8-12.魔導書喰いの攻撃

 本棚の横板が蹴り崩されると、そこに詰まっていた本が宙に舞う。それは質量を持ったものではなく、紙で外側だけ作った張子に過ぎなかった。

 その奥は空洞になっており、アリトラがよく知っている黒髪が少しだけ覗いていた。


「見つけた」


 両手を入れて、その腕を掴んで外に引きずり出す。

 手足を縛られて猿轡をされたリコリーが床に放り出された。


「足元の本なんて滅多に見ないからねー。計画的にリコリーを閉じ込めたわけじゃないみたいだし、大体このあたりだとは思ってたけど。さっきの話の噛みあわなさから考えて、下にあった本を上に入れ替えてスペース作ったってとこかな」


 猿轡を外すと、リコリーは苦しそうに息を吐き出した。


「大丈夫?」

「し、死ぬかと思った」

「リコリーがもう少し大きかったら、こんなところに入れられなかったと思うけど」

「煩いなぁ」


 双子のやり取りを、女は静かに見守っていた。その手にはいつの間にか白い本が握られている。


「でもどうしてリコリーに酷いことするの?」

「アリトラ、気を付けて。あの本……」


 リコリーが何か言う前に、女は本を開いた。小さな魔法陣が浮かび上がり、双子を目がけて氷の矢を放つ。


「あー、もう!暴力反対!」


 アリトラは、まだ手足の拘束が解けていない片割れを抱えるようにして床を横転する。

 逃げる先から床に突き刺さる矢を避けるようにして、本棚の影に滑り込んだ。


「縄は自分で切って」

「うん」


 口が自由になったことで魔法を詠唱出来るようになったリコリーは、小さな火を使って縄を焼き切る。

 だがその直後に、隠れている本棚の縁に矢が突き刺さった。


「リコリー、どうしよう」

「あの本、厄介なんだよ」


 リコリーは自分の瓶を掴んでアリトラに見せる。既に半分ほど魔力が失われていた。


「超高度な魔法陣を、ノーリスクで連発してくる。まるで……そうだな、それぞれの魔法陣の専門家のように。しかも魔力が尽きるの待ってたけど、全然衰える様子が無いんだ」

「もっとわかりやすく」

「不得意分野がない」

「わぁ、わかりやすい!」


 アリトラはリコリーの頭を掴んで無理矢理押し下げた。そこを火で出来た小さな刃が掠めていく。


「でもなんでリコリーを狙うの?本でも壊した?」

「それで人を監禁する本屋さんは嫌いだなぁ、僕。そうじゃなくて……」

「貴方に恨みはないの」


 その声は双子の背後から聞こえた。本棚に挟まれた狭い通路を振り返ると、手を伸ばせば届く距離に女が立っていた。


「どうやって……?」

「転移魔法陣、かな。母ちゃんでも使うのは難しいって言ってたけど」


 冷や汗を垂らす双子に、女は昨日も言った言葉を投げかける。


「用事があるのは、貴方のお父さんよ」

「父ちゃんがどうしたの?」


 不思議そうに言うアリトラに、リコリーは何かを答えようとして口ごもる。


「貴女のお父さんのことではなくて、彼のお父さんのことよ」

「え、一緒だよ?」

「いいえ、私は確信している。貴女のお兄さんの父親は、キャスラー・シ・リン。私の母親を殺した男」


 それを聞いてもアリトラは、疑問符を浮かべた状態のまま表情を崩さなかった。


「意味不明」

「それはそうね。赤の他人からそんなことを言われても、受け入れがたい。それは理解出来るわ。けどね、貴女が納得しまいと、そんなことはどうでも良いことなの」


 本を白い指がめくり、一つのページで止まる。


「私が用があるのは、キャスラーただ一人。彼を呼び寄せるためにも、貴方達に逃げられるわけにはいかない」


 魔法陣が二人の前後を挟むように出現する。リコリーは素早くそれに目を走らせると、精霊瓶を掴んだ。

 素早い詠唱と共に、氷で出来た盾が二人を護る。魔法陣から出た水の剣は、盾に触れると同時に凍り付いた。


「頭は回るみたいね。あの一瞬で魔法陣を読めるなんて。でも私に勝てないのは昨日学習したでしょう?」


 盾が突然、煙を上げながら蒸発する。同化していた剣の仕業だと気付いたリコリーが天井に目を向けると、再構築された氷柱が降ってくるところだった。


「……まずい!」

「リコリー、しゃがんで!」


 アリトラの鋭い声に、リコリーは反射的に膝を折った。その頭の上を質量を持った物体が通過してゆき、氷を砕く音と共に壁に激突する。

 下に目を向けていたリコリーに見えたのは、床に転がる折れた氷柱と分厚い本だった。

 本棚の中から、特に厚みのある本を選んで引き抜いていたアリトラは、躊躇もなく女にも本を投げつける。直前で転移魔法陣を使ってそれを逃れた女は、カウンターの上に移動した。


「手加減していると、二人相手は面倒くさいわね。悠長にキャスラーを待っているよりも、子供の死体を晒してやった方が改心するかしら?」

「ヒッ」


 臆病なリコリーが小さく悲鳴を上げるのに対して、アリトラは顎を上げて真っ直ぐに女を見返した。


「やってみたらいい」

「豪気な娘だこと」

「多分、貴女には無理だし」


 女はそれまで余裕たっぷりに動かしていた唇を止めて、眼光鋭く睨みつける。


「もしかして常識がわからないタイプなの?今の今まで何を見て、自分は殺されないなんて言うの?あぁ、まさか若い頃の万能感で「自分だけは死なない」なんて思っている?」


 早口でまくし立てる様子にも、アリトラは片側の眉を少し持ち上げただけだった。


「何必死になってるの?アタシ、そんな小難しいことなんか考えてないけど。単に、貴女が頭悪そうだから無理って言った」

「何ですって?」

「此処にはこんなに多くの魔導書があるのに、貴女はそれしか使わない。いや、使えないのかな?要するにきちんと理解して使っているわけじゃないんでしょ」

「黙りなさい」

「本がなきゃ何も出来ない。小娘一人騙し通せないくせに、殺すなんて出来るわけない」

「黙りなさい!」


 二人の足元に魔法陣が浮かぶ。アリトラはそれを見下ろしながら口を開いた。

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