8話 狐の嫁入り、君の微笑み─莉子

 すぐ目の前には大きな水たまりが広がっていた。そこには、水滴が次々と飛び込んでいく。水紋がたくさん見える。それでこの雨の激しさが分かる。よくニュースでやっていたゲリラ豪雨を思い出す。

 莉子と彼はバス停のベンチに座り、そんな光景を眺めていた。ただ雨が降っているだけ。それなのに眺めていた。

 他にやることがないからではない。ただ眺めていると、落ち着くような、疲れがとれるような。そんな気がしたからだ。

 空は未だ紫色。まるで、雨が降っていることに空だけが気づいていないようだった。そう考えると空は間抜け者だ。これほどの雨に気づかないなんて、どんな神経をしているのだろうか。

 知っているのは二人だけ。

 そして、この世界にいるのは二人だけ。

 二人だけの世界は綺麗だった。

 二人だけの世界は美しかった。

 今まで生きていた世界とは比べものにはならなかった。この美しさを知ってしまったら、もう戻れないように感じた。

 雨は降り続ける。二人には終わりが分からない。だから、待ち続ける。それしかできない。

 濡れていく草木。

 大きくなる水たまり。

 広がる水紋。

 濡れる身体。

 紫色の空。

 雨の音。


(なんか凄い光景だ。初めてだよ、こんなの見るなんて)


 その光景はまるで、


「狐の嫁入りみたい……」


 だった。


「なにその、狐の嫁入りって?初めて聞いたけど……」


 莉子が小さく呟いた声は、彼に聞こえていたようだった。彼は狐の嫁入りを知らなかったらしい。莉子の呟いたことに疑問を持っていた。莉子はその疑問を無くすために説明をした。


「今みたいに、晴れてるのに雨が降るのを狐の嫁入りって言うんだよ」

「へぇ、そうなんだ。けど、なんで狐の嫁入りなの?別の言い方でもいいんじゃない。ほら夕立とか、ゲリラ豪雨とかでも」

「ちゃんと、狐の嫁入りって呼ばれるようになった由来はあるよ。

 昔は狐が人間を化かしたり、人間に化けたりしてたの。その時に、お嫁さんに行くこともあったりしたんだ。

 けど、化かす狐を人間はとても嫌いだから、もしもバレたりにしたら殺されちゃうの。だから、バレないようにするために雨降らすの。少しでも嫁入りの瞬間を見る人を減らすためにね。

 私は狐じゃありません。私は人間ですよ。私はただのお嫁さんですよってね。だから、狐の嫁入りなんだよ」

「へぇ、………けど僕だったら、おめでたいことだから皆にお祝いしてほしいな」


 彼は微笑む。とても優しい表情だった。昔を想い出すような笑顔。そして、どこか懐かしさを覚える表情。莉子は少し複雑な気持ちだった。

 彼は未だに雨降る空を見ている。その横顔はどういうわけか哀しそうに見える。それは、気のせいかもしれない。けれど、莉子には気のせいには見えなかった。彼にはとても大切なモノを抱えてるように感じれた。


「どうして?バレたら殺されたりするんだよ」

「殺されるとはいえ、誰にもお祝いされないなんて可哀想だと思わない?……僕はそう思うよ」


 そう言い、彼はまた微笑んだ。

 また、優しく微笑んだ。

 その笑顔。

 その仕草。

 それで想い出す。

 それは、解かれる記憶の一部。

 ずっと昔、楽しかったこと。

 ずっと昔、辛かったこと。

 誰にも話していなかったこと。

 誰にも話せなかったこと。

 そして、全ての始まりを。

 今、莉子は想い出す。

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