すれ違う思い


「本当に疲れているんだ。話なら後にしてくれないか」


ウトウトと眠りの世界に沈んでいたあたしの耳に、どこからか不機嫌な声が聞こえてきた。


『……ですが、若』

左狐サキ、くどいぞ。下がれ」


 ひどくイラついた男子の声がする。けどあたしの意識は眠りの世界に深く埋まっていて、まだ目を開けることが出来ない。


「そういえば右狐ユウキはどこへ行ったんだ?早乙女のことを頼んでおいたのに。……まさかまだ風呂に入っているのか?」

『さてどうでしょう。女の長風呂はたいそうなものですからね』


 話し声と足音がすこしずつこっちへ近付いてくる。


「それにしたってもう2時間だ。……早乙女はどこに行ったんだ?もう『和合の儀』をはじめなきゃならない頃合いなのに………」


 誰かがすこし乱暴に襖を開ける音がした。その誰かは、あたしが眠る寝室に足を踏み入れると、途端に立ち止まった。


『若?どうなさいましたか?………おや。花嫁御寮ではありませんか』


 何かがあたしに近寄ってくる気配がする。でもまだ意識が重たくて覚醒することが出来ない。あたしに寄ってきた何かはあたしの傍でくすりと笑った。


『これはこれは大胆な。……随分と罪な寝姿ですな』

「……さ、早乙女……っ!?」


 あたしの名を呼ぶ男子は、驚きのあまりなのか声が裏返っている。


「なっ………なんでここに……というかなんで服を着てないんだ……っ?!寝間着はどうした?右狐は何をしてたんだ、早乙女はどうしてこんな姿で……っ」


 その男子はだいぶ混乱したように「なんで」と「どうして」を繰り返す。するとそんな彼に、何かが答えた。


『“どうして”とは、若も随分無粋でつれないことをおっしゃる』

「……何が言いたいんだ、左狐。気色悪い笑みなんか浮かべて」

『いえいえ。こうして一糸もまとわぬ生まれたままの姿で若をお待ちしているとは、なんともいじらしいではありませんか。この左狐、感心いたしました。今度の花嫁御寮はまだまだ子供のような面容と思っておりましたが、ご自分の務めをよくよく理解なさっているご様子。

 いきなり素裸でいるとは少々あけすけすぎる気はありますが、若も年頃の男児、このような趣向はお嫌いではないでしょう。初心な見かけによらず、この花嫁御寮は男心のそそり方をよく解していらっしゃるようですな』

「黙れ左狐!……早乙女を節操なしみたいに言うなッ。……早乙女はそんな奴じゃない、それ以上言えばおまえとて俺は容赦しないぞ!!」


 あたしを庇うようなことを言ってくれるけど、くすくすと、まるで小馬鹿にするような笑い声がかぶさって聞こえてきた。


『まったく若は。相変わらず夢見がちでいらっしゃいますな。こんな幼い顔をしていても所詮女は女。まだ若は知らぬでしょうが、女とは、その昔より欲深く、ごうの深い生き物でございます。地位や名誉や権力、そんな己の欲望を満たすためならば恥ずかしげもなく男に操を捧げてきたのが、女というものですよ』

「黙れ左狐。早乙女はおまえが見てきたそんな女たちとは違う!」

『これは随分と青臭いことをおっしゃる。それだからあなた様は半人前だと侮られるのです。だいたい若はこの娘の何を知っているというのですか』


 サキって呼ばれた男の人の指摘に、男子がぐっと黙り込む。


『斎宮の小娘が申していた通り、この娘も恥じらいを捨ててまで、富や若さなど『海来玉』のもたらす恩恵に授かりたいのでしょう。生娘でありながら抱けといわんばかりの真裸で男の寝床にもぐりこんでいることが何よりの証拠。これこそ業の深い女のふるまいではありませぬか。……まあ欲深でなければ人の子が、それも豊海の育ちでもない年端のいかぬ娘が、よく知りもせぬ相手の子を産む役なぞ、こうもあっさり引き受けるわけがない』


