第二章:鬼謀 ~順門府よりの亡命~

序章:玉衣の戦姫

 中央に位置する二百六十万石の広大な土地。そこが朝廷の直轄領であり、今生の帝の座す宮城は、都は、その中心にある。


 その周囲四方を数十城と険阻な土地と、初代皇帝の布武ふぶ帝以来の家臣団が鎮護している。 彼らはそれぞれ五千から一万の直属精兵を抱え、有事には召集され、あるいは直接国境の防備に向かう。

 また都自体にも高い防御性と、最大にして三万五千の親衛軍、すなわち禁軍が配備されており、境界にて戦力を討ち減らされた敵がかろうじて宮城にたどり着いても、決して陥落させることはできないとされていた。


 巳の月十四日。

 その堅城東に位置する御殿で、ある珍客が皇帝に謁見していた。


「……以上の経緯より、忘恩の逆徒は、ことごとく誅しており、二度と我ら鐘山家、陛下の御心をわずらわせるようなことはございませぬ。つきましては、引き続き我らに順門府をお任せいただきますよう。必ずや、かの土地に平穏と安寧と秩序を取り戻してご覧に入れましょう」


 流れるような上奏が、耳に気持ちの良い声音に乗せて運ばれる。

 自分たちの家紋の縫い込まれた錦の帯の前に居並ぶ朝臣らは、まずその声に聞き惚れ、次にその姿に見惚れた。


 座れば牡丹、とは誰の言葉だったか。

 たった今、帝と対する銀髪の女神、鐘山銀夜は、確かに大輪の白牡丹のような堂々とした誇りに満ちていた。

 御簾に隠れた帝が、軽く上体を揺すったのが、末席の上社かみやしろ信守のぶもりからも見えた。


 天下の諸侯に、主上よ帝よと崇められる少年は歳にして十五。

 幼少を理由に政務を宰相たる星井ほしい文双ぶんそうに全面的に委任している彼は、これこれという偉業を成したとか、どう法を制定したとか、そう言ったものを残していない。平々凡々とした治世。

 このように美しい姫が自らに臣従する光景に、その純心をくすぐられて少なからぬ感動を覚えたのだろう。


 ――自分の威徳が届いたのだ、等と下らぬお心得違いをされているのであろうな。


 言えばその場で首の落ちる暴言を、信守は胸の内に秘めた。

 相手が四代目の帝ということを差し引いても、年若い少年相手に酷な感想だと思わないでもない。


 だが

「皆の者、これぞ義士だ。彼らのような者たちこそ、我が王朝の宝だ」

 と無邪気にはしゃぐ彼に対し、末席に端座する信守はなおさら皮肉な気分を募らせた。


 ――主人や肉親を弑して喜ぶ殺人者を、天下の主様が義士と褒めはやすか。なんとも馬鹿馬鹿しい。


 あるいは陛下の言うとおり孝心よりも忠義を選ぶほどに、滅私奉公を旨とする正義の徒なのかもしれない。

 だが信条などという形のない何かのために、肉親を嬉々として殺す。そのような輩が、赤の他人を裏切らないとでも考えているのだろうか?


 ――これは、流石に底意地の悪すぎる想像だな。


 自らの悪性に微苦笑し、信守は無心で退屈きわまる儀式を見届けることにした。


「よかろう。鐘山銀夜とやら、汝の父宗善を、正式に順門府公として認める。引き続き統治を申しつける。それと……」

 すると少年皇帝は自ら御簾から出た。

 最奥で対峙している鐘山銀夜の前に立つと、自ら打ちかけていた藤色の上衣をそのまま少女にかけた。

「銀夜、朕は汝が気に入った。以後、順門府に、いや海内に未だ不忠の輩あらば、朕の名代としてこれを討て」


 それは、破格の待遇であった。

 ――破格の待遇が、破格の安さで切り売りされている。


 諸臣の驚きと感嘆が入り交じる中、信守は冷めた目でそれを見ていた。

「かたじけなく存じます……」

 消え入るような声と共に顔を伏せ、感涙にむせぶ少女に対しても、彼は同様だった。

 別に鐘山の娘の落涙が、虚妄の類だとは思ってはいない。


 ただ先日の乱で、彼女らが討った者たちが流した涙を想えば、どうしても素直に感動する気にはなれなかったからだ。


 ――さらに今朝の密偵からの報告によれば……


 彼女の胞輩が先日、一個の町を焼いた。しかも他国を略奪するのではなく、自領土で、ただ旧権力者の親族をあぶり出すためだけに殺戮したのだという。

 要するにこんな暴挙に出る狂人どもを、陛下は忠臣として愛でるつもりらしい。

 またむくむくともたげた悪心を胸の内で持て余しつつ、


 ――その情報を、


 おそらくは彼女すら知らないこの凶報を、今この場で暴露したらどうなるか。そう考えた。

 心ない讒言と見なされるだろうか?

