10話 月の意味と星空の─透

 紫色は消え、空は黒色になっていく。今日も終わりを迎えようとしていた。

 それでも、前をひたすらと歩く彼女。どんな表情をしているかは分からない。ただ、ついていくだけは昼とは変わらない。けれど、距離が縮まったような気がしていた。

 なんでかと聞かれたら、分からないと答える。けれど、透の直感はそう伝えていた。

 彼女を眺めながら、先程の笑顔を思い出していた。それはとても綺麗に見えた。あんな笑顔を見るのは久しぶりだ。そう断言できる。

 他人ひとの綺麗な笑顔。

 透の周囲の人達は、いつも笑っていた。けれど、その笑顔は透に気を使うようだった。

 無理矢理笑っている。

 仕方なく笑っている。

 笑ってあげている。

 そんなことは見るとすぐに分かる。毎日毎日、どの人も嘘の笑顔だった。だから、透も同じように笑う。

 無理矢理笑う。

 仕方なく笑う。

 笑ってあげる。

 これを繰り返す。すると、本当の笑顔を忘れてしまう。そして笑顔ができなくなる。

 そんな透と彼女は違っていた。

 まだ一回しか見ていないが、彼女は本当に笑っている。綺麗に笑っている。無理矢理とか、仕方なくとかじゃなくて。

 例えるなら向日葵のように。とても綺麗に、昼に見えていた太陽みたいに眩しかった。


(一回だけでもいいから、あんなふうに笑ってみたいな)


 透はそう思ってた。

 灯りは無く、星の光が目印になっている。ギリギリ足元が見える明るさだった。ただそれも雰囲気があった。

 道なき道を歩いていく。

 少し坂道になっていて、足元がおぼつかない。先程降っていた雨が残っているのが原因だろう。

 透はこんな場所を歩くのは初めてだ。気をつけていないと、転んでしまうかもしれない。しっかりと一歩ずつ歩く。

 やがて、彼女は立ち止まる。彼女の先には一本の大きな木があった。それは、このまま宇宙にいきそうだった。


「大きな木だよね。このまま宇宙にでもいっちゃいそう」


 彼女は木を見るとそう言った。透と同じことを考えているようだった。透と彼女がそう思えるくらいに、この木は大きかった。


「奇遇だね、僕も今同じこと考えてたよ」

「もしかしたら、案外私達って気あうかもね」

「確かに……じゃあさ、今僕が思ってること当てられる?」

「……もうそろそろ休憩したい、とか?」

「凄い正解だよ。僕達ってほんとに気あってるね」


 そう言って、少し透が微笑むと、彼女はまた笑った。やはりこの笑顔は綺麗だった。そして今まで見たなかで、可愛かった。


「君がそう思ってるなら、今日はここらへんで休憩にするよ」

「そうして。ここなら見晴らしいいから飽きないと思うし」


 大きな木のある丘。それが今日の成果だった。

 彼女は木を背もたれにして座った。透はそんな彼女の隣に座る。体がくっつきそうでくっつかない、微妙な距離。

 そして、お互い喋らないで数時間が経った。

 透は姿勢を動かすために、手を草の上にずらした。すると僅かに手が濡れる。まだ雨が残っていたようだった。


(まだ乾いてないんだ)


 そんなことを考えていると、彼女がいきなり手を掲げた。ついていた水滴が宙を舞った。

 彼女はそんなことは気にせずに、この星空を見ながら、


「ねぇ、見上げてみなよ。綺麗な星空だよ」


 と言った。

 真っ黒で他の色がなにも見えない空。そこで一生懸命輝いている星。

 自分はここにいるよ。

 自分を見つけてよ。

 そう伝えている気がした。

 無数の光。それはまるで世界の終わりを見ているようだった。

 その光を掴もうとして、透は手を伸ばす。

 不思議と届くような気がしたからだ。

 今なら掴める気がしたからだ。

 この光を身近な存在に感じられたからだ。

 けれど、届かない。

 そう知ると、ゆっくりと手を下ろした。また手が濡れた。

 隣の彼女は未だ手を掲げている。


「なにやってんの?」


 そんな彼女にそう言った。


「ただ届けばいいなぁって思って、手を伸ばしてるだけだよ。この手が届けばいいのに……なんで届かないんだろう。

 もしかして、星ってシャイだったりするのかな?だから届かないのかな」

「それは星にでも聞かないと分からないよ。…ただ、届かないからこそ、星って綺麗に見えるんだよ。きっと……」

「そうなのかな」

「そうだよ。それに届いたりしちゃうとつまらないよ」

「それもそうだね」


 届きそうで届かない。

 近くに見えているのに遠くにある。

 それは当然のことだ。ただ、今は何故か哀しく感じる。


「……ねぇ、知ってる?月ってね、満ちてると生を、欠けてると死を表すんだよ」


 透はそう言われて月を見る。

 欠けていた。そして白く輝いていた。それはまるで、二人を優しく包み込むようだった。二人を見守っているようだった。


「…それどこ情報?」

「インターネットと本」

「へぇ……じゃあ今の月は死、なんだね。僕と君みたい」

「うん……けどなんか……あの時はなんも思ってなかったけど、死ぬのってやっぱり………」


 その後の言葉。

 それは、とても小さくて聞き取れなかった。あるいは聞き取ろうとしなかっただけかもしれない。


「なんて言った?」


 だから、聞き返すことしかできなかった。


「ううん、なんでもない」


 そして沈黙が訪れた。

 ただ2人で星空を見ているだけだった。

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