1-4.夜の挨拶

「こんばんは」


 不意に声を掛けられた双子は薄暗い甲板の上で立ち止まった。

 船の縁につけられた照明が照らす先に、見覚えのある人物が立っていた。


「ブラントンさん、お久しぶりです」


 リコリーが先に挨拶をする。アリトラもスカートの裾を持ち上げて淑女風に腰を屈めた。


「どちらもお元気そうで何よりだ。お祖父様はいらっしゃっているのかな?」


 政府の高官である双子の祖父には、政治家の知人が多い。このような挨拶も船に乗ってから五度目だった。リコリーやアリトラに権力や地位はないが、その風貌や珍しい男女の双子であることから、一度見た者は必ずと言って良いほど覚えている。


「祖父は都合がつかなかったので、僕達が代わりに来ました」

「ブラントンさんにお会いしたらよろしくと祖父が申してました」

「これはご丁寧に。今度、挨拶に伺うと伝えてくれるかな」


 男は薄く生やした口ひげを持ち上げるように笑う。爽やかさの中に少々野性的なものを覗かせる顔は、女性を中心に人気があった。

 身長は平均より高いが、長身と言うほどでもない。だが顔が小さく首が長いため、実際よりも高く見える。四十代にしては引き締まった肉体は、新聞などで取り上げられるところの彼の趣味である乗馬に起因すると思われた。


「いやしかし、正直安心したよ。お祖父さんの前では些か緊張してしまうからね」

「逆でしょう。祖父はブラントンさんの手腕にいつも舌を巻いていますから」

「いやいや、仕事の時は良いのだけど、こういうパーティになるとね。どうも私は無作法なものだから」


 右手に細長いグラスを持ち、それを手持無沙汰に揺らしているのが、気障なようにも見えて、どこか無邪気な様子も伺わせる。暗いために何を飲んでいるかは判然としない。ただ揺らすたびに氷の鳴る音が聞こえていた。

 サザーが無作法だという話は、双子も祖父から聞いている。だが具体的な内容については知らなかった。祖父は気難しい性格をしているので、人の好き嫌いが激しい。なので全て聞いていると日が暮れてしまう。だから双子は祖父の人物評を真面目に聞いたことが無い。


「リコリー君は今度、ハリへの研究留学に選出されたと聞いたよ。その年で随分優秀なんだね」

「いえ、とんでもない。運が良かっただけです」


 粛々とした態度の片割れを見て、アリトラはつい軽口を叩きたくなるのを堪えた。二日前、リコリーはそれを真っ先にアリトラに知らせに来た。飛び上がらんばかりに喜んでいたのを、しっかりと覚えている。


「ブラントンさんも散策を?」


 軽口の代わりに疑問を投げかけたアリトラに、相手はグラスを揺らす手を止める。


「酔い冷ましだよ。此処の食事とお酒が美味しいので、つい飲みすぎてしまってね」

「確かにお料理は絶品。アタシはお酒飲めないけど、ジュースも美味しい」

「高級な果物を惜しみなく使っているそうだからね。君達もあまり食べすぎないように注意したほうがいい」


 その時、闇の向こうから船の汽笛が鳴り響いた。それに重低音が何度か続く。蒸気を噴出する音だと気付いたリコリーが首を傾げた。


「あれ? この船って魔動力ですよね?」


 船の先端へ視線を向けて、相手が「あぁ」と呻くように言った。


「確かにこの船は最新の魔動力エンジンを搭載しているが、基本的には昔ながらの蒸気機関だそうだよ」

「蒸気機関? 真冬の海で?」


 信じられないと言いたげにリコリーは目を丸くした。

 そもそもフィンで冬の航海が疎遠されてきたのは、極寒の海上で十分な動力を維持できるエンジンが存在しなかったためである。蒸気機関はその名の通り、水分を温めて蒸気を作るところから始まる物であり、冬の航海を実現するのに適切な仕組みとは言えなかった。


「さっき、会長さんが話をしていましたけど、そんな話は出ませんでしたよ」

「蒸気機関より最新の魔動力エンジンのほうが客人のウケがいいと思ったのかもしれないね。でもさっきから蒸気の音が聞こえているし、エントランスにあったパンフレットにも書いてあったから間違いはないと思うよ」


 会話が途切れ、波の音が響く。双子は相手とそれ以上話すこともないため、引き返すことにした。

 先ほどと同じようにリコリーから先に挨拶をして、アリトラが続く。


「それでは良い船旅を」

「また祖父に会いに来てください」

「喜んで。君達も楽しむといい」


 そして二人は、男に背中を向けた。悲劇が起こったのは、その直後のことだった。

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