 何かが近寄ってくる気配がして、サキさんの声がいっそう近くなった。


『ですがなにが動因であれ、結構ではありませぬか。『神婚』を無事に終えたいのは若も同じ、この娘と利害は一致しているはずです。であれば、どうか若、今宵は文字通りひと肌脱いであなたの御子を授かろうという、この花嫁御寮の心意気に応えてさしあげてください』

「……おまえに言われなくても分かっている。……これは響との約束でもあるしな」


 重苦しいため息が聞こえると、またサキという人の笑い声が聞こえてきた。


『若。いかに不本意であろうと、どうせならこの境遇をお楽しみなさい。ほら、花嫁御寮のこの玉のような清らかな肌。布団から覗くこの両肩の、なんとなめらかなこと……』

「左狐ッ!勝手に早乙女を見るなっ」

『……これこれは怖いお顔。願い求めていた愛しい花嫁の艶姿を、私のような下級のあやかしの目にすら触れさせたくないということですか。妬心をみせるなぞ、若にもまだまだ可愛らしいところがおありですな』

「自分の主をからかうな。……左狐、おまえ今すぐここから出て行け。もう今日は自由にしていい」

『承知しておりますとも。右狐とは違って、私は若の初夜の邪魔をするほど無粋ではありません。……それに私は人の子はこんな子供のような女ではなく、年増の方が好みですのでご安心を』


 あたしのそばにただよっていた『何か』の気配が、すっと遠のいた。


『それでは若様。失礼させていただきます。……ああ、あと一言だけ』

「なんだ?」

『初夜というのは誰しも緊張するものです。ですから余計な色気を出さず、ただ海来神としての本能に従うのです。たとえはじめは上手くいかなくとも、これから夫婦として営みを重ねていけば、かならずや花嫁御寮のことも天に上るような心地に導くことが出来るかと………』

「もういいから下がれと言ってる。おまえはいつも一言が多すぎるっ」

『御意。ではこれにて失礼致しますのでお励みくださりませ』


 襖がそっと閉じられる音がすると、深い深いため息が聞こえてきた。


「まったく。どういつもこいつも勝手なことばかり……」


 苦悩を感じさせるその呟きを漏らすと、声の主である男子はあたしが眠る布団の方へ寄ってきた。


「……早乙女。早乙女、起きるんだ」


 まどろむあたしの意識を一気に覚醒へと押し上げる、凛とした声。


「早乙女。早乙女ののか。……頼むから起きてくれ」


 力強くフルネームを呼ばれて、あたしはようやく腫れぼったい瞼をすこしずつゆるゆると持ち上げた。


「………う…………」


 なかなか視界が焦点を結ばない。あたしの顔を覗き込んでいる人の姿は見えるけれど、天井の明かりと逆光になっていて顔がよく見えない。でも声も顔の輪郭も、男子のものだということだけは分かる。


「早乙女起きろ。時間は迫っているけれど、さすがに俺も寝ている相手をどうこうするような鬼畜にはなりたくないんだ」


 困っているようなその声は、どこか聞き覚えのある声で。あたしは『祝宴の儀』で会ったあの彼のことを思い出し、がばっと勢いよく起き上がった。


「……か、海来さまですかっ!?」


 あたしの顔を覗き込んでいた相手は、あたしの勢いに驚いて後ろに倒れこんだ。


「……痛っ」

「うわ、ご、ごめんなさいっ、大丈夫ですか!?」

「………これくらい平気だ」


 目の前にいる相手は、むすっとした顔で答える。その人の顔を見て、今度はあたしが驚く番になった。白地に海来神社の神紋が入った浴衣のようなものを着ているのは、あたしと同じ年頃の男子だった。でも残念なことに、さっき『祝宴の儀』で会った彼とは似ても似つかない。

 その昔あたしに蒼真珠をくれた彼は、一目見ただけでも胸が震えるほどきれいな顔立ちだったけれど、目の前にいるのはこれといって特徴のない平凡な顔立ちの人。しかももっさりとした黒髪はまるで嵐にでもあったようにボサボサになっていて、表情はひどくくたびれている。ブサイクってわけじゃないけど、なんというか別に取り立てて印象にも残らないような人。この地味男子には見覚えがあった。


「………あれ。もしかして皆礼みならいくん……?」


 高校のクラスメイトである彼は、あたしの問いに冷めた顔でただ「そうだ」とだけ呟いた。


(なんでこんなところに皆礼くんがいるの……?)