 それとも公然とその行いが肯定されるのだろうか?


 なんにせよ、自分の実利に絡むわけでもない。彼は口を歪に閉じたままにすることにした。


~~~


 帝との謁見もこのうえもない上首尾に終わり、意気揚々と凱旋した銀夜を待っていたのは、意外な凶報だった。


「そうか、あの両名が、な」

 その帰途にて、敗走してきた兵を見咎めて事情を聞き出した彼女は、すぐさま敗兵をまとめ上げた。と同時に板方城の宗善にその朗報と凶報とを同時に報ずるべく早馬を飛ばす。


「それで」

 焼け落ちた大渡瀬、銀夜は朝日をまとい燦然と長髪を輝かせながら、白馬の上で敗残兵たちに問うた。


「佐咲、渥美ほどの将が、どのように負けたのか?」


 と。

 彼らの麾下は疲労とススと乾いた血痕で彩られた顔を突き合わせた。

が、互いに囁き合うだけで、明確な返答はもらえなかった。

 それどころか彼ら自身、どのように負けたのか、いやそもそも自分たちが負けたのかさえ理解していない様子で、銀夜は気分を害していた。


「あのぅ……」

 と、そこにおずおずと声をあげる小兵がいた。

「あっしは、敵大将の率いる部隊とかち合いました」

「仔細を言え」

「あ、あっしは卯狩の」

「名は聞いていない。詳細な、かつ正確な報告だけを私は必要としている」


 若干落胆し、若干不満げなその男が語る、順門府屈指の猛将が死に至るまでの経緯。


 それを自分の頭の中で吟味し終えた銀夜は「なるほど」と短く呟いた。


「へ、へぇ。それで町が、大渡瀬がこんな有様に」

「町など後から再建できる。問題はその戦いだ。大方、舞鶴の仕掛けた罠であろうが、攻め手にしてもあまりに拙い。そもそも相手の小細工に合わせる必要などないだろうに」

「ですが、指揮をとってたのは環でした」

「引き金を引くぐらい、あいつにもできるだろう。だが策を組み立てたのは間違いなく舞鶴だ」

「だけど、あの大将もあっしにゃ大したお方に見えました」

 妙に食い下がるその雑兵の前で、少女は馬の蹄をカツ、と鳴らした。

大仰に怯える男たちの前で、


「私は、お前よりあの男を知っている」

と言った。


「私が師である光角翁より兵学を教わっていた頃、あの少年は城を抜け出て私が初陣の頃には、彼は山野で獣と、市井で悪友や女郎と戯れる毎日だった。その私と彼との差は、事跡、実績を見れば明らかだ。あれは自ら求めて何かをしたこともなく、ただ他人に流されるまま生きている。今もな」


 誇るように高らかに言う彼女の双肩には、薄紫の上衣が覆いかぶさる。

 その背には銀糸の藤花が円を描くように咲き乱れている。


 巴藤。

 現王朝皇族、すなわち藤丘家本家の家紋である。


 帝からの下賜を、銀夜は己の陣羽織としていた。

 そう扱うことがあの方の本望であり、また戦場においてもこの上衣を決して汚させない。それだけの自信が、彼女にはあった。


「世を乱す者あらば、これを名代として討て」


 その御命を、噛み締める。

 まさか、早くもこんな機会が巡ってくるとは、彼女さえ想像していなかった。

 予想外の反発だったが、これ以上予想を覆されてはならない。

 身内の汚濁を除くことは、自分にとってただの通過点に過ぎない。


「国境と港を封鎖せよ!」


 絶美なる姫将は即座に背を翻し、控える麾下に命じた。

「敵は民を扇動して盾として連れ歩いている。実に唾棄すべき卑劣漢どもだ。だがそれにより移動速度は確実に落ちているはずだ。東に位置する他の領主らにも協力を仰ぎ、その進路を先回りして閉鎖しつつ、右往左往するこれを捕捉する」


 高らかにそう宣言した馬上の戦姫は、黒く焦げた大地には目を向けない。

 ただ、無窮の天を仰ぎ、その広大さに想いを馳せる。

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