7-23

 躊躇したあたしに、ブルーローズは言った。


 「いいのです、レッドローズ。私の肉体は未完成だと言ったでしょう。こうして彼を押しとどめるだけで精一杯───また作り直します。精神体にはそれができます。


 サンフラワーには一時的に独立した権限を与えました。私が倒れても彼が動くことができるように。後のことは彼が処置してくれますから、何の心配もいりません。


 さぁ、早く。


 傷つけなさい。破壊しなさい。あなたは、クリスタルを刺し貫くことができます。それは同時に、私を刺し貫くことができるということ。それを、今、知っておきなさい。


 そして、私もあなたの心を知りたいのです。私は、あなたのことをとても遠い存在だと感じています。あなたが私のことを、とても遠いかけ離れた存在だと思っているように。でも、それでも、私とあなたたちはともにある。いい機会です。あなたの心を私に伝えなさい。その傷つける力で」


 視覚が途切れがちになっている。防性粒子が失われたんじゃない。脳みそが、あたしの精神自体が、限界なんだ。一瞬たりとも気の抜けない緊張感に満ちた戦闘を、ヴァインが失われるまで繰り広げたこともあるだろうし、ローズサイコパスを使う副作用もあるのだろう。


 この体は、思ったように動くはずのものだけれど、もう、「思う」ことができないんだ。疲労困憊で、ばたんきゅーと眠りに落ちる寸前なんだ。ボロボロだ、あたし。


 スラスタさえもうまく反応してくれない。あたしは重力に引かれ、地表に向かって落下していた。クリスタルとブルーローズもまた、重力に任せた落下を始めていた。あたしは、残る力を振り絞り、ローズサイコパスを正面に向けて構えた。最後の一撃が繰り出せるように。


 ───あぁ、───何を伝えよう。ローズサイコパスを通して、クリスタルに、そしてブルーローズに、何を伝えよう?


 心の奥底では、何もかもが結論づけられていた。でも、それを、言葉にするどころか、精神の表層に浮かび上げることさえも能わない。


 あぁ、……もういいや。でも、あのとき、そう、いつかあの峠道でブレーキから手を離したときの「もういい」とは違う。きっと違う。この感じは、この感覚は……わかってくれるだろ、ブルーローズ?


 一瞬だけ重力に逆らって逆噴射した。降下速度が鈍るところへ、ブルーローズと、青ざめた顔のクリスタルが落ちてくる。腕を上げ、勢いをつけて突き出すと、ローズサイコパスがふたりをもろともに刺し貫く。クリスタルの身が弾けるように伸び上がった。


 「いやだぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 絶叫───地球を包み込むようにその音波が広がっていく。白い地平に声が溶けていく。クリスタルはくずおれた。ブルーローズもそっと目を閉じた。ローズサイコパスから手を離すと、ふたつの肉体は、重力加速度に任せて地球へと落下していった。


 攻性粒子による攻撃ではないためか、倒しても粒子が弾け飛ぶということにはならなかった。彼らの肉体はただ落下していく。どうなるかはわからない。飛行機も飛べない高さからの墜落だ、ぐちゃぐちゃばらばらな肉片に飛び散るのだろうか。麻痺した精神体の方は───ブルーローズの言ったとおり、サンフラワーに任せよう。


 あたしは、スラスタに何度か無理をいわせて、どうにかその高度にとどまろうとした。


 ……あれ。体が動かないや。スラスタが、全然反応しなくなってしまった。なんか、疲労感が限界に来てて、気持ちと、体が、まったくリンクしていない。……あれ。あたし、落ちてる。重力に抗えない。ブルーローズたちと同じように、落ちていく。


 このまま地面に落ちたら、やっぱり、ぐちゃぐちゃのばらばらかな。


 そう……なのかな。


 さおりがものすごい勢いで飛んでくるのが、視界の端にちらと見えた。


 あぁ、……違うよ、その前に。落ちて、落ちて、落ち行く先に。うぅん、落ちてるのですらない。あたしは今、大地に、地球に、人と人とが手をつなぎあってできた孵らない卵に、入っていくんだ。やっと、そこに参加するんだ。


 さおりが、あたしに向かって何か叫んでいる。聴覚も、まともに働かなくなっている。さおりの声とだけどうにかわかる、ただのノイズが伝わってくる。


 高音の別のノイズが混じった。めぐみ……かな。それを聞いて、さおりがあたしより速く急降下していった。また別のノイズ……これはゆきのかな。


 ほんの一瞬、静かになって、続いて、三種類のノイズが同時に聞こえた。掛け声を合わせるように。次の瞬間、あたしの落下は止まった。


 三人が手をつないで、その腕をクッションにあたしを受け止めてくれたんだ。


 そのまま、ゆっくりと、地上へと降りていく。




 あたしは大地に降りる。受け止めてくれる、仲間とともに。


 これでいいんだ。これでいいんだよ。あたしには、あたし自身の輪郭が、今はっきりと見えるよ。


 あたしは生まれ直した。あたしというプロダクトに命が宿った。今日があたしの新たな誕生日だ。ありがとう、みんな。


 ロウソクを吹き消そう、ハッピー・バースデイ。

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