5-8.怪盗の決意
「…………」
「あんたのお仲間か? 七番目」
美術館の屋根の上で去りゆく黒い影を見守っていた男は、カレードに話しかけられて振り返る。
「偽者だ。「怪盗」はあの時、私が殺した。それに奴はあんな完全に他人になるほどの変装は出来なかった」
「ふーん。もし生き残ってたとかなら面白かったのになぁ」
「……そんなに生き残りがいたら、お前たちのメンツだって立たないだろう」
「俺が加入する前の話はどうでもいいし。ミソギあたりが悔しがるかもしれないけどな」
闇の中で火を灯す音が聞こえる。男の口元にはいつの間にか煙草が咥えられていた。
「あれはただの特殊メイクではない。姿かたちを完璧に他人に似せることが出来る魔法だ」
「そんなもんあるのか?」
「使える者は限られている。この国にいるとされる、変化魔法を使って各施設や組織に潜り込むのを稼業とする一族……彼らの手の者かもしれないな」
「あー、なんだっけ。前に隊長から聞いたことあるな。確か、スル…違うな。シャル……」
首を傾げて考え込むカレードを放置して、男は踵を返した。もうこの場所に用はないと、その背中が語っていた。
だがカレードは相手の行動に気付くと、悪戯っぽい口調で呼び止める。
「七番目」
「なんだ」
「もしあの怪盗が、あんたが知っている「お仲間」だったらどうするつもりだったんだ?」
「……もう一度殺すだけだ」
静かなその声は、煙草の煙と共に闇に溶け込んでいった。
「それでリコリーの奴は?」
「今日はお休み。薬嗅がされて寝てただけだけど、お医者様が念のためって言うから」
「まぁそれが妥当だな。元々丈夫なほうでもないし」
翌朝、営業前の『マニ・エルカラム』でアリトラは昨日のことをマスターに話していた。
流石に怪盗相手に立ち回ったことは伏せたが、マスターは何か察している様子だった。カウンターの中で、ランチの準備をしながら「無茶はするなよ」と釘を刺す相手に、アリトラは肩を竦める。
「盗まれた物はどうなったんだ?」
「先に盗まれたズスカの矢羽と一緒に返されたらしいよ。「今回はこちらの負けです」ってカードと一緒に」
「なんだそりゃ」
「犯罪者のやることはわからないよね」
「全くだ。………あ、そうそう。今から新人が来るから、お前ちゃんと面倒見ろよ」
「へ? 新人?」
「今日の早朝に、「是非とも此処で働かせてください!」って飛び込んできた男がいたんだよ。今時珍しい奴もいるもんだと思ってな。イリーヌが辞めてから人手不足だし、週五日働けるって言うからその場で採用したんだ」
「その場で? 飲食店の経験あるの、その人」
「本人はないと言っていたが問題ないと思うぞ」
その時、遠慮がちにドアベルが鳴って、一人の若い男が顔を覗かせた。
「すみません、今日からお世話になる者です……」
短めの銀髪に、垂れ気味の緑色の瞳。細い鼻梁に形のよい唇。均整の取れた体つきは、背が少し高いことを際立たせる。
アリトラはその若い男を見て、「わぁ」と溜息をついた。
「美形だ、美形」
「な? ホールにおくには丁度いいだろ?」
はにかんだような笑みを浮かべながら、新人はアリトラに手を差し出した。背が高いが肩幅が細いので威圧感はない。
「ファルラ・シャルトです。よろしくお願いします」
「アリトラです。よろしく」
ファルラは名前を聞くと、一瞬目尻をひきつらせたように見えた。
しかしすぐにそれを笑みに紛れ込ませてしまうと、友好的な態度で手を握る。
「いい名前ですね」
「そう? 変わった名前って言われるんだけど」
「そんなことないですよ。……忘れようとしても忘れられないだろうし」
「は?」
「何でもないです。俺、飲食店で働くの始めてなんで、厳しく教えてください先輩」
心地の良いテノールで先輩、と呼ばれてアリトラは驚いたように目を瞬かせた。
「先輩……」
「駄目ですか?」
「聞きなれない響きで戸惑っただけ。じゃあまずそこのロッカールームで着替えて。お掃除から教えるから」
「はい」
清潔感のある声で答えてロッカールームへと向かったファルラは、一人分のスペースしかないそこで誰にも聞こえない溜息をついた。
「俺の変化を見破ったのは貴女が初めて。いつかリベンジしますよ、アリトラ先輩……」
昨晩、アリトラの前で見せた歪んだ笑みに、それは寸分違わず同じだった。
END
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