 疑問に思いつつ皆礼くんを凝視していると、皆礼くんは淡々と言ってきた。


「早乙女、見えてる」

「……へ……?」

「さすがに裸でいるなら、もうすこし危機感を持ってほしいところなんだが」


 指摘されて、あたしは今自分が何も着ていないことをようやく思い出した。


「きゃあッ……!!」


裸といっても体はちゃんと布団に覆われているわけだし、上半身だけ起き上がった状態でも、ふんわりしたお布団で胸元はしっかり隠れていたはずだけど。


(見えたって、どこが見えてたのっ?何が見えてたっていうのっ……!?)


あたしは布団を肩までぐっと引き寄せつつ、恥ずかしくて布団に顔を埋めた。



 あたしが通っている新見浜高校は、豊海村の近隣にある唯一の高校で、豊海村の子供たちはみんなこの高校に進学していた。近隣地域全体が過疎っているからクラスも各学年2クラスしかなくて、あたしと響ちゃん、そしてこの皆礼くんも同じクラスだった。

 皆礼くんは顔立ちもさることながら、雰囲気もどことなく地味なひとでクラスでも全然目立たない。友だちを作ってつるんだりすることもなく、入学式からずっと休み時間は教室の片隅でいつもひとりで読書なんかをしていた。あたしも挨拶くらいでしか、皆礼くんとは言葉を交わしたことがなかった。


そんな皆礼くんがなんでこんな場所にいるのだろう。


「あの。……皆礼くんはここで何をしてるの?」


 あたしの言葉に、皆礼くんは淡々とした態度の中にもすこし呆れるような表情になる。


「何をって、『和合の儀』をするために来たに決まってるだろ」

「えっ……皆礼くんって、豊海村の人だったの!?」

「……ああ……?」


 皆礼くんは何を今更言い出すんだ、とでも言いたそうな顔をする。


「ってことは。じゃあまさか皆礼くんが、今日『神婚』で『海来様』役に選ばれた人だったの!?」


 皆礼くんが頷く姿を見て、あたしは思わず自分の右手を見た。もう一度『祝宴の儀』で会った初恋の彼に会いたいと思っていたのに。こうして『海来様役』の人が来てしまったということは、本物の『海来様』、つまり初恋の彼は、もうあたしの前には表れてくれないんじゃないかって、急にそんな不安に駆られたのだ。


「……あ……」


 そんな不安を裏付けるかのように、あたしの手のひらからは握りこんでいたはずのものがなくなっていた。この手の中に、しっかりおばあちゃんが作ってくれた匂い袋を、そしてその中に入れていた蒼真珠を握っていたはずなのに。

 あたしの手のひらの中には、握りこんだ皮膚と皮膚が重なった部分に、匂い袋と同じ柄の、ちいさなちいさなまるで燃えカスみたいな布の破片だけしか残っていなかった。


 あたしはここへ来る前、蛇女に襲われて食べられそうになった。あのとき、匂い袋を握っていたあたしの右手は燃えるように熱くなり、そこから強い光が迸った。


(あれはきっと、蒼真珠の力だったんだ。……彼がくれた蒼真珠が、化け物に襲われそうになったあたしを守ってくれたんだ……)


 そう気付いた途端、鼻の奥がつんと痛み出す。守ってもらえたのはうれしかったけど。これでもう彼に蒼真珠を返すことが出来なくなってしまった。再会の約束の印だった蒼真珠を失ってしまったあたしは、もう彼に会うことが出来ないのだ。たぶん永遠に。だからこの『和合の儀』にも、『海来様役』の皆礼くんが来て、彼は来てくれなかったのだろう。


