を計算に入れられずに誤射をする。この距離で、相手の手だけを狙撃出来るのは、フィン国軍の銃器隊にも殆どいない。
「狙うなら、もっと素早くすることだね。君の持つ銃は俺のより射程距離が長い。当たらずにしても早いところ撃っておけば、双子ちゃんを動揺させる紙鉄砲程度の役割はしただろう」
ソファーから下りたリムは、颯爽とした足取りでカウンターの方へ向かう。未だ、痛みの走る手を押さえて悶絶している男の頭に、銃口を突き付けた。熱を持った部品が髪を焦がす不快な匂いが微かに漂う。
「全く、素直に罪を認めればいいのに悪あがきしないでくれるかな。あの双子ちゃんが怪我すると俺が殺されるんだよ。君程度の人間ならどうにかなるけど、あの人の逆鱗を貫くなんて愚行は御免だね」
バーテンダーはその言葉を聞いていないようだった。リムとしても聞かせるつもりは無かったので、言い直すことはしなかった。
その代わりのように後方を振り返り、ソファーの背もたれに両手を掛けてこちらを見ている双子に視線を合わせる。
「双子ちゃんの推理を横取りするようで悪いけど、此処から先は俺の領分だ。彼の動機について説明させてもらうよ」
「俺の領分?」
アリトラは首を傾げるが、リコリーは黙って頷いた。
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