第四部「魔将、覚醒」(承)

「義弟よ、目の前の亀ども、なんとかならんのか!」

「はっ。味方なれば討つことも能わず。それぞれの部署に掛け合い、先陣を譲るように求めておりますので、いずれは」


 隘路の半ばにいる天童章虎がそう怒鳴るのを宥めつつ、朧月秀もまた、己が主に怒鳴り返したくなった。


 ――貴様が昼寝などせず早々に出陣しておれば、他の諸侯に先を譲ることもなかったというに!


 密かにそう歯噛みする月秀の、憤りの対象は、次に前後の味方へと向けられる。


 難局を打破し、戦も終盤を迎えつつある今に至り、今まで消極的であった諸将も、


「さっさと戦を終わらせよう」

「せめて武勲を挙げなければ面目を失う」

「わずかな手当て恩賞ももらえぬ」


 と言う焦りから、鐘山宗円という大金星を狙い、殺到してしまった。

 それ故の、この大混雑であった。


 ――なんて無様な布陣だ!


 海と岩壁に隔てられ、十人並ぶのがやっとという、軍勢を通すには狭い道を何里にもわたって縦隊が陣して、一歩も進めず立ち往生している。


 ――このような場所は死地であり、兵家の忌むところである。だが、入ってからでは遅い。足を踏み入れれば十中八九は命を落とす故に、そこは死地と呼ばれるのだから。


 ふと、そんな言葉が思い出される。

 それは名もなき兵法家であった時代、老師からの教えであった。

 それ自体は紛れもなく老師の言葉であったはずなのだが、ふしぎとそれは、荒子瑞石の声音で頭に響いて、朧を不快な気分にさせた。


 ふと、波音が聞こえてきた気がした。

 それがどこぞに軟禁させた弟弟子の生き霊から解放させた。


 南の沖をふと見れば、小さな船影一団が、次第にこちらに近づいてくるのが見えた。


「おい! あれは御坂宮の増援ではないのかっ?」

「ご安心を。あの家紋は、赤池殿の水軍です」


 先を越されることを恐れてわめく天童章虎を、朧は目に見えている事実でもって落ち着かせた。


 彼の言うとおり、東から西へと進む帆に大きく咲いた昼顔の花は、赤池勢のものである。


 ――ん?


 そこで朧は、己が見ている光景に違和感を覚えた。

 一つは禁軍七軍を示す藤紋と七の字が掲げられていないこと。

 ……もう一つは、


 ――何故、既に西へ向かったはずの水軍が、このような海域にいる……?