「……皆礼くん。ここへ来る前に、誰かに会わなかった……?」


 もう会えないと分かっていても、あたしは未練がましく聞いていた。初恋の男の子に二度と会えないかもしれないっていう現実は、どうしても受け入れ難かったのだ。


「誰かって?」

「……蒼真珠みたいなきれいな着物に、瑠璃色の帯を締めた男の子。……凛とした声の、すごくすごくきれいなお顔をした、とてもステキな人なの。皆礼くんどこかで見なかった?……『海来様役』に選ばれたんだもん、皆礼くんも会わなかった!?会えなかったっ!?」


 あたしの必死な言葉に、皆礼くんは何も答えず、ただ顔色を曇らせる。


「ねえ、どうなの?お願い、なんでもいいから知っていることがあったら答えてっ。さっき客間の『祝宴の儀』で会ったひとで、あたし、どうしてももう一度そのひとに会いたいのっ。だって、ちいさい頃からずっとずっともう一度会いたかった人だから。もう二度と会えないかもしれないけど、あたしの大切な人なのっ。

 ……お願い、皆礼くんの言うこと何でも聞くから。パシリになってもいいし、学校の当番だっていくらでも代わるからっ。だからお願い、知ってることがあったら何でもいいから教えてください……!!」


 言いながら、もう本当に二度と会えないかもしれない絶望感がじわじわ胸に迫ってきて、あたしは涙声になる。


「お願い、皆礼くん」


 皆礼くんにお願いしたってどうなるわけもないだろうけど、あたしはただわめくことしか出来なかった。そんなあたしに、皆礼くんはますます顔を暗くさせて答えた。


「本当に、何でもいうことを聞くのか……?」

「え?」

「………わかったから。………じゃあまず、もう一度布団に寝て」


 その感情を押し殺したかのようなあまりに低い声に驚いて、すこし怖くなったあたしは言われるがままにまた布団に横たわった。

 そうしてみると、ちゃんと掛布団で体は覆われているといっても、裸のままお布団に入っていてしかもすぐ傍にはクラスメイトの男子がいるってこの状況は、なんかとんでもなくありえなくて恥ずかしいことだとようやく気付いて不安になってきた。


「早乙女。俺の望みはひとつだけ。この五年に一度の特別な大潮の間に、無事に『和合の儀』を終わらせることだよ。……それが俺に与えられた役目だから」


 皆礼くんはそう吐き捨てるように言った。皆礼くんは、学校にいるときはべつに特別やさしくもつめたくも見えなかった人だけど、今はなんだかすごく苛立っているのか、あたしにかける言葉がひどく冷ややかだ。怒っているように見えるけど、なぜかとても傷ついているようにも見える。その皆礼くんはあたしを見下ろしながら言った。


「……でもその前にひとつ確認しておきたいことがある」

「うん……?」

「響の言っていたことは本当か?」


 皆礼くんの口から、いきなり呼び捨てでその名前が出てきてびっくりした。


「え……響って……同じクラスの斎賀響ちゃんのことだよね……?皆礼くんって、響ちゃんと知り合いだったの?」


 学校じゃ2人が話しているところを見たことがないし、全然知り合いっぽい雰囲気もなかったのに。


「今はそんなことはどうでもいいだろ。……早乙女。おまえ『花嫁御寮』の話をあっさり受けたらしいな。響から『花嫁役』の詳しい話を聞いても、それでも本当に引き受ける気になれたのか?」


 皆礼くんはなんだかものすごく真剣な顔をして聞いてくる。


「う、うん?」


 『神婚』の詳しい説明をしてくれたのは、響ちゃんじゃなくて、宮司さんだ。それに儀式が始まる日時とか、儀式をすべて終えるには3ヶ月近くかかるとおしえてもらっただけで、あとはすべて『秘祭なので概要は当日知っていただくことになります』って言われただけ。事前にそこまで詳細な説明をしてもらえたわけじゃない。

 でも古くから伝わる神事に参加出来るなんて名誉なことだし、もしかしたら蒼真珠の彼に会えるかもしれないって期待もあったから、あたしはすんなり承諾した。


「なんでそんなにあっさり引き受けた?斎賀の爺は言葉を濁して誤魔化していたみたいだけど、響は『和合』の意味を早乙女にちゃんと説明したんだろ?『和合』ってつまり、妊し………っ…………じゃなくて……その、『懐胎』するってことなんだぞ」


