8-10.矛盾の古書店

「いらっしゃいませ」


 アリトラは店の中を見回して、いかにもリコリーが好きそうな内装だと感じた。床から天井までを埋め尽くす本の群れは、平素だったら見ただけで胸やけを起こすが、今日はそうも言っていられない。


「あの、ちょっと伺いたいんですけど」

「なんでしょうか」


 本を積み上げたカウンターの中で、ロングワンピースを着た女が嫣然と微笑む。少々化粧が厚いが、揺らめく照明の下では雰囲気を出していた。


「家族がいなくなっちゃって、探しているんです。此処に来た可能性が高いんですけど」

「ご家族が?」

「はい、アタシとは双子で」


 女は困ったような表情をした。


「それだけだとわかりませんわ。何か特徴は?」

「………えーっと、髪は黒くて目は青色です。昨日は灰色のタートルネックに黒いコートだったはず」

「あぁ、昨日来た若い男の子かしら。あまり背は高くない。犬か狼の精霊が入った瓶を持っていましたよ」


 アリトラはそれを聞いて、カウンターに両手をかけた。


「それ!此処に来た後にどうしたか知りませんか?」

「昨日は、午後に来たお客さんはその子だけでした。暫く魔導書を読んでいたけど、手持ちのお金が足らないからって帰って行きましたよ。六時ぐらいだったかしら?もう暗くなっていたから」

「駅の方に行きました?」

「ごめんなさい。わからないわ。ここは入口のあの小さな窓しかないから」


 アリトラは「そうですか」と溜息をついた。

 しかし気を取り直したように顔を上げると、本棚を見回した。


「あの、何を見ていたかわかりますか?リコリー、普段から魔導書とかで覚えたことをすぐに実践しようとする癖があって。もし読んだ本に、簡単に出来そうな魔法があったら近くの空き地とかで試したかもしれないし」

「そうですねぇ……」


 女はカウンターの中から出てくると、本棚を見回してから一冊の魔導書を手に取った。


「これを見ていたと思いますよ」

「攻撃用か…。流石に空き地で攻撃魔法試すとは思えない。これ、対になる本はありますか?」

「防御用も見ていましたよ。確か…」


 隣の本棚に手を伸ばした女は、しかし一度動作を止める。


「えーっと、どこだったかしら。この前入れ替えたからわからなくなっちゃって」

「あれじゃないですか?」


 アリトラが指さした本は、二人が手を伸ばしても指先一つ分、届かない位置にあった。

 女は少し離れたところにあった脚立を持ってくると、それに足をかけて昇り、魔導書を手に取った。


「どうぞ」

「ありがとうございます。……リコリー、何か話してました?」

「いいえ。私も店をそろそろ閉めようと思って、話しかけた時だけでしたから」


 アリトラは自分には難しすぎる魔導書を眺めながら眉を寄せる。

 小さい頃からアリトラは魔法の才能がなかった。全く使えないわけではないのだが、周りが次々に精霊を手に入れる中、いつまでも空瓶で取り残されてしまった。

 そのためにいつ頃からか、魔法の教本すら読まなくなってしまったので、魔導書を読むのは実は今日が初めてだった。


「此処って本棚ばかりですけど、お掃除したりするの大変じゃないですか?」

「掃除は一週間に一度だけですから、そんなには。窓もありませんしね。カウンターの上の本を見ればわかるかもしれませんが、殆ど放置ですよ」


 笑う女に、アリトラも釣られたように微笑む。

 そして、結局理解が出来なかった魔導書を閉じた。


「お邪魔しました。別のところも探してみます」

「見つかるといいですね、お兄さん」

「ありがとうございます」


 扉に手をかけて、外に出る素振りを見せたアリトラだったが、手に力を込める直前で振り返る。


「……リコリーが兄だなんて、アタシ言ってないよ」

「あ、いえ。雰囲気が、お兄さんみたいだなと思っただけで」

「……最初から変だと思ったんだよね。普通、双子って聞いたら顔がそっくりな同性を思い浮かべる。なのに貴女はすぐに、特徴を尋ねた」


 双子どころか兄妹とすら思われないことに慣れているアリトラは、この店に入って最初に説明した時、「双子なので年齢は同じだが顔は似ていない」と続けたかった。だがそれを先回りされたことが気になっていた。


「まぁそこまでなら、まだ考慮深い人で済んだかもしれないんだけど、リコリーから話しかけていないって嘘聞かされちゃったら気になるじゃない」

「嘘、ですか?何故そう思うんです?」

「防御用の魔導書。脚立を使わないと取れない位置にあった。リコリーは男にしては背が低い。アタシ達で取れなかったものが取れるとも思えないし、何よりも本を大事にするリコリーなら、脚立に乗って丁寧に出す」


 それに、とアリトラは脚立に目を向けた。


「リコリーの性格上、脚立を使うのに断りを入れないのはあり得ない」

「そんなことを言われても困ります。すぐ近くにあったから使ったのかもしれないでしょう」

「だったらなんで貴女はさっき、脚立を別の場所から持って来たの。掃除、一週間に一度なんでしょ。リコリーが昨日の最後のお客なら、脚立は使った場所に置かれたままのはず」


 女は笑顔をそこで引きつらせた。


「ねぇ、どっちなの?リコリーは貴女に何も言わないで、その重そうな脚立を引きずって勝手に使ったの?そして貴女はその脚立を掃除もしないのにわざわざ移動したの?」

「それがどうだって言うんですか?」

「どうだって言われると困るけど、貴女は嘘をついている」


 アリトラが強い意思を込めた目で睨み付けると、女が怯んだ。


「リコリーがお店に来たのを隠したいなら、来なかったと言えばいい。脚立の件だって魔導書の件だって、言わなかったらわからない。じゃあなんで中途半端に口にしたか。理由は一つ」


 人差し指を立てて、アリトラは鋭い口調で言った。


「アタシをさっさと帰したかった。長く居座られると不都合なことがあったから、適当な情報を与えて帰そうとした。違う?」

「何を言っているのかわかりません。いい加減にしないと警邏を呼びますよ?」

「呼んだらいい。呼べるものなら」


 アリトラは啖呵を切ったものの、リコリーの身に起こったことも、この店が何の関係があるかもわかってはいなかった。

 だが、片割れの行動は見ていなくても手に取るようにわかる。リコリーはペンの一本でも人に断りなく使うことなどありえないし、念願の古書店に来て取り置きすら頼まずに帰ることもない。絶対に欲しい魔導書のタイトルや値段を控えて帰る。そしてそのために店の者に声をかける。

 だから、この女店主が嘘をついていることだけは、アリトラには何よりもはっきりと理解出来た。


「長くいると不都合があることってなんだろう。普通に考えると何かしらの時間制限があることだよね」

「私は何も知りません」

「でもそれなら、店をお休みにしていればいいだけ。じゃあただの時間制限じゃない。アタシがリコリーの妹だから、貴女は早く追いだそうとした。つーまーりー!」


 急に大きな声を出したアリトラに女が驚いた顔をした。そして慌てたように視線を彷徨わせる。


「リコリーが此処に閉じ込められてて、それをアタシに勘づかれたくない。当たり?」


 それに応えたのは、女ではなかった。微かな物音がアリトラのすぐ足元で聞こえた。

 アリトラは脚立が置かれた本棚に目を向けると、顔を輝かせて走り寄り、そして思い切り右足を振り上げた。


「ちゃんと避けてね、リコリー!」

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