神婚 ~まだ16歳だけど、神様に嫁ぐことになりました~
@kusi
~ とある晩の“夫婦”の会話 ~
「早乙女。ひとつ提案があるんだが」
お夕飯を食べているときだった。あたしの向かいに座ってちょっとコゲてしまった干物に箸をつけていた日高くんが話し掛けてきた。
本日のメニューは脂の乗ったマアジの開きに山菜の磯部和え、採れたてのタケノコで作った若竹煮、新ゴボウの和風サラダにアサリのお味噌汁、それに漬けていたことをうっかり忘れてぬか床の奥深くに沈んだままになっていた人参とキュウリのお漬物、たっぷりの白ごはん。
今日も学校から帰ってきてから約3時間半、女中頭の梅さんとあたしの教育係である鶴子さんに何度もド突かれまくり、叱られまくり、人生の大先輩であるふたりから『花嫁指導』と言う名の愛の鞭で打たれまくりながらどうにか完成させた献立だ。
日高くんと暮らしはじめた日は食材たちの恨み声が聞こえてきそうなほど不味い料理を出してしまったあたしだけど、同居をはじめて一週間、どうにか見た目も味もだいぶマシになってきたと思う。だけど目の前に座る日高くんはあたしを見てなんだかもの言いたげな表情をしているから、あたしは3時間以上台所に立ちっぱなしですっかり冷えてしまった足をさすりながら目の前の日高くんをにらみつけた。
「お味噌汁の味をもっと薄くしろとか、日高くんはまたなにかあたしの作ったごはんにクレームでもあるんですか?」
「クレーム?昨日のあれは別に文句でも嫌味でもなくて正当な意見だ。早乙女だって塩辛くて飲めたもんじゃないって自分で言ってただろ」
日高くんはあたしと同い歳の高校生のクセにいつもやたらと落ち着いてて、あたしの作った料理の出来も実に淡々と品評してくる。嘘のない言葉だからこそ、日高くんの指摘はいつも胸にぐさっと刺さった。
「………すみませんね、味噌汁のひとつもまともに作れなくてっ」
「いや、今日のはまともに作れてる。味噌の分量がちゃんと修正されてる。料理ってたった一日でも上達するもんだな」
おいしいとは褒めてくれなかったけれど、日高くんはお味噌汁を最後まで飲み干してくれた。
「それはどうもお粗末様です。……で、提案ってなに?あっ!もし炊飯器の件だったら、絶対にあたしは譲れませんから!」
あたしは今、クラスメイトでもある日高くんのお家に期限付きで一緒に住まわせてもらっているのだけど、日高くんの家に来てカルチャーショックを受けることが何度もあった。そのひとつがこの古いお屋敷にはほとんど家電がないことだった。台所にはいまどきどこの家庭でもお馴染みのはずの電子レンジもオーブンもトースターも、炊飯器すらもない。信じられないことだけど、今まで日高くんが口に入れるものは、この家に通う女中さんたちが毎食ごとに膨大な時間を掛けて一から拵えていたのだ。
「炊飯器は絶対に絶対に買ってもらいます!誰がなんと言おうとこの家に絶対に必要なものですから!!日高くんだって毎日おいしく炊けたごはん、食べたいでしょ?」
「けど今日はコゲたりおかゆみたいにベチャベチャになってなくてよく炊けてる。十分うまいから早乙女も食べなよ」
家でも学校でもあまり口数の多くない日高くんに思いがけずに褒められて、その瞬間胸が勝手にキュンってなる。だってこの人はお世辞を言うようなタイプじゃないから、本心からの言葉なんだと思えば途端にうれしくなってしまう。
「ありがとうゴザイマス……」
もじもじとお礼を言って、さてあたしもごはんを食べてみるかと思ったときにはたと気づく。またあやうく話を逸らされるところだった。
「………じゃなくて!もう、日高くんはそうやってすぐあたしの言うこと流そうとする!」
「別に流そうとはしてない。けど早乙女は土鍋でこんなにうまく飯を炊けるようになったんだから、別に電気の炊飯器なんて使わなくても大丈夫だろ?」
さすが極度のお坊ちゃんで、家事の苦労を一切知らずに育ってきた人の発言だ。……いや、あたしだってつい一週間前まではそんな苦労、まったく知らずにいたわけだけどさ。