 皆礼くんが言う『カイタイ』って言葉は聞き慣れないしよく意味がわからないけど、『和合の儀』っていうのが、海来様がお隣にいるつもりになって婚礼布団で眠ることなんだって宮司さんと響ちゃんから事前に聞いている。


「うん。『和合の儀』のことなら、説明はちゃんと受けてるよ?それがどうかしたの?」


 軽く答えたあたしに、皆礼くんは絶句する。


「………知っててそんな平然としてるのか?……女にとっては、一大事なことなのに…?…」


 理解できないとでもいうように、皆礼くんは言う。


(女にとっての一大事って、たぶん結婚のことを言ってるんだよね……??)


 でも結婚って言っても『神婚』は神事の儀式であって、ほんとうの結婚じゃないんだし、疑似結婚式を挙げるくらいでそんな『一大事』だなんて、おおげさじゃないかと思うんだけど……。


「ねえ、皆礼くん。なんかそんな固く考えなきゃいけないことだった……?」

「当たり前だろッ、何考えてるんだ、早乙女はッ!!」


 怒るようなすごい剣幕に、あたしはあっけにとられてしまう。


「早乙女、おまえまだ16なんだぞッ。まだ高校生でッ、……信じられない。よくそんなあっさり決心出来たな」

「……う、うん?」


 べつに神事に参加するからって、学校に通うことに支障が出るわけじゃないし。何がそんなに問題なんだろ。


「不安はないのか?」

「不安?え、なんで??」

「……それは、俺だって詳しくは知らないけど……すごく大変でしんどいことなんだろう?」


 今日の『神婚の儀』のことを言ってるのだとしたら、婚礼衣裳を長い時間着るのはたしかにしんどくて大変だったけど、べつに耐えらえないことじゃなかった。


「そんな大変なことなのに、本気で『たのしみ』とか、『うれしい』とか、そんな風に軽く思えるのか?……そんなに早乙女は『神婚』を達成した見返りが欲しいのか?」


 見返りとか、そんな話を響ちゃんとしたのは、つい一週間くらい前のことだ。


 あと数日後に控えた『神婚の儀』が待ち遠しくて浮かれていたら、響ちゃんに『なんでそんなにうれしそうな顔をしてるの』って聞かれて。あたしは『もしかしたらずっと会いたかった人に会えるかもしれないから、神婚がたのしみでうれしいの』って答えた。『もしかしたら神婚をがんばったらご褒美にその人に会えるかもしれないって、そんな予感がするの』って。


 神事をまるでデートの約束気分で待ち続けて浮かれていたのは、たしかに不謹慎かもしれないけど、皆礼くんにこんな怖い顔をされなきゃならないほど悪いことだとは思えない。


「皆礼くん、その話響ちゃんから聞いたの?……響ちゃんと、ほんと仲いいんだね」


 普段無口な響ちゃんが、皆礼くんにはなんでも喋っちゃってたってのは、ちょっと驚きだけど。


「『神婚』をたのしみだって思っちゃイケないの?不純かもしれないけど、でも今日の儀式はいい加減な気持ちでなんか参加してない。ちゃんと真面目に自分なりに自分の役を務めたつもりだよ?それでも皆礼くんはそんなあたしが許せない?……頑張った見返りを期待しちゃいけないの?それってそんなに悪いことなの?」


 あの初恋の彼と会えるかもしれないという見返りほしさに頑張ったことは、そんなに責められなきゃいけないことなのかな?そう思ってあたしをどこか非難めいた目で見ていた皆礼くんに言うと、皆礼くんは表情を歪めた。


「まさか開き直られるとは思わなかった。早乙女は、見かけによらずしたたかなんだな。……見返りなんかのために『懐胎』することを割り切れるなんて。……まさか響や狐たちの言うことの方が正しかったなんて………まったく、夢見がちで青臭い自分を呪いたくなる………」


