8-12.『ナイン・フォレスト』
釈然としない様子の男をその場において、二人は再び外に出た。特に変化しない状況に飽きたのか、野次馬の数は当初の半分以下になっていた。残っている者も熱心に同行を伺っている様子はなく、知人たちと無責任なお喋りに興じている様子だった。
「もう三階を出入り禁止にした方がいいんじゃないですか?」
「人手が足らないんだろ。封鎖するのと現場を見張るので、最低一人ずつ必要だし。俺の部下の手が空いたら、手伝わせるさ。それより、今の男はどう思う?」
「特に揉めていた様子はないですが……、彼であれば被害者も安心してついて行くかもしれません」
「資格は持っていないと言ったが、専門職との繋がりはあるようだしな」
今のところ、怪しいとも怪しくないとも言えない容疑者ばかりだった。リコリーはノートを見直しながら、ふと気になってヴァンに尋ねた。
「そういえば同業者がいないですね。普通、仕事を貰おうとするなら同業者を当たるのが普通では?」
「そうだな。老舗ってことなら、同業他社のほうが相手にされやすかっただろうに」
その疑問は三人目の容疑者によって解決した。オレンジ色の髪を肩で切り揃え、大きな黒縁の眼鏡をかけた四十代半ばの女は、どうやら染めているらしい髪を落ち着きなく指で弄っていた。
「私は第五地区で『ナイン・フォレスト』というペットショップを経営してる者よ。名前はリージュ・ライオネス」
「被害者と随分激しく口論していたようだな?」
「あの男が原因ね。『ガーフィル』と何か言い争っていたから、つい見ちゃったの。そうしたら視線が合ってね。因縁をつけられたってわけ」
「被害者と『ガーフィル』は揉めていたか?」
「揉めてはいなかったと思うけど……」
リージュは考え込むように鼻に皺を寄せた。分厚く塗った白粉に軽く皺が入る。
「パルフェストが「何で最近呼んでくれない」とか言ってたからね。大方、商人の集まりに呼んで貰えなくて不貞腐れてたんじゃないの。あの男と来たら、素直にリネン業者にでも集ればいいだろうに、やっていることが子供だったわね」
「何故、同業者に頼らなかったんだ?」
「だってあいつ、元々リネン業者じゃないのよ。父親が死んだから跡を継いだだけ。技術者か何かだったんだけど、それが急に畑違いのところに入ったもんだから、あっという間に経営難になったのよ」
リージュは少し北の訛りの残る言葉で言った。そのため、嘲笑交じりの言葉が余計に際立っていた。
「『夜の糸』にもしつこく絡んでたわね。あの子もまだ若いから心配だったんだけど、結構気が強い子みたいね。あそこの親父さんと関わりがあるとか言ってたみたいだけど、一度か二度挨拶しただけよ」
そう言った後に、リージュは「多分ね」と付け加えた。断定的な言い回しをする割りに推測が多い。噂話などを好む人間によく見られる特徴だった。
「あんたは被害者と何かトラブルはなかったのか?」
「あぁ、うちの店のレイアウトに因縁をつけてきたのよ。急に店に入ってきたと思ったら、これじゃ犬が可哀想だの、猫が哀れだの言いだしてね。勝手に中のものを弄ろうとするから、追い出してやったわ」
「どうしてそんなことを?」
「さぁ、知らないわよ。こっちはちゃんと動物に快適な環境を作ってるんだから、文句言われる筋合いはないわね。それに酔っぱらってたもんだから、寝ていた犬や猫が起きて騒ぎだしちゃって、そっちの方が可哀想だったわ」
「あんたの店は第五地区だろう? 被害者が通りかかるには、随分遠いじゃないか」
リージュはヴァンの指摘に、面倒そうな表情を浮かべる。
「飲み屋が固まってるからじゃないの。そこで大量に飲んで、フラフラ帰る姿を何度か見てるし。他人の行動なんか知ったことじゃないわね」
「それもそうだ。ところであんたは、照明器具の取り扱い資格は持ってるか?」
「何それ? 私が持っているのは、ペットの取り扱いに関する資格だけよ」
一般的な資格とは言えないため、リージュの反応は当然と言えば当然だった。リコリーはメモを取りながら考え込んでいたが、そこで話が途切れたのを察知すると、すかさず口を開いた。
「被害者がいなくなった後はどうしてたんですか?」
「むしゃくしゃしたから、一階に降りて外の空気を吸っていたのよ。それで戻ってきたら、この騒ぎ。こんなことになるなら、そのまま帰ればよかったわ。あぁ、でもそんなことをしたら、ますます疑われるわね」
「入退場は自由なのでは?」
「えぇ、自由よ。招待状を持っている人間ならね。例え途中で逃げたって、入場券の半券が此処には残っているんだもの。此処に来たことを否定することは出来ないわ」
女は財布の中から入場券を引き抜いて、指で挟んで揺らして見せる。
「殺された人と口論した後に、コソコソ逃げましたー。なんてわかったら、事情聴取どころじゃなくて、犯人にされかねないじゃない。だから犯人だって、逃げてはいないはずよ」
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