 彼は、気がつかなかった。

 それらの船が、夜陰に紛れて自分たちの脇をすり抜けていたこと。

 そして、その船団が、見間違えられた後詰め部隊を撃沈し、今返す刀でこちらへ向かってきたことに。


「赤池勢、止まりました」


 自分たちにピッタリと貼りつくように並ぶ船団の上、武装した兵が動くのが見えた。


 ある者は弓をつがえているように見える。

 ある者は焙烙の手綱を握っているように見える。

 ある者は……


「っ、退け! 退けぇっ!」

 そこに至り、朧は赤池水軍の変心を悟った。


 もはや遅かった。

 敵の総大将目掛けて押しかけた味方は、蟻の這い出る隙間なく退路を塞いでおり、密集したところに、間断なく火力が降り注ぐ。


 次々に射られ、焼かれていく自軍の兵をどうともすることもできない。主従共々、なす術なく立ち尽くした。


 前方にて陣太鼓の音が澄んで聞こえる。

 おそらくは赤池の動きに呼応し、鐘山宗円が突撃を開始したのだろう。


 水陸両面からの、挟撃。


 宗円の出撃は全てこのために。

 自分の策が読まれたばかりでなく、完全に逆手にとられたのだと、朧は全てを悟った。


 またぞろ、瑞石の声が頭に響いてきた。

 それは縛り上げ、蔵に放り込む前に、瑞石が放った一言であった。


「軍師は人の心を読み、操らねばなりません。ですがそれは、己にも言えること。自身の心を統御できなければ、いずれ智恵と自負とに身を焦がすことになりましょう」


 赤く染まるほどに火で埋め尽くされた天を仰ぎ、男は狂笑した。


「俺の才など、嬬子や老いぼれに花を添えるだけだったということか……ッ!」


○○○


「南の主力部隊、壊滅!」

「天童章虎様、朧月秀様討ち死にっ!」

「本郷様、東動様、討ち死に、禁軍第一軍、二軍は半壊!」

「他、多数の生死が知れず、三軍は全滅! 六軍も潰走しつつあり!」

「敵本隊は余勢を駆り、残兵を追撃中!」

「鐘山宗流が赤池勢と共に上陸! こちらへ向け北上中!」


 矢継ぎ早にもたらされていく凶報の中、いち早く自分を取り戻したのは、桃李府公、桜尾典種であった。


 取り巻きと同様、顔面蒼白になって頭を抱える帝に、最低限かつ最短で礼を示し、


「主上、事ここに至っては致し方ありますまい。一時ここはお退きあれ。殿は我らが引き受けましょうぞ」


「お、おお! それよ!」

「帝は我らが守護いたすゆえ、背後の備えはしっかと頼みましたぞ、桜尾公!」


 と、賛同こそすれ、自らは預かり知らぬと言わんばかりの押し付けがましさで、諸将は応じた。


 帝の側に居残った彼らは、府公でもなければ禁軍でもない。ただ、朝廷の直轄地をその威令どおりに統治する小領主たちであった。


 ――やりたければ、言い出しっぺがやれということか。


 今ここで団結して食い止めねば、押しまくられて、結局死者が増えるだけと言うのに。

 典種は舌打ちしたくなるのをこらえ「御免」と一言言い残して本陣を出た。

 既に陣の内外で情報は錯綜し、互いの割り当てや部署も主家も関係なく、人が入り乱れていた。


「ハッハッハ、なんだか、味方が騒がしくなってきたようで」


 小姓の器所実氏がおおらかに笑いながら近づいてきた。顔をしかめた主の手前、ひょうげた調子で手足を動かす。


「このやかましさは、村田楽を思い出しますなぁ。どれ、この実氏も一つ舞ってみましょうか」

「……ふざけている場合かッ! 悠長に構えてはおれぬぞっ!」


 その呑気さに腹が立ち、彼の手首をひねり上げる。

 だが掴んだその手が小刻みに震えているのが手を通じて分かった時、典種はハッとして家臣の横顔を見た。

 薄く汗を浮かべる実氏は、それでも、引きつるような笑いを浮かべていた。


「悠長で構えてはおれませぬ。ですが、悠長に構えていると、余裕はまだあると、そう外には見せなければ。兵がかえって緊張いたしまする」


 典種は、実氏の手を放した。


「心を硬くすれば、我らよりもより強固な精神を持つ敵にポッキリやられましょう。萎えた足腰は一度崩れると二度は起き上がれませんぞ」


 そう言って、典種がもっとも信を置く若き近臣はニッカと笑った。

 実際に文字通りの矢面に立つのは、実氏ら家臣団だというのに、それを気負う様子も見せず。


「……すまん。確かに動揺していたようだ」

「桜尾勢単独で、十万で落とせなかった鐘山の精兵を防がねばならんのです。ご心中、お察しいたします」


 どうやらこの聡い臣は、漏れ聞こえる伝令と主君の不機嫌さから、事態を的確に推理したらしかった。


 だが、その利発さも、ふざけた物言いも、ふしぎと嫌いにはなれなかった。

 それぞれが互いの鼻につく部分を打ち消しているようであった。


「他人事のように申すな。死にたくなくば、策を考えい」

「はい。では、まず第一に、赤池水軍の焙烙の射程外に出ることが肝要かと」

「却下。と言うより帝が退くまで我らも退けぬ」

「では次善の策。今この本陣の土塁、木柵等を組み直して壁とし、段構えにて敵を待ち受けましょう」

「それはいささか消極的に過ぎる。野戦でも十分耐え得るし、守りに入ればかえって退却するのも難しかろう。いっそこちらから討って出、各個撃破を狙ってはどうか?」


 いやいや、と首を振りながら実氏は第二の案を強く推した。


「この度は敵の鋭鋒を受け流すことこそ肝要にござる。各個撃破は一隊を迅速に打ち破ることこそ肝要ですが、他家との連携も取れぬ今は、こちらの攻めは十分ではありますまい。手順と時間はいくらか惜しみますが、防戦の体にて、敵を受け持つべきと存ずる。差配は一夜の宿と同様、拙者が。……そして拙者の発案ということでは将兵が動きませぬゆえ、大殿の御意ということで」

