5-13.堕ちた役者

「……そうですか」


 リコリーは呆れたように溜息をついて、アリトラの方を見た。

 その意図を汲み取ったアリトラが話を転換する。


「即興劇のことを貴方が知ったのは、恐らく幕間。貴方は被害者に一泡吹かせようと、ナイフをすり替えた。そして照明機器を制御不能にする仕掛けを作った」

「仕掛けだって?」

「貴方に説明するまでもないけど、此処の舞台の緞帳には演奏エリアで使用する反響魔法の影響を受けないように、遮断魔法陣が使われている。緞帳は上まで上がって、照明機材が客席から見えないギリギリのところで止まる」


 アリトラの言う通り、緞帳は照明機材を客席から隠している。

 それは、遮断魔法陣を使うのと同時に、照明機材に使われている魔法陣を隠す働きも兼ねていた。


「緞帳の一番左下にディナーボックスが隠されていた。あのまま緞帳を上げれば、左の照明機材の前にディナーボックスが来る。あのディナーボックスには、接触する魔法を無効化する特殊な仕掛けがある。それを直接受けた照明用の魔法陣は誤作動を起こして暴発した」

「待ってくれ。それで都合よく、彼が照明を消そうとした時間に合わせるなんてこと、出来ると思うか? 私が下から何か魔法でも放ったというつもりかね?」


 反論を受けても、アリトラの口調は乱れなかった。

 指を、舞台の方に伸ばし、そしてそれを右側に移動する。指先が演奏スペースを示していることに気が付いたジントが、唇を噛みしめた。


「ディナーボックスが仕込まれた房の付近は、遮断魔法が作用しないようになっていた。演奏が始まれば、反響魔法は遮断されずに照明機器に作用する」


 指を手元に戻して、アリトラは口元に笑みを浮かべた。


「演奏が始まれば、自然と停電が起こるってこと」

「話にならないね。それじゃただ停電の時間が早まっただけじゃないか。彼が足を踏み外したのも、ナイフでうっかり胸を刺してしまったのも、偶然だろう?」

「左の照明というのがポイント」


 相手の語尾に被せる勢いでアリトラが続けたので、ジントは反論を途中で止めてしまった。


「第一幕、ディリスが二階席の方に顔を上げた時には目をしっかり開いて、瞬きもしなかった。つまり照明機器が正常に制御されていたことを意味する。でも被害者がバルコニーで演技をしていた時には目を細めていた。視線の先の照明が明るすぎた証拠」

「……だからどうしたんだね」

「照明が明るすぎたからって、演技を止めるわけにいかない。彼はそのまま演技を続けたので、残像効果……ほら、太陽とか見た後に残像が残るやつ。あれになった。そして急に停電になったので、慌てて即興劇をしようとして……」

「ほぼ視界が効かない中でナイフを手に取り、落下した。面白い」


 ジントは両手を組んで体の前に置いていたが、その指先は苛立ったように手の甲を叩いていた。


「しかし彼を殺そうとするのに、それはあまりに弱い要因ではないだろうか」

「貴方が殺そうとしたのは、被害者のプライド。自分が即興劇で笑いものにされようとしたことに怒りを覚えた貴方は、逆に彼を笑いものにしてやろうと思った。被害者が死んだのはあくまで副次的産物」

「仮にそうだとしても、私がやった証拠はないじゃないか。ディナーボックスに名前なんて書いてないだろう? 私は食べた後にすぐに回収用の箱に……」

「ゼリーの味は?」


 唐突な問いに、ジントが饒舌な口を噤む。


「今日のディナーボックスに入っていた、ゼリーの味。答えられる?」

「緞帳に仕掛けられていたディナーボックスは、その特殊効果を利用する為に未開封でした。あれが貴方の物でないなら、中身を見てますよね?」


 双子に見つめられたジントは、焦ったように目を泳がせる。


「ゼリーのことは……よく覚えていないな。流し込むように食べてしまったからね」

「どう思う、リコリー」

「まぁ信じられないけど、食べたご飯の内容を二時間と覚えていない人はいるよ。……それでは質問を変えましょう。貴方がディリスさんに言った言葉について、説明して頂きたいことがあります」


 まだ屈服しない相手にも、リコリーは持ち前の穏やかな調子で話しかける。だが言葉には一切の揺らぎがなかった。


『暗闇になった時に、彼は懐に入れていたナイフを手に取ったんですな。ディリス君にその刃を突き立てようとして!』


「貴方、こう言いましたよね?」

「言ったよ。ん? 何だ? ナイフを懐になんてちょっとした言い回しの差じゃないか。それとも私がナイフが凶器だと知らなかったとでも?」

「そうじゃありません。なんで貴方は、被害者と暗闇が関係あるって結びつけることが出来たんですか」


 リコリーの言葉をジントは当初、理解出来ないかのように眉を寄せていたが、やがてその額から一筋の汗が流れ落ちた。


「彼がナイフを持っていたと仮定するところまでは、まぁ良いでしょう。でも暗闇に関しては、即興劇のことを知らなければ、純粋な「アクシデント」としか思わないはずです」

「それは……」

「貴方は被害者が暗闇を作り出すこと、そしてその中でナイフを使うつもりだったことを知っていた。だから、あんなことを言ったんです」


 ジントは顔を赤らめて、何度か首を横に振った。

 しかし、やがて諦めたように大きな溜息をつくと、その場に項垂れてしまった。


「その時から、私を疑っていたのかね?」

「ちょっとおかしいな、と思っていただけです。貴方のしたことは器物破損ではありますが、殺人罪、傷害過失致死には至りません」


 でも、とリコリーは続けた。


「本物のナイフにすり替えた時点で、貴方が被害者のことを「もし怪我、または死んでも構わない」と思っていたことは明白でした。だから、そのぐらいはハッキリさせておかないと」

「……役者にとって一番屈辱的なことはなんだと思うかね?」


 顔を上げたジントは、大仰な演技を捨て去っていた。

 憑りついていた役柄が、双子によって引きはがされたかのようだった。


「自分の台詞を奪われることだよ。自分の意志、または総意として台詞がなくなるのは構わない。なぜなら舞台とはすべての調和だからね。一人の我儘でその調和を崩すわけにはいかないんだ」


 舞台に取り残された城のセットが、照明の青白い光を浴びていた。ジントの目はそれを避けるかのように何度も瞬きを繰り返す。


「あの男は! 私を笑い者にするために、私から台詞を奪おうとした! 即興劇は大いに結構だ。しかし間違いなく共演者である私を蔑ろにしようとする男を、私は役者として許せなかった」

「貴方は役者である彼を殺そうとしたんですね」


 小さな頷き一つが、男の中にあった動機全てを肯定した。


「……あんな男は役者であるべきじゃない。だから私は彼から台詞を奪ってやったんだよ。まさか、あんなことになるとは思わなかったが、演劇の神様が彼に微笑んだのだろう」

「微笑んだ?」


 リコリーが尋ね返すと、ジントは泣き笑いのような表情を見せた。


「舞台で死ねるなんて最高じゃないか」


 それは悔しがっているようにも、羨ましがっているようにも見えた。

 役者の心を理解しかねた双子は、困惑して顔を見合わせただけだった。

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