「いいえ!たしかにガスで炊いたごはんはおいしいですけど。おいしさの問題じゃなくて、手間の問題なの!!」
「手間?」
「そうですっ。土鍋はずっとコンロで火加減見てなきゃいけないけど、炊飯器があればボタンひとつで終わるんだよ!?ただでさえレンジでチンとか出来なくて朝のお弁当作りも朝食も夕食も作るの大変なんだから!!ごはん炊くのくらいは機械に頼らせてくださいっ。料理ばっかに時間とられて勉強時間減って成績落ちたら、うちのお父さんたちに心配かけちゃうしっ」
あたしの両親のことを口にした途端、日高くんのポーカーフェイスに近い表情がわずかに曇った。
「お父さんなんて、『花嫁役』なんてやめて今すぐ家に帰って来いって言ってくるかもしれないんだよ?そんなの、日高くんだって困るでしょ?」
「それもそうだな………わかった。じゃあ炊飯器の購入は、前向きに検討しておく」
あたしの両親のことを持ち出すのは卑怯かなとも思ったけど、おかげで日高くんは前にお願いしたときよりもあたしの意見に歩み寄った返事をしてくれた。
心の中でガッツポーズを決めていると、そんな間にも日高くんは黙々とあたしが拵えたおかずを口に運んでいく。日高くんはきれいな箸使いだし、出したものはどんなに見た目がひどくても味がまずくても残さず食べてくれるから、そこはちょっとうれしかった。
「それで日高くん、あたしに提案があるんだっけ?……あ、はじめに言っておきますけど、何度言われても日高くんの着替えの用意はあたし、もうやりませんから!お風呂に入るたび、朝着替えるたび、『早乙女、着替え!』とかってあたしを呼びつけるのやめてくださいっ」
びしっと指を向けて言ってやる。
「今まで梅さんたちは日高くんのこと甘やかしてくれたかもしれませんけど、あたしはそうはいきませんから!日高くんももう子供じゃないんだし、これからは着替えくらい自分で用意してくださいね!」
「………考えておく」
日高くんは往生際の悪い返事をする。もう16になるっていうのに、自分の着替えが家のどこに置いてあるのかもわからないとか、どんだけ生活能力ないんだか。……心配になって、うっかり世話焼きそうになっちゃうけど、今日こそ心を鬼にしないといけない。
「あと、あたしが隣の部屋にいると落ち着いて眠れないとか、またそんな意地悪なこと言い出さないでくださいね?いつまた妖怪とか変なモノが出てくるかもしれないのに、日高くんがすぐ隣の部屋にいてくれないと、あたしこわくて眠れないんだから」
「……この前俺だけ別棟で寝たのは、べつに意地悪でそうしたわけじゃない……」
「じゃあなんで?なんの理由があって日高くんは隣の部屋にいてくれなかったんですか?」
あたしが詰め寄ると、なぜか日高くんはちょっとだけ気まずそうな表情になって、顔をぷいっと背けてしまう。
「……どうだっていいだろ、そんなこと」
「どうでもよくありません!あ。もしかして、あたしイビキうるさいとか?だから隣の部屋じゃ寝つけなかったの?」
「違う。……けど普通に考えて、隣に早乙女がいて寝つけるわけないだろ……っ」
理由はよくわからないけど、日高くんはちょっとイライラした様子で言ってくる。
「この家に異形の神たちがやってくるのは『祝宴の儀』のときだけだから、もう大丈夫だ。だいたい何かあったときのために、ちゃんと俺の使役を早乙女につけてやってるだろ」
「それって
いっつもあたしのことを無能呼ばわりする性悪狐どもを思い出し、つい聞き返す声が尖ってしまう。
「あのふたり、あたしが日高くんの『花嫁役』なのがよっぽど気に入らないみたいで、あたしには姿も見せてくれませんけど?イザってときに、ほんとにあの2人があたしを守ってくれるんですか?」
「………わかった。そのあたりのことは今後よく言い聞かせるから」
「お願いしますね?あたしは日高くんと違って、霊感も超能力もなんもなくて、妖怪とかやっつけられないんだから」
「……ああ」
「だからまたこっそり夜中に抜け出して離れの部屋で眠るとか、ほんと、絶対にやめてくださいっ。あたし、日高くんが傍にいてくれないとイヤですからね?……ああ、あとはね、学校から帰ったらお弁当箱はちゃんと鞄から出して流しに置いて水につけておいてね。それと使い終わったバスタオルは、」