「若いのに抜け目ないことよな」


 典種は微苦笑を浮かべて、己の腰の物を抜いた。

 刃の付け根、金色のハバキに己の家紋が彫られたそれを実氏に投げ渡し、名代の証とする。


「で、肝心の退く機会であるが」

「それについては拙者に一つ考えが」

「待て」


 そう言いかけた実氏を手で制止し、典種は耳を澄ませた。

 二人の息づかい、将兵の狂乱とは別の異音、なにやら後ろ暗い物音を、典種の鋭い感性が拾い上げたからであった。


 そちらの音源となっている蔵に足音を立てて忍び寄り、中を窺うと人足の風体の男達が二人ほど、立って何事か囁き合っている。


 ――さては火事場泥棒か。


 真偽と会話の内容はともかくそう断じた典種は、小刀を抜き払い

「何をしている!?」

 と一喝した。


 だが男たちは図体の割には小心者であったらしい。ギョッと振り返り、背後に立つ武士が握る小刀を目にするや、女のような裏返った悲鳴をあげた。


「お、俺たちはしらねえ! 金で雇われてやっただけなんだ!」


 別段尋問したわけではないのに勝手にベラベラしゃべり出すや、人足たちは逃げ去っていく。それを二人が追わなかったのは、連中が隠匿し、蔵に押し込まれていたモノが、人であったと知ったからだった。


 戦場にはあまりに似つかわしくない優男が、猿ぐつわを噛まされて後ろ手に縛られている。


「おい! 何があった!?」


 猿ぐつわを外し、素顔が露わになると、


「瑞石殿? 荒子瑞石殿ではありませんか!」

 と、実氏が横顔を覗き込んでいった。

 典種とて、その名は知っている。

 この征旅の最中、実氏は桜尾家の代表として諸士に挨拶に伺っていた。おそらくはその時機に、顔を見知ることができたのだろう。


「ここは以前、天童家が使った陣所だったな。……なにやら関わりがあるのか?」

「そのような、ことより……戦は、戦は始まっておりますか!?」

「いま少しで始まろう。敵は我ら一軍で以て受け持つこととなった。汝も退くが良い」


 むせ込みながら尋ねた禁軍の副将、荒子瑞石に対し、典種は落ち着きながらも早口で答えた。


「赤池勢が寝返り、お味方は総崩れ、桜尾はその殿軍……と。となれば、笹ヶ岳の軍だけでもこちらに戻さねばなりませぬな」

「おぅ、まさにそのことです。瑞石殿。呼び戻していただけませんか」


 ――士は士を知るとはまさにこのことか。


 瑞石とて木石ではない。

 男らに監禁されている間にも、漏れ聞こえた状況から赤池の裏切りとそれに連なる戦況を推察したのだろうが、実氏の言わんとしていることをピタリと言い当てたのである。


「かしこまりました。ですが……」


 だが気心が通じたはずの二人は、それを誇るでも称え合うでもなく、むしろ泥を飲み込んだような、険しい顔つきで口を結んでいた。


○○○


 笹ヶ岳砦の進駐軍は、異変を感じ取ってはいた。しかし仔細を知ったのは禁軍第六軍、地田綱房とその敗残兵が落ち延びてきたことによってだった。


「朧殿は責任を痛感されていたのでしょう。並み居る敵をねじ伏せ、最後は敵兵の中へと突っ込んでいかれたと聞きました。主従ともども天晴れなご最期でした」


 手当てを受けながらしみじみ振り返る綱房を、他は知らず、信守は醒めた目で見ていた。


 ――責任を痛感? 天晴れな最期?


 一体何を言ってるのだこの男は。

 真に朧が責任を感じ、それを果たそうとするならば味方を押しのけ、恥をさらしてでも生き延び、次善の策を練るべきではなかったのか。

 味方の混乱は、戦略の立案者であるにも関わらずその責務を放棄し、特攻などした馬鹿者のせいではなかったのか?


