7-2.白い幻獣

「リコリー! アリトラ! どっちの仕業だ!」


 朝から父親の怒鳴り声という珍しいものを聞いて、アリトラは瞬時に目を覚ました。

 優しい父親は滅多に怒らないし、怒っても声を荒げることは珍しい。それが今は、怒りと困惑を織り交ぜた声で二人を呼んでいる。

 アリトラは寝巻にカーディガンを羽織った姿で階段を駆け下りつつ、昨夜のことを思い出した。


「父ちゃん、おはよう」

「説明しなさい。これはどっちの仕業だ?」


 ホースルが指さしているのは、暖炉の前で寝そべっている真っ白な獣だった。


「昨日の夜に勝手口の外で震えてた。だから可哀想だと思って」

「勝手にこんなもの入れるんじゃない!」

「だって風邪ひいてるみたいだったし。ワンちゃん大人しかったからいいかなって」


 ホースルはその言葉に、少し声量を落とした。


「犬だと思って入れたの?」

「狼にしては人慣れしてるし……」

「これ、犬じゃないよ」

「じゃあ何?」

「あ、幻獣だ」


 ぼんやりとした声が割り込む。

 眠そうな、従っていつもよりも更に悪人面になっているリコリーが入ってきた。家族の前だから良いものの、知らない人がみたら凶悪犯か何かと間違えられてもおかしくない。


「幻獣可愛いなー。この子どうしたの?」

「昨日、勝手口にいた。これ、幻獣なの?」

「うん、そうだよ。ほら、角があるもの」


 リコリーは獣の横にしゃがみ込むと、その額に微かに見える角を指さした。毛に埋もれてわかりにくいが、額の中心から上に向かって生えている。

 アーシア大陸には人間と獣の他に「幻獣」と呼ばれる生き物が存在する。神々の時代からいたとされる生き物であり、滅多に人間に危害を加えることもなく、稀に人里に現れては、また気まぐれに立ち去る。

 幻獣の姿や大きさは様々で、しかしそのいずれも額に角を持っている点は共通していた。

 大陸条例により、幻獣の捕獲ならびに傷害は禁止されている。過去にその禁を犯した不届き者は、幻獣の手によって速やかに処分されてきた。


「可愛い」


 そう言いながら、リコリーは無造作に獣の頭を撫でた。獣はそれに抗議する気配もなく、撫でられるがままになっている。

 途中で、少し痒くなったのか前足で額を擦る仕草をしたが、真っ白な前足を長い毛並みの中に埋めてしまったので、傍目には何の生物かわからなくなってしまった。

 アリトラはそれを見て笑いながら、片割れの方に目を向ける。


「相変わらず、リコリーって動物に好かれるよね」


 リコリーは獣を撫でながら微笑んだ。


「羨ましい?」

「羨ましい。アタシも撫でて大丈夫かな?」

「平気じゃない?」


 幼少期から、リコリーは動物と名のつくものに好かれていた。

 野良猫に餌をあげれば、周囲にいる全ての猫に取り囲まれ、池の周りを散歩すれば、水の中から亀が顔を出し、うっかり外で転寝しようものなら、野良犬達に左右を護られるという有様だった。

 アリトラは残念ながら普通の体質であるが、リコリーと一緒にいれば動物に拒否されることもないので、その恩恵を受けている。


「ふわふわしてるね」

「凄いよねー。幻獣の毛って普通の獣と全然違うもん」


 暢気に話している双子の傍らで、ホースルは苦々しい顔をしていた。それに気が付いたリコリーが、声を掛ける。


「父ちゃん、動物ダメだっけ?」

「別に。それより早くご飯食べなさい」

「この子のご飯は?」

「後で俺がミルクでもあげておくよ。それより今日は、ライチ君のところで手伝いをするんでしょ」


 そう言われて、双子は慌てて立ち上がった。


「そうだった、そうだった」

「お祭りの準備、昨日出来なかったもんね」

「今日はなんとしても灯篭の枠組み作りまでは終わらせなきゃ」


 フィンにはいくつかの祭りが存在するが、そのうち冬の代名詞とまで言われるのは、中央区で行われる「慰霊祭」だった。

 王政時代から続いている由緒ある祭であり、「灯篭」と呼ばれる、魔法陣を仕込んだ紙風船を大量に作って、宙に浮かばせる。灯篭は様々な技巧を凝らすのが通例となっていて、特に商店街では店の宣伝も兼ねて、派手なものや珍しいものを作るところが多い。


「僕ね、昨日いいもの思いついたんだ。雪の色を変える魔法陣」

「今年こそ、賞が獲れるといいな。去年、惜しかったもんね」


 祭の活性化の一環として、際立って美しい、あるいは技術的に優れた灯篭に対してはいくつかの賞が用意されている。

 去年、リコリーは「音楽を奏でながら踊る灯篭」を作り出したが、祭の途中で落ちてしまったために賞を獲り損ねた。落ちなければ国立学院賞は間違いなかったと噂されていただけに、今年は異様に張り切っている。

 アリトラは魔法関係は全く役に立たないが、リコリーの考える灯篭を実現するには、その手先の器用さが必要不可欠だった。


「向こうの親父さんに、手土産を持って行ってくれる? 良い酒が手に入ったから」

「わかった。じゃあリコリーは材料を持って行って。アタシがお酒持っていく」

「アリトラがいつも使ってるナイフ、何処にあったっけ?」

「机の上ー」

「リコリー、起きなさい。食べながら寝るんじゃない」


 双子は慌ただしく食事を済ませると、手早く身支度を整えて出かけて行った。

 玄関までそれを見送ったホースルは、子供達の姿が消えると、大きな溜息をつく。

 珍しく陰鬱な調子で足を動かし、暖炉の前まで近づくと、寝そべっている幻獣を見下ろした。


「面倒な客だなぁ。俺、幻獣苦手なんだけど」


 幻獣は片目を開けてホースルを見ると、大きく欠伸をした。犬のような仕草に、ホースルはこめかみを少し引きつらせる。

 しかし双子に言った手前、世話をしないわけにはいかないので、大人しく台所からミルクを持って来た。


「アリトラに感謝しなよ。もし見つけたのが俺だったら、家の中になんて入れなかったからね」


 平皿に入れたミルクを差し出すと、幻獣はピンク色の舌を伸ばして表面を舐めるように飲み始めた。


「えーっと、こいつらって何を食べるんだったかな? 昔過ぎて忘れちゃったよ」

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