8-15.契約書と商人

「というわけで、休憩も兼ねて戻ってきたんだ」


 リコリーはそこまで話し終えてから、アリトラが驚いた表情を浮かべているのに気付いた。


「どうしたの?」

「血まみれの床に倒れた後に、此処に来たの?」

「そうだよ」

「道理で血なまぐさいと思った! 消臭して、消臭」

「え、そんなに臭い?」

「お魚捌いた時の臭い」


 リコリーは改めて自分の衣服を見回したが、黒いコートを羽織っていたために、どのあたりに血がついてしまったのかわからなかった。

 仕方なくコートを近くの窓の下に脱ぎ捨てると、消臭魔法をかける。臭いがとれるまでは時間がかかるので、そのまま放置した。


「まぁそんなわけで困ってるんだ。エストさんはまだ上で、他の二人と一緒に調べてるけど」

「うーん……いくつか整理したいことがある」

「何?」


 アリトラはビスケットをかじりながら、話を聞いていて引っかかった箇所を質問として述べ始めた。


「凶器がその魔法陣だとすれば、実際に犯行に使われたものは照明管にあったものとは別、つまり同じものが二つあったことになると思う。異論は?」

「ない。というかそれしか考えられない。あんなに派手に殺したなら、魔法陣に返り血が飛ぶ。でも照明管にも魔法陣にも、血痕はなかった」

「でも部屋にはそれらしきものは残っていなかった。同じような魔法陣だから大きさも似ている筈なのに」

「同じような?」


 アリトラは先ほどのリコリーの説明でも同じような言葉があったことを思い出す。


「同じとは断定出来ない?」

「まぁ、現物がないっていうのが一つ。それと被害者の顔の損傷から考えると、威力に少し差があるんだ。まぁ誤差の範囲内だと思うけどね。改造の際にその調整がズレることって多いし」

「魔法陣の改造って難しいの?」

「今回のは市販の既製品だから、そんなに難しくはないかな。大きな声では言えないけど、改造の方法は図書館で調べたらすぐにわかるし。精霊持ちならまず可能だね」


 リコリーがもう一枚ビスケットを取る。袋の中で割れてしまったのか半分だけだったが、気にすることなく口に入れた。


「僕の考えだと、テーブルの上の途切れた血痕が、魔法陣の痕跡だと思う。犯人は被害者の死亡を確認した後で、魔法陣が書かれた紙だけ持ち去った」

「確かに一番怪しい。でもそうなると、照明管の魔法陣は何のためにあったのか、謎。例えば予備だとしても、すぐに取り出せる場所じゃない。そもそも資格を持っていないなら、開けようとすら思わない。……開けようとすら?」


 アリトラは自分で言った言葉に首を傾げた。そして難しい表情になると、眉間を摘まんで考え込む。

 片割れの様子がおかしいことに気付いたリコリーは、心配して顔を覗き込んだ。


「どうしたの、アリトラ?」

「……商談室で、そもそも何をしていたんだろう?」

「え? 取引じゃないの?」

「そう。商談室は取引に使う。じゃあ商談室のテーブルの上にあって良いものは?」

「契約の目的で部屋に入るなら、勿論契約書だね」

「リコリーはさ、契約書って見たことある?」


 片割れの質問の意味がわからないリコリーは目を何度か瞬かせた。


「そりゃあるよ。僕、法務部だし。大体の契約書は、原本と写しの二枚綴りになってるよね。原本に書くと、写しに複写される」

「そう。そして写しは契約者に渡される。渡す時には、紙を切り離す必要があるから、開くよね」


 アリトラは自分の両手を水平に重ねて契約書に見立てると、右手だけを動かして開閉するような仕草をした。


「そこに魔法陣が仕込まれていたとしたら?」

「契約書に仕込まれていたってこと? でも魔法陣って発光してるから、すぐにバレちゃうよ?」

「別に隠しておかなくても良い。目的は相手に契約書を開かせることなんだから。写しの方に魔法陣を描いておいて、相手に渡す。光っている契約書を渡されたら、捲って見たくなる人って多いと思う」


 両手を開いたアリトラは、そのまま顔を覆う。そして指の隙間から赤い瞳を覗かせると、リコリーの方を見た。


「つまり……魔法陣は契約書に仕込まれていて、被害者がそれを捲ったことで発動したってこと?」

「そういうこと。別にパンフレットでもいいけど、顔面が滅茶苦茶になっていたってことは、契約書かなぁ」

「どうして?」

「商人は自分の不利益になることはしたくない。だから契約書は真面目に読む。というか契約する側も、真面目に読む人と取引したいよね。後から「読んでなかった」ことが原因で揉め事が起きても厄介」

「でもそれ、読まない方が悪いよね」


 正論を言ったリコリーだったが、アリトラはそれに対して首を振る。手で顔の殆どが隠れてしまっているので、表情は読み取れない。


「商売において必要なのは、柔軟性。杓子定規にキッチリやる商人は、理想的ではあるけど、結局儲からない。客っていうのは勝手なものだから、自分のミスを許容してくれる方に流れる」

「じゃあ契約書の意味がないじゃん」

「今はその話じゃない」


 あっさりとリコリーの反論を避けたアリトラは、漸くそこで顔から手を離した。


「契約書を真面目に読む姿勢も、契約における一つの大事な要素だってこと。被害者は契約書をしっかり読もうとして、でも何か光っているのに気が付いた。確認しようと契約書の原本の方を捲ったんじゃないかな」

「一理あるね。けど、照明管の方の魔法陣は? 契約書に仕込んだんだったら、要らないじゃないか」

「それは、被害者が入れた物」


 突拍子もない返答に、リコリーは絶句する。一つの部屋に同じ魔法陣が二つ存在したが、それぞれ違う人間が用意したものだ、と言われても意味がわからなかった。


「意味わからない?」


 アリトラがそう尋ねたので、リコリーは素直に頷いた。

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