 平時よりそうであったが、地田なるこの朝臣は、他人を美化する己に酔うきらいがある。


 何故か本陣の側より、行方をくらましていた荒子瑞石がやってきたのは、それよりすぐのことであった。


「笹ヶ岳を、捨てる?」

「こうしてはおられませんぞ方々、今こそ日頃のご恩に報いる時! すぐに向かわねば!」


 焦慮の色を滲ませる鹿信と綱房だったが、その感情の先は異なっている。

 綱房は帝の玉体を案じ、父は要所を捨てる戦略上の危険性を憂えている。


 笹ヶ岳を放棄すれば、すかさず眼前の宗善が動き出すだろう。

 そして自分たちを背後から襲い、結果として本隊は三方面より攻撃を受けるハメとなる。


 それでも良いのか、と暗に問う守将たちに、「さよう」と、瑞石は重たげにアゴを引いた。


「意気で劣る我らは、兵の多さによって余裕を取り戻さねばなりませぬ。よって一兵でも多く救援に赴くが吉。しかし、笹ヶ岳は守らねば。少なくも、帝が御身をお移しあそばす間は」


 それは瑞石本人の意見と矛盾した主張であった。

 だが、信守らの間には、明確な絵図が描かれていた。


 ――誰か、この場に残れということか。


 そしてそれは紛れもなく、全滅必至の捨て石を意味していた。


「わ、我らはお受けしかねる!」

「我が子入丸はまだ九歳! そのような子を残していけようか!?」

「負けと決まった戦で命を賭けるは武人の道にあらず!」


 遠巻きに見つめていた諸侯が、口々に反対を唱えた。


 それを表情を引きつらせながら、汚物のごとく眺めていた信守だったが、その主張に半ば同意している己がいた。


 ――確かにこんな下らん戦いに殉じる道理がない。


 ただ、滑稽でもあった。

 我がことながら下衆とも思えるこの思考を、自分と同じように持つ人々。

 武人の道などという正体定かならぬ観念を盾に、我が子に縋ってまで正当化しようとしている愚物どもが、愉快かつ不快でならぬ。


「な、ならばそれがしが残ろう! 一度拾ったこの命、主上の御為、この場で朽ちることこそ運命であったのだ!」


 一番名乗りをあげるのは、負傷している地田綱房。

 声を荒げた拍子に、縫ったばかりの金創が破けて、また血が滲み始める。

 その健気さを哀れと思う者もいるのだろうが、積極的に引き留める者もいなかった。


 瑞石も一応頷きつつ、やや不安げにうつむいた。

「されど、今の六軍の兵力ではいささか力不足かと」

 本心では、その将器にこそ不安がある、と言いたげな顔つきだった。


「ではわしも残る。瑞石は他の方々を本陣へ誘導いたせ」


 次いで名乗りを挙げたのは禁軍第四軍、直成であった。

 だが、それに対して軍師は首を振った。


「殿におかれては、帝に撤兵をご注進していただかなくてはなりませぬ。まして臣たる身で、決死の地に御身を置かせることなどできましょうか」

「されどなぁッ」

「私がやります」


 頃合いを見計らい口を挟んだ信守が、一同の目を惹き付けた。

 全員の注目が集まったのを見計らい、信守はいまいちど


「私が、やります」


 と答えた。


 ――それしか、あるまい。

 死ぬしか、あるまい。

 そう、信守はそう覚悟した。


 事が起こる前、


「赤池殿の心は、鐘山方にあるのではないですか?」


 という信守の問いは、彼の案のとおりに一笑に付された。

 これが他の府公であったのなら、父らも血相を変えて本陣に忠告したかもしれない。

 だが、赤池頼束は国家の重鎮、帝の親衛部隊の一翼、建国以前より仕えた家柄である。


 それが、内通先である鐘山の水軍を散々に打ち破ってまで、敵に同心? 実に考えがたし。

 というのが、すぐに出た軍議での結論だった。


 もっと、言葉を尽くして諫めていたらこうはならなかったのかもしれない。その責任をとらなければならない。


 ――というのは、口実だな。

 信守は自らを嗤った。

 何のことはない。本心をきれい事で偽っているというのは、己も同じなのだ。

