8-7.七番目と疾剣

 マズナルク広場から少し離れた路地裏で、ミソギは声を響かせないようにしながら口を開いた。


「セルバドス准将が珍しくうちの詰所に来てね。西区に行ける者はいないかって。うちの部隊が一番身軽だし、制限もないから人選的には間違っていない」


 まだ昼にもなっていないのに薄暗い路地は、太陽の光も差し込まないために冷えた空気が流れていた。どこからか野良猫の喧嘩らしい鳴き声も聞こえる。


「随分可愛がってもらってるようじゃないか、あんたの息子」

「………嫌味か」

「勿論」


 ミソギは視線を路地の奥に向ける。黒い服に身を包んだ男の顔は、陰になって殆ど見えない。


「セルバドス家に届けられた封書とカード、軍のほうでも写しを確認した。俺達にはあの意味がすぐに理解出来たよ。「十分の三」、十人中の三人目。瑠璃の刃の三番目の幹部のことだろう」

「三番目……、「魔導書喰い」のことは覚えている。私がこの手で殺した」

「本当に?」

「なぜ疑う」

「仲間相手に手加減した可能性だってある」


 その台詞に、キャスラー・シ・リンは可笑しそうに笑った。


「私にとっては全ての命は平等だ。野良犬も王も虫も美しき女も全て同じ、価値の差などない。虫を殺すのに躊躇しないように、仲間の命だって同じことだ」

「酷い奴だね」

「何がだ」

「まぁあんたのことはそれなりに理解しているつもりだから、魔導書喰いを殺したのは認めてあげるよ。となると、誰がその名を騙っているんだろう?」


 キャスラーは煙草を口に咥えて、マッチも使わずに火をつけた。フィンではあまり手に入らない類の独特の匂いが漂う。


「彼女には娘が一人いた。恐らくその娘だろう」

「娘?」

「魔導書喰いを殺して、その後死体を確認しに行った時に彼女の「本」が無くなっていた。恐らく娘が持ち去ったのだろう。だとすれば、その娘が私と同じ顔のリコリーを見て、私の息子だと気付いたに違いない」

「その娘とは顔見知りだったのかい?」

「いや、会ったことはない」

「じゃあなんでお前の顔を知ってるんだい?瑠璃の刃の幹部は部下の前でも殆ど顔を晒さなかった。だからお前も今の今まで平穏に暮らせていたんだろう?」


 キャスラーは煙を吐き出しながら、少し考え込むように首を傾ける。吐き出された煙が宙に紛れた時に、再び口を開いた。


「娘は母親と同じ能力を持っていると考えられる」

「同じ能力?どういうことだい?」

「「魔導書喰い」という二つ名は、彼女の特異な能力から名付けられた。彼女は白い本を常に持ち歩いていたが、その本には彼女がこれまで見たこと聞いたこと、全てが記録されていた」


 当時を回想するような、この男にしてはゆっくりとした口調が続く。ミソギは極力口を挟まぬようにして、耳を傾けた。


「そこに記録されていることであれば、彼女は完璧に理解することが出来る。極端な話、彼女が母親の腹の中でその本を持っていたなら、自分の心臓が何度脈打ってから外に出たかさえわかるだろう」

「記録ってどうやって?」

「私は魔法使いではないので詳しいことはわからないが、個人の素質によってのみ作動する魔法陣らしい。だから彼女以外はその本を読むことは出来ないし、記録することも出来ない。だが彼女の娘が母親と同じ素質を持っていたとすれば、その本を読めるはずだ」


 煙草の煙が今度は真っすぐ上に吐き出された。ミソギが知っている限り、キャスラーはいつも煙草を手にしているか、口に咥えている。

 愛煙家というより、暇つぶしの道具が欲しいようだった。


「魔法の本に書かれた記憶を全て喰らう。だから「魔導書喰い」。学者五人でひねり出した数式も、魔法使いが血反吐を吐いて作った魔法陣も、その本に書いてしまえば彼女の知識の一つになる」

「無茶苦茶だよ、そんなの」

「唯一の欠点は、あまりに素質に左右される能力のため、本を持っている間は本に書かれていないことは全く理解が出来ないということだが、まぁ使い方さえ間違わなければ無敵とも言えるだろうな」

「……それで? 魔導書喰いのことはわかったよ。あんたはどうするんだ、七番目」


 ミソギが問うと、キャスラーは煙草を口に咥えたまま言い訳するかのように言った。


「母親の知識を持った若き魔導書喰いとなると、正直厄介だ。あの時だって彼女を殺すのには随分手こずった」

「じゃあ自分の息子を見殺しにするのかい?あの時みたいに、自分だけ助かるために」

「随分、今日は挑発してくるな。お前には関係のないことだろう」

「生憎、俺はあんたみたいな特殊な神経していないからね。俺もカレードも、双子ちゃんのことは気に入っているんだ。それが危害を加えられたかもしれないとなれば心配ぐらいする」


 キャスラーはそれを聞いて「ふぅん」と気のない声を出した。


「変わった奴だな。理解出来ないが、息子を心配しているのは私とて同じだ」

「あ、そう。じゃあもっと心配させてあげようか。アリトラ嬢がさっき西区行きの列車に乗ったよ」


 宙を舞う煙が途切れた。

 キャスラーは煙草を持った手を下ろしていた。そのためにミソギのところまで煙草の匂いが強く匂う。


「もしあの子が、リコリー君が家族に似てない理由を知ったらどう思うかな」

「………何が言いたい」

「自分勝手で傲慢な父親に振り回される子供が可哀想だって言いたいだけだよ。昔の自分を見ているようで腹が立つ」


 だから、とミソギは続けた。


「あんたも一緒に来てもらうよ。西区に。それが父親として当然だろう?例えそう言えないとしても」


 返事はなかったが、煙草を揉み消す音だけが聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る