駄洒落怪談

海辺野夏雲

第1話 駄洒落(ダジャレ)塚

 昔、西国のさる小藩に、同輩から駄洒落侍との異名で呼ばれる下級藩士がいた。日々の暮らし向きの厳しさも、駄洒落で茶化して家族で楽しく暮らしていた。


 家族までは良かった。しかし、いつしか駄洒落侍は調子が過ぎるようになり、お役目中でも上役の前でも、次々と心に浮かび来る由無き駄洒落を、そこはかとなく口に出さずにはいられなくなってしまった。


 気の良い同輩達は、調子を合わせて笑って聞いた。しかし、堅物の藩士の中には、思わず左手で刀の鯉口を切る動作をする者もいた。危険である。


 しかし、空気が読めない駄洒落侍は、自分はお笑い系でいつもウケているとばかり信じ込んでいたので、全く相手の様子に気がつかない。そればかりか、ますます張り切って駄洒落るようになっていった。


 やがて、駄洒落に有らざることは口にできなくなってしまった。さすがにここまで来ると、誰も相手にしてくれない。遠目に駄洒落侍の姿を見つけると、皆道を変えてしまうのだ。駄洒落侍は、いつも孤独で、非番には一人駄洒落を漏らしながら、ひたすら聞いてくれる者を探し歩く始末だった。


 ある年のことである。旱魃で飢饉が起こり、ただでさえ厳しい藩の財政は窮乏を極めた。川べりの小道をものほしそうにふらふらと散歩していた駄洒落侍は、枯れ果てた川の前でしゃがみこんで考えごとをしている普請奉行の姿を見た。と、そのとき、駄洒落侍の脳裏に自分の運命を変えてしまう面白いアイディアが閃いた。一瞬、躊躇した。


(いかぬ、藩も領民も、今は飢えと乾きに苦しんでいるのだ…こんなときに、こんなことは…言えぬはずじゃ…)


 しかし、すぐに喉元を通り過ぎ、言葉になった。


「御奉行様、お役目ご苦労にございまする。さて、古来より、水無き川に水を呼び戻す秘法がござる。駄洒落を一首づつ赤墨で記した石を千個用意し、これらで川べりに立てた人柱を埋めつくせば、天は大いに笑って涙雨が降りましょうぞ。駄洒落のことは拙者にお任せあれ…。川だけに、変わ(川)らぬ水を見ず(水)しては、普請奉行も不振(普請)なりけり…なんて、ハハハハ…のハ、ありゃ?」


 瞬時、左手で鯉口を切りかけた普請奉行は、そのままゆっくりと手を下すと、駄洒落侍に、にっこりと微笑みかけた。


「これは、得難き雨乞いの秘法をば聞きたるものかな。ついては、雨乞いの駄洒落は、勿論その方が勤めてくれますかの…」


 駄洒落侍はジョークのつもりだった。しかし、普請奉行は本気になった。

 普請奉行が国家老に事の次第を進言したところ、日々飢饉対策に腐心していた国家老は、好きに計らえとばかりに、はき捨てるように許可を出した。


(馬鹿なことを言っている場合か!)


全身から怒気を発散させながら。


 捕らえられた駄洒落侍は、牢に押し込められ、一日百首の駄洒落歌を読むよう命じられた。駄洒落侍は、最早これまでと自らの運命を悟りながらも、今こそがご奉公とばかりに、渾身の力を込めて毎日百首を考え抜き、一首一首、赤墨で石に記していった。あまりに鬼気迫る光景に、普請奉行は(ほんとうに、雨が降るかもしれんな…)と、いつしか本気で駄洒落侍に賭ける気持ちになっていった。他に打てる手段はない。駄洒落侍の歌が途絶えたときなど、心の中で応援し、思わず両手で拳を握り締めた。気持ちが一つになった瞬間だった。


 十日後、見事にそろった駄洒落歌の千個の石が、じりじりと真夏の太陽が照りつける川原に運び込まれた。傍らには、駄洒落侍が磔にされている。周囲には柵が張り巡らされ、警護の侍が配置されている。柵の外には、日照りに苦しむ多くの領民が集まった。


 軽輩とはいえ、士分の者を磔にして晒すことは、例外中の例外だった。駄洒落侍本人も含めて、皆狂気になっていたのである。


 やがて、坊主が読経の如く駄洒落歌を一首一首読み上げていった。読み終えた石は一つづつ積み上げられていく。領民達は、歌が読み上げられる度に、必死の思いで駄洒落に反応した。切実な笑いである。これで、雨が降るのだと信じ込んで。

 胸まで石に埋まった頃、次第に駄洒落侍の顔から苦痛が遠のき、駄洒落の歌が読み上げられる度に、領民がそれに反応する度に、まれに駄洒落が受けたときの、満足そうなあの笑みがこぼれるようにさえなっていった。今や、川原に集まった一同は、千首の駄洒落歌を中心に、一体となって共鳴しているのである。かつて、これほど「うけた」ことがあったろうか。駄洒落歌に合わせて雨を請う人々の熱気は、竜が天に昇るかのごとく、ゆらゆらと上空に吸い込まれていった。


 ついに駄洒落侍の姿は石に隠れてしまった。血まみれの頭が埋まってしばらくすると、うめき声も聞こえなくなった。最後の一首は、普請奉行が自ら積み上げた。


「川だけに、変わ(川)らぬ水を見ず(水)しては、普請奉行も不振(普請)なりけり」


 そう歌い終えた刹那である。一天俄かに駆け曇り、鋭い稲妻が虚空を幾筋も貫いたかと思うと、滝のような雨がドオっとばかり降り注いだ。集まった群衆は、蜘蛛の子を散らすように川原から逃げ出した。さすがに空恐ろしくなった普請奉行は、「恨むな、雨乞いと普請はお役目である!」とばかり精一杯の虚勢を張りつつ逃げ出した。その後、雨は三日三晩降り続き、川はあふれんばかりの水を湛えた元の姿を取り戻した。


 ほどなく飢饉は去った。やがて、駄洒落侍の塚は、誰言うともなく、駄洒落塚と呼ばれるようになった。旱魃のときに塚の前で駄洒落を耳にすると、必ず雨が降ると言われ、村人に神として崇められた。


 今でも、よく晴れた夜に駄洒落塚の前を通りかかると、かすかだが、寂しげな駄洒落歌が聞こえてくる日があるという。そして、その翌日の朝は、天気予報に関係なく、必ず局地的に雨が降るのだ。


 駄洒落侍の子孫は、累代決して駄洒落を口にすることはなかったと伝えられているが、すでに絶えて久しく、本名とともに真相はもう分からない。

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