 遁辞を構える連中と変わりなどない。


 もはや自覚するほかあるまい。

 自らの内には、抑えがたいほどの業と悪性が詰まっている。

 それが理性を破り、刃の如く突き出て国家を冒す前に、自身という器を砕いてしまわねば、いずれ父にも害が及ぶ。


 それが、本意であった。



「いや……この場に残るのは、俺だ。信守」



 今まで沈黙を守っていたその男が、信守にとっては、一番それを口にしてはならぬ男が、名乗りを挙げた。


「父上……なりません」

 男、上社鹿信に対し、その子はかぶりを振って拒絶を示した。

 あってはならぬことだった、それは。

 真に国を憂える重鎮が死して、汚泥たる己が生き残ることなど、とても耐えられるものではなかった。


「真に責があるとすれば、お前の言葉に耳を傾けなかった俺だろうよ。……まったく、戦国乱世に生まれたと自負しておきながら、俺の耳目も腐ったもんだ」

「父上!」


 我が子の言葉も、将たちの反応も待たずして、鹿信は直成に向き直った。

「佐古殿。倅をよろしくお願いする。俺は第五軍の千名と共に、この場に残る」

「……かしこまった」

「……っ」


 信守は何か言おうとした。

 それが何だったのか、己でさえ分からなかった。

 あるいは理屈だなんだのをかなぐり捨て、父に生きて欲しいと告げたかったのか。


 だが、それが不可能であると、信守の理は悟っていた。

 直成が残れぬ理由も、他の将では、まして若輩の信守ではこの任に応えることができないのも、既に説明がついている。

 思えば瑞石は最初の時点で、その殿軍のまた殿軍の人選に、ただ一人しか見当をつけていなかったようにも思えた。


 経験豊富で、麾下の士気も未だ高い、上社鹿信でしかやりおおせぬことだった。


「……帝をお救いした後、必ずや父上の救援に向かいます。それまで、愚息を信じて何とぞご壮健で。父上」

「……あぁ。待っている」


 子の言葉は、虚しかった。

 そして父の笑みは、後ろまで見えてしまいそうなほどに、透明だった。


 ――ままならん人の世だ……ッ

 別れの際にさえ、互いを、己を騙し合ってでも他者を慈しまなければいけないとは。


○○○


 笹ヶ岳砦を脱した禁軍第五、第六軍はそのまま宗善の追撃を突破。

 堅陣を敷きながらも、天衝くばかりの敵に押される桜尾勢七千を救援する。

 それでも鐘山宗円父子の攻めは熾烈を極めた。

 今までの鬱屈を晴らすかの如く、この三十年に到るまでの不当な処遇に報復するかの如く猛然と攻めかかる彼らは、地の利さえも関係なく進み、討伐軍を一気に押し返した。

 やがて、互い、示し合わせたような退き鉦が鳴り響いた。

 鐘山勢が後退した時には、かなりの被害を受けていた。


 赤池水軍が抜け、後詰め部隊と食料は彼らによって壊滅され、水上よりの攻撃は、もはや防ぎようがない。

 禁軍は第一、第二、第三が八割の死傷者を出し、戦闘不能。

 彼らと同行していた天童勢を始めとした南部の主力は崩壊。


 討伐軍中唯一戦闘が可能であったのは笹ヶ岳砦からの脱出軍と桜尾勢であったが、これらも実際の兵力は半数まで減らされていた。


 まして潰走してきた各方面軍に兵糧を運搬するだけの余裕など無く、もはや帰還する分があるかさえ怪しいものであった。


 順門府を平定するに十分過ぎるほどだった兵力は、今や軍という体さえ整っていない、散々たる有様となっていた。



 ……だが、

 何ら手立てを講ずることもできずにいた十日後。

 とある一事が、帝の軍をさらに恐慌へと叩き落とした。


「…………主上、それはあまりに…………」

 その光景を見た佐古直成は、乾いた笑いで己の心情をごまかすしかなかった。

 でなければ、この後起こるであろう阿鼻叫喚に、心身ともに耐える自信がなかった。




 空の玉座と、混乱する軍を残し、帝は戦場から逃走していた。

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