「早乙女」
あたしの話は一度はじまってしまうと長くなることを、日高くんはこの数日の間で学んだようで、あたしの言葉を遮って呼びかけてきた。
「なんですか?あたしの話はまだ終わってないんですけど」
「早乙女。とりあえずその他人行儀な話し方、やめにしないか」
日高くんは一度箸を置くと、あたしをまっすぐに見つめて言ってくる。
「他人行儀?」
「早乙女も俺も同い年なんだし。それで敬語とかおかしいだろ」
「………でも。そんなこと言われても……」
あたしと日高くんは、会ってまだ一ヶ月ほど。話をするようになったのは、それこそ同居をはじめたこの数日。あたしたちはお互いに、まだまだ馴染み切れない他人みたいな存在だ。それに学校ではふつうのクラスメイト同士だけど、この豊海村にいるときだけはあたしと日高くんの間には絶対に越えることが出来ない『身分差』がある。いきなりもっと砕けた話し方をしろと言われても、だいぶ難しい。
「日高くんって、いちおう、この村でいちばん偉い人なんでしょ?」
「だとしても早乙女は俺に畏まった口のきき方をしなくていいって、前にも言っただろ」
「でも………」
この村でいちばん大きなお屋敷に住んでいる日高くんは、村では『神さま』の如き扱いを受けている人だ。そんな日高くんにただのふつうの高校生でしかないあたしがタメ口を利くなんて、やっぱりどうしても抵抗があった。
「あたしなんかが日高くんと同格みたいな口をきいたら、梅さんや鶴子さんたちが黙ってないと思うんですが……」
「俺がいいっていってるからいいんだ。それと早乙女のこと、俺はやっぱり名前で呼ぼうと思う」
「……えっ」
タメ語で喋れと言われたことより、もっと衝撃的な提案だった。
「そんなに驚くことか?仮にも俺たちは『夫婦』なのに、『嫁』の早乙女のことを苗字で呼ぶとか、やっぱりおかしいだろ」
硬派な見た目の日高くんの口から出てきた『夫婦』とか『嫁』って言葉に、あたしの顔は一気に熱くなる。
「や、いやっでもっ!夫婦っていっても、本物の夫婦なワケじゃなくて、あくまで『神婚』の儀式をするのに選ばれた、形式的な関係であって、ほんとに結婚するわけじゃないしっ、その、神事をまっとうするためにたまわったお役目というか、『夫婦役』なわけだし、だからえっと、そこまで本格的に役になりきらなくても……っ」
「ののか」
パニック気味になっていたあたしに、日高くんはよく通る声であたしの名前を口にした。『のんちゃん』とか、『のの』とか、男子にふざけてあだな呼びされたことはあるけれど、親戚以外の異性に名前を呼ばれたのは生まれて初めてであたしの胸はどうしようもなく高鳴ってしまった。
「今日のメシ、うまかった。ごちそうさん」
「………は、はい」
「慣れないことが多いだろうに、毎日いろいろ頑張ってくれてること、感謝してるから。ののかが俺の『花嫁役』でよかった。……残りの期間もよろしくな」
名前呼びにドキドキしたのも束の間。『残りの期間』って言葉に、いっきに現実に引き戻される。
そう、あたしと日高くんの『新婚生活』は、本物の夫婦のようにこれから先もずっと続いていくわけじゃない。『神婚』の儀式が無事に終われば、あたしはお役御免、晴れて自由の身になる。そうなればあたしと日高くんは、またただのクラスメイトに戻るのだ。
そんなことは初めから分かっていたし、あたしは早くこのニセモノの新婚生活が終わることを願っていたはずなのに。
「ののか?どうかしたのか?」
「……な、なんでもありませんから!あ、この若竹煮。思ったよりおいしく出来てるかも。まだお鍋にたくさん残ってるから、明日のお弁当にいれますね!」
一瞬感じたはずのさびしさみたいな痛みに気付かないフリをして、あたしはあたしが拵えたまずまずな出来の夕ご飯をもりもり口に運んだ。
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