6-14

 「ゆきの!」


 あたしはすっ飛んでいった。信号が赤になり、人の流れが切れて車が動き出すまでのわずかな空白時間に、あたしはゆきのを抱え上げて交差点から救い出すと、誰も人の来ない、地下鉄入り口の屋根の上に彼女を下ろした。


 「大丈夫か?!」「大丈夫……大丈夫です、まだ……でも、体が、動かない……」ゆきのはうめき、苦痛に顔を歪めた。交差点で人混みと接触したせいで、肩や足が強制キャッシュされて存在しなくなっている。「すぐに元に戻る、痛みが引くまでじっとしてろ!」


 「せっかくクライミングしたのに……ヴァインをお見せできなくて残念です」


 こんなときだってのに。心配をかけまいとしているのはわかるが、苦痛に耐えていることがより強く伝わってきて痛々しい。


 「みずきさん……もうすぐヒマさんたちが来ますから……それまで……くぅっ!」そのうめきを最後に、ゆきのの反応がなくなった。思わず息を飲んだが、防性粒子は残っているし、強制キャッシュも戻りつつある、どうやら痛みで気を失っただけのようだ。


 あたしの意識の矛先は、当然のように上空のクリスタルへと向いた。


 「この野郎……っ! てめぇの敵はあたしだろうが!」


 「俺から言わせれば、どちらもローズフォースだ」クリスタルは答えた。「よしんばおまえだけ倒せばいいのであったとしても───俺はおまえを人として扱っている。そして人として戦っている。生きるか死ぬか、タマの取り合いをしているんだ。違うか? ならば能力に劣る後方支援など、さっさと潰してしまうに限る」


 「能力に劣る……」


 「サンフラワーは指摘していないのか? そのホワイトローズという個体は、明らかに脆弱だ。反応速度が遅すぎる。あれではアメジストが相手でも一分と保たんよ」


 「あんたは、弱くて役に立たなくても捨てないと言った───敵だったら真っ先に潰すのか!」


 「人を捨てるなんてことありはしないさ───あるとすればそれは『殺す』というんだよ」クリスタルの答えはあまりに明快で、ためらいがなかった。あたしは自分の中で通しておかなければいけない筋が一本、すっと抜けていくのを感じた。


 「だったら……だったら、あたしは死体のままでいい」あたしはうめいた。「モノのままでいいっ……!」


 「いいやおまえたちは生きている。おまえたちは人間だ」クリスタルの言葉は冷たく、突き刺さるものだった。「俺はおまえが生きた人間だと思えばこそ相手をしてきたんだぞ? モノになぜ未来や希望を与えねばならん───俺はおまえに未来を提示した、この事実がある以上、地上から滅び果てるまで、おまえははかない生命体であることを誇らしく宣言していてくれなければ困る。そうでなければ、俺のプライドが許さん」


 「なんでだよ……なんでそうなるんだよ!」


 クリスタルの顔をじっと見つめた。彼の背後から、どす黒いものがあふれ出し、広がっていくように見えた。あたしはそれを直視してしまった、だがその瞬間に目の焦点がぼやけ、直視しまいとした。ぼやけた視界の中に吸い込まれていく感覚の中で、いろんなことを締めつけたり、緩めたり、甘やかしたり、苦しめたりしてきたコントローラが、すべて弾け飛んだ。


 あたしはクリスタルに突っ込んでいった。是非を判断できなかった。ただ胸の中に怒りと恐怖があり、それらの感情がせめぎ合う状態だけが維持された。


 永遠に理性的であろうクリスタルに、そのときのあたしは何に見えたろう。「あぁぁぁぁっ!」何度も何度も突っ込んでは、拳を振り回す人形をどんな目で見ていたろう、何度も、何度も、あたしにわかっているのは、その攻撃めいたもののすべてが空を切り、無様に宙を泳ぐだけだった、ということだ。


 「これがヒトの終わりか」クリスタルがつぶやいたことを覚えている。それを聞いた直後に、クリスタルの透明な胸の中に、渦を巻いて回転する光が現れた。ブルーローズとの戦闘で見せた技だ───ファイヤークリスタル同様、射出までの時間が変えられる技らしく、あたしが無様に踊る間、じっくりと回転する星の密度、速度が増していき───「アース・クリスタル」すさまじい量の星々が、体外に射出された。


 ……まともに、食らった。あたしは渦の中に飲み込まれた。小さな光の星が、あたしの顔に、頬に、手足に、センシティヴな部分すべてに、立て続けにぶち当たる。その直撃を受けてはヴァインすら障子紙で、たちまち防性粒子を失って光となって消えた。


 アースクリスタルの猛攻はやまない。視界の隅に映る、戦闘形態本体の防性粒子のゲージが、シールをはがすように消えていく。


 「みずき!」「みずきお姉ちゃん!」離れたところから、さおりとめぐみの声がした。さおりがゆきのに肩を貸しているのが、目の端に見えた。あぁ───ゆきのは目が覚めたのか、よかった……。


 アースクリスタルはまだやまない。この攻撃は耐え切れない。防性粒子のゲージはきれいに消えてなくなり、ついにゼロを割る。もう防げない。これから先、あたしはプログラムされた体を失っていくのだ。


 ───突然、アースクリスタルの命中する衝撃がなくなった。あたしは体が完全に消え去ったのだと思った。不死身であることは頭でわかっていても、二度と戻ってこられないというイメージが、もう存在しないはずの全身を駆けめぐった。


 後ろから誰かに受け止められた感覚があり、同時に、脳みその裏っかわにちりっとした痛みが走った。「その怒りを、忘れないでください」サンフラワーの声を最後に聞いたような気がする。あたしの視界は真っ暗に閉ざされ、意識は急速に遠ざかり、何も見えない、何も感じない、深い闇の底に沈んでいった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る