1-6.気高き傭兵

 百年以上前のことになるが、フィン民主国はかつて王政だった。今は中央区と呼ばれる地区の大部分を収めていた領主は、王族の血を引く侯爵家であり、王家より賜ったライラックの花を家名とした。


 王政崩壊後も財産はなんとか残した侯爵家だったが、ある代の当主が無謀な投資でその殆どをすり減らした。ストーブの薪代も払えぬ状況に絶望して自害した当主の跡を継いだのが、当時はまだ二十歳のリム・ライラックだった。


「二人とも久しぶりだね。特にお兄ちゃんのほうは半年ぶりかな?」


 双子がリムに初めて出会ったのは、まだ学院にいた頃だった。当時、銃器隊に属していたリムは二一歳だったが、堂々とした態度が少し年上に思わせた。今は二四歳になるが、その美貌は更に磨きがかかっている。


「はい。軍曹……失礼、ライラックさんはハリ国の方に行ったと聞いてましたが」

「あぁ、一ヶ月ほど前に戻ったんだよ。アリトラちゃんに聞かなかった?」


 リコリーはそれを聞いて片割れを見る。アリトラは「あ、忘れてた」と呟いた。


「教えてくれてもいいのに」

「アタシがお店に入ったのと入れ違いだったんだもん。リムさん、またお店来てね。今度はアタシがココア淹れるから」

「アリトラちゃんのココアが飲めるなら喜んで」


 軍にいた頃から、リムはアリトラが働く『マニ・エルカラム』の常連だった。二年前に軍を辞めてからは傭兵となって諸外国に赴いているが、暇な時は中央区の自分の屋敷に腰を落ち着けている。


「でも前みたいにカレードさんと喧嘩するのはやめてよね。二人とも店の中で武器構えるからお客さん逃げちゃったし」


 アリトラがそう言って頬を膨らませると、リムは笑いながら謝罪の言葉を述べた。


「もうしないよ。あの後、君のところのマスターにこっぴどく叱られたんだから。危うく、丸焦げになるところだった」


 竦めた肩はしなやかな身体に見合う薄さで、とてもライフル銃を担いで野山を駆けまわる狙撃手には見えない。狙った敵を数百メートル先から的確に狙撃する腕を持つ男は、その戦歴と風貌が全く見合っていなかった。


「リムさんでもマスターは怖いの?」

「魔法であの人に勝とうと思うほど馬鹿じゃないよ、俺だって。あの野生動物だってそうだ。あいつのほうが本能的に、カンティネスさんが強いことを知っている」


 野生動物、というのは双子が良く知る軍人の一人、カレード・ラミオンである。貧民街の出身で、学はないが勘が異常に鋭い。大陸屈指の剣の腕前を持ち、今も第一線で戦っている。

 リムとカレードは昔から犬猿の仲であり、顔を合わせると常に悪口の応酬からの殴り合い、果ては殺し合いに発展する。どちらも常人離れした戦闘能力を持ち、そしてそれ以上に美しい顔をしているため、戦う様を「一番安く見れる宗教画」だと称した者もいる。


「そんなことより、双子ちゃんはまだ船の中をちゃんと見てないんでしょ? 俺が案内してあげようか」


 リムの言葉に、双子は嬉々とした表情を浮かべる。


「本当?」

「いいんですか?」

「こんな船に君達みたいな庶民が乗れるのは当分ないことだし、見なきゃ損だよ。それに、死んだ人のことも気になるでしょ?」


 歯に衣着せぬ言い方はリムの専売特許のようなものだった。人並外れた美貌と美声は、例えスラングを羅列したとしても詩歌のようになる。まだ相手の神経が過敏であれば、その内容に対して不平不満の一つでも零すだろうが、両親や親族に愛されて育った双子は、悪意や皮肉に対して鈍化していた。


「あの人、死因はなんだったの?」


 アリトラが疑問符を上げる。


「魚を喉に詰まらせて窒息死?」

「それは調査中らしい。でも仮に死因が窒息死だとすると、困ったことになるね。海にいるのに淡水魚に殺されるんじゃ、おちおちクルーズも楽しめない」


 リムが客室を出るのを追うように、双子も外に出る。運航は順調のようで、微かな揺れしか感じ取れない。分厚い絨毯の上を優雅に歩きながら、リムが話を再開する。


「被害者はサザー・ブラントン。祖父がアカデミーの第三改革期の中心メンバーで、そこから政界に繋がりを持ったようだね。多弁にして雄弁、政府官僚の中でも評判が二分化されている」

「社交的な人、という印象があります。新聞や雑誌でも名前を見かけることが多いですし」

「あれを社交的と言うところが、お兄ちゃんらしいね。さて、何処に行こうか」


 廊下の先の階段の前でリムが立ち止まる。上に行けばパーティ会場と甲板のあるフロア、下に行けば娯楽施設や駆動部がある。


「因みに、ブラントン氏の遺体は最下層の遺体保管所にある」

「遺体保管所?」


 アリトラが驚いたような声を出した。


「そんなのあるの?」

「海は危険だし、陸と違うから仔細な病気でも命を落としてしまうことがあるんだよ。かといって、死んだ人をそのまま海に放り投げるのも可哀想だからね。一ヶ月以上航海するような大型客船や貨物船には大抵設置されているよ」

「初めて知った。じゃあ下に行きたい。プールも見てみたいし」


 ね? とアリトラは片割れに同意を求める。リコリーは数回大きく頷いた。


「じゃあ決定だね。ついておいで」


 リムは迷う様子もなく階段を下降し始める。


「多分、遺体保管所の近くには軍人が多くいる。君達や俺は軍の関係者じゃないから、近づくことは出来ないだろうね。でも第一発見者のレグナードさんなら情報を持っているはずだ。探してみよう」

「レグナードさんって、さっきの軍人さんでしょ? 知り合いみたいだったけど」

「同じ隊にいたことがあるんだよ。だから彼との付き合いは多少ある。君達が温水プール見ている間に、俺は彼と話をして来るよ」

「あの」


 リコリーが口を挟む。リムはゆっくり振り向くと、口元に柔らかな笑みを浮かべた。


「駆動部……エンジンルームも見たいんでしょ? それも頼んでみるよ」

「いや、そうじゃなくて……」


 何か言いたそうに口ごもったリコリーだったが、リムはすぐに前を向いて階段を降りていく。元軍人で現傭兵らしい素早い動作に、双子は遅れないように足を速めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る