 自嘲するように言うと、皆礼くんはぽつりと呟く。


「ああ、そういえば響が言ってたな。早乙女は金が必要なんだって。だからなのか?」

「え?」

「……早乙女も早乙女の両親も、祖父の吉郎さんたちが住んでいた家を買い戻そうとしてるんだろ」

「……う、うん……?」


 豊海村の海の近くにあるおじいちゃんおばあちゃんの住んでいた家は、ふたりが亡くなって空き家になったとき、ぜひ買い取りたいと申し出てきた人がいたから、早々に売り渡すことになった。

 なんでもおじいちゃんたちの住んでいた家は、もとは華族筋のやんごとなき家柄の方が別荘にするために建てたお家で、その名家の方々が不動産を処分なさるときにおじいちゃんのお父さんが相場よりもだいぶ安く売ってもらったらしい。言われてみれば田舎の一軒家にしては欄間(らんま)の細工や柱、天井の梁がとても見事な家だった。

 おじいちゃんの家を売ったその当時はまだあたしたち家族は都内で暮らしていて、豊海に引っ越す予定なんてなかったし、遠い豊海までしょっちゅう家を手入れするために帰ることも出来なかった。だからこのままボロボロの空き家になるより、大事に住んでくれる人にこの家を任せようと言ったのはお父さんだった。

 でも今になってこうして豊海村に越してくることになると、やっぱり思い出の詰まったあのお家で暮らしたいねって家族でそんな話になって、いつかあの家を買い戻そうって、お父さんとお母さんとあたし、みんなで決めたのだ。


 そんな話も前に響ちゃんに話した覚えがあるけれど、そんなことまで皆礼くんが知ってるのは、なんだか不思議というか妙な気分だ。


「早乙女のお祖父さんのあの家は、今は冨野さんの持ち家だったな。……とても気に入って住んでいるようだから、あの人から買い戻すためにはたしかに大金が必要だ」


 どうしてそんなに村の不動産事情に詳しいのかわからないけど、皆礼くんはそんなことを呟く。


「俺には早乙女が欲深い人間なんかには見えなかったけど。……でもどうやら早乙女が『海来玉』の恩恵に授かりたがっているっていうのは、嘘じゃないみたいだな。『和合の儀』で『海来玉』を身体に宿せば、その神力の恩恵でこの豊海にいる限りはもう金に困るようなことはなくなるんだから……」


 皆礼くんはまるで自分の言った言葉に絶望していくように、喋るたびに苦しそうな顔になっていく。


「………早乙女は大金っていう十分な見返りさえあれば、一度くらい『懐胎』を我慢できるっていうわけなんだな……」


 よく意味の分からないことを言った後、皆礼くんはさらに声のトーンを落としてささやくように呟いた。


「……でも言ってくれれば、この村の土地のことなら俺は相談に乗ったのに。早乙女たちの家族があの家を取り戻せるように力になったのに。こんな……こんな身売り同然のこと、俺は早乙女にしてほしくなかった」

「皆礼くん……?」


 なんだろう。


 なんかさっきから話が噛み合ってないような、変な感じがする。ボタンを掛け違えたようなこの違和感を、このままうやむやにしないほうがいい気がする。


「ちょっと待って。皆礼くん、今の話……」

「静かに」


 皆礼くんは、硬い声でぴしゃりと言い放つ。今ここで、ちゃんと話を聞いておかないと後悔することになりそうだって予感がするのに、あたしを見る皆礼くんの視線が突き刺さってきそうなくらい冴え冴えとしていて、うまく言葉が出てこない。そんなあたしを見て、皆礼くんは苦笑する。


「……そんな顔、しなくていい。俺が勝手に期待して、勝手に失望してるだけだから。べつに早乙女が悪いんじゃない。ただ俺が夢見がちな甘ったれなのがいけないんだよ」

「待って、どういうこと?あたしは……」


 あたしがおそるおそる口を開くと、皆礼くんはその顔から表情を消して言った。


「もう黙っていろ。声を出すな。……気が散る」


 あまりに冷たい言葉と視線に背筋がひやりとして、あたしは何も言えなくなる。


「そのまま大人しくしていればすぐに終わらせる」


 そういって皆礼くんはあたしに手を伸ばしてきた。






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