1-2.失くなった精霊瓶
数分後、水の入ったグラスを両手で抱え込んだリコリーは、その中の氷を溶かすかのように深い溜息を連発していた。
アリトラは右側に立ったままで、今しがた受けた説明を脳内で繰り返す。
「なるほど。昨日、法務部の同僚と飲みに行って帰って、朝起きたら瓶が無かった。……全然アタシ関係ない!」
「れ、冷静に考えたらそうかもしれない」
「冷静に考えなくてもそうなの」
「だってお前は
「人の精霊奪ったところで適合するわけない。それにアタシの瓶は此処にある」
アリトラは腰につけた、両手で握り込めるほどのガラス瓶を示した。中には何も入っておらず、スカートの生地が透けている。
「大体、空瓶より瓶失くすほうがヤバイと思う。ヘタしたら魔法制御機関、クビになっちゃうよ?」
「現実を見せないでよ」
アーシア大陸のほぼ中心に位置する、フィン民主国。それが二人が生まれ育った場所である。
潤沢な土地に、資源。進んだ文明に平穏。
それらは全て、フィン国民の実に九割以上が魔法使いであることに起因する。
国民は両親のいずれかが魔法使いである場合、生まれた時に「瓶」を与えられる。成長に伴い魔法使いとしての修行を詰んでいき、やがてその魔力に導かれた精霊が瓶に宿ることで正式に魔法使いと認められる。
瓶は生体認証用の魔法陣が刻まれているため、他人に開けることは出来ないし、その精霊を使うことも出来ない。
大抵は十代後半から二十代中盤で精霊を瓶に入れることが出来、更にその中でも特に優れた者は「魔法制御機関」で働くこととなる。
魔法とは個人の身体能力を超えて大きな力を発することが可能なものであり、個人が欲望のままにそれを行使することは許されない。例えるなら魔法は大きな剣であり、その剣を往来で振り回さないようにするのが制御機関の役割である。
制御機関は複数の部署で構成されており、いずれもエリート魔法使いという扱いを受ける。
リコリーは制御機関の法務部の新人で十八歳。年齢を考えると若きエリートという表現が相応しい。
「萎びた顔してないで、どこで失くしたか考えれば? 家にはなかったんでしょ?」
「うん」
「ちゃんと探した?」
「アリトラのクローゼットの中までしっかりと」
「妹のクローゼットを漁らない」
「いいじゃん、双子なんだし」
「双子だろうと三つ子だろうとダメなものはダメ」
リコリーとアリトラは双子の兄妹であるが、二卵性なので全く似ていない。両親や親しい人間に言わせれば、目元辺りは似ているようだが二人は否定している。
エリートのリコリーと違って、アリトラは幼い頃から魔法の才能が今ひとつ、いつまでも精霊がやってこない「空瓶」と呼ばれる存在だった。
「どこで飲んだの」
「マズナルク広場にある……」
「魔女の爪?」
「うん」
「じゃあ其処にあるんじゃない? 帰りに一緒に探してあげるよ」
「それじゃ遅いんだよ」
「遅いって?」
アリトラは兄の必死の形相に首を傾げた。
「今日の午後、昇格試験があるんだ」
「昇格試験? 制御機関の?」
制御機関は大きな組織であり、上下関係も存在する。
そのため、定期的に昇格試験を実施して実績やその才能に応じて組織内での地位を上げていく。
「新人は最初は昇格しないけど、経験として全員参加が決まりなんだ。だから瓶がないと……」
「なるほど、話はわかった。でもその昇格試験って、母ちゃんの予定表にも入ってたけど」
「母ちゃんは試験官だ」
アリトラは「うわぁ」と顔をしかめて天井を仰いだ。
双子の母親は制御機関の管理部と呼ばれる場所に属している。管理部とは全ての部を統率するために存在し、其処に属するということは制御機関の重役であることを示している。
「まぁ、母ちゃんは怒らないかもしれないけど…、恥はかいちゃうよね」
「そうなんだよ……ただでさえ僕、親の七光りとか言われてるのに」
「そんなこと言われてんの。リコリー、コネとか使ってないじゃん」
「当たり前だろ。でも周りはそう思ってくれないんだよ。あぁ、もうどうしよう……」
頭を抱えたリコリーを見て、アリトラは両手を合わせて軽快な音を鳴らした。
「いい手がある。アタシがそこらへんのナイフでリコリーを刺せば、昇格試験には行かなくて済む」
「それだとお前が捕まることになるし、なんか死にそうだからいやだ」
「店には問い合わせた?」
「問い合わせたけど、そんなものなかったって」
「道は…まぁ探してるよね、当然」
「あぁ最悪だ……何で昨日、誘いになんか乗ったんだろう。昨日の僕に会えるならナイフで刺してでも止めるのに」
「それ、リコリー死んじゃうんじゃない?………仕方ないなぁ。アタシが探してきてあげるからさ、リコリーは大人しく待ってなよ」
「探してくるって…アリトラが?」
「探しまわってる姿、制御機関の誰かに見られたら困るでしょ。その点アタシはリコリーと双子だってあんまり知られてないから。知ってるような人には口止め出来るし問題ない」
「え、だって店は?」
「どうにかなる」
アリトラはエプロンを脱いでただの黒いワンピース姿になると、カウンターの中へと声をかけた。
「マスター、そういうことだから」
「おー、行ってこい行ってこい。ランチタイムまでには戻れよ」
顔は見えないが、リコリーもよく知っている男の声が返ってきた。リコリーは慌ててカウンターの中に視線を向ける。
「いたの、マスター?」
「当たり前。リコリー、もう少し注意を払ったほうがいい。じゃあ行ってきまーす」
颯爽と出て行った妹を見送った後、リコリーは不安を隠し切れない表情のままそこを後にした。
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