6-02

 鈴木商事の自社ビルは十階建てで、新宿の西南、むしろ代々木にほど近いビル街にあった。あたしはビルに面する二車線道路の真上まで来ると速度を落とし、ゆっくりと高度を下げていった。ビルに近づくだけでジャミングとやらは影響を及ぼすらしく、もうサンフラワーの声は聞こえない。


 辺りのビルはみなほとんど同じ高さで、間を空けず道路の両側にびっちりと並んでおり、あつらえた入れ歯に見える。もっとも、他のビルが白いウェハースみたいに長細く伸び上がっているのに比べて、鈴木商事ビルは建坪が広く、茶色の外壁やしんちゅうの箱文字が古めかしく見えるせいもあって、どっしりとした存在感があった。よくいえば風格、悪くいえば創業者の図体に似せてあるのだ。いま鈴木征功を名乗るかの男は、これだけの会社を作ったのだし、機を見るに敏、利を得るに瞬、ここぞで辣腕を振るう、社長としては十分に優れた人材なのだろう。達成したことも達成すべきものもなにひとつ持ち得なかったあたしとは違う。


 ……さて、鈴木商事ビルまですっ飛んできたはいいが、まだ問題は残っていた。このビルにどうやって入ったものか。ロウシールドが発生している状況では、自動ドアが反応しないのは明白だ。


 だが、答えはすぐに出た。


 「現れおったな、のこのこと」


 モーリオンが待ち構えていたのだ。一階のエントランスだけ、建物全体から少しはみ出す構造になっていて、その屋根の上にはげ頭が見えていた。


 あたしは高度を下げ、彼と対峙した。足元はビルの前の大通りで、びゅんびゅんと車が行き交っていく。


 「思ったよりも早かったな」


 あたしは答えなかった。ていうか、モーリオンのなりを見て、まず目を背けて絶句しなけりゃならなかった。


 要は、武装オプションを作り直してもらったわけだ。自分もヴァインを持つ身になったから、それはわかる。しかし───UFOあるいはジオングみたいだった下半身が、長っ細い八本脚になっていた。ロボコップとたれぱんだの融合みたいな上半身は相変わらずで、地面と垂直に立っていたから、クモとかタコとかいうんじゃなく、いつかテレビの科学番組で見たウィルスのCG映像によく似ていた。バクテリオファージっていうんだっけ? ……これが辣腕社長のなれの果てか!


 「それが、心から望んで選択した結果か?」


 「むろんだ。なぜそんなことを訊く?」


 モーリオンの声は自信に満ちていた。疑問はないらしい。不老不死を謳歌するってのはそういうことなのかもしれないな。


 「まぁいい。戦うつもりはない。ついてこい───アメジストのところまで連れていく」


 エントランスのすぐ横に、地下駐車場へ続く通路への入り口があった。モーリオンは細っこい脚でビルの壁にへばりつき、さらにはその通路の天井にもへばりついて、逆さまになりながらかしゃかしゃと器用に進んでいった。……あいつ、人間の自覚完全になくしてるよ。


 地下駐車場には誰もいなかった。モーリオンはまた壁を伝い、地面に降り立つと、「変身を解け」そう言って、自分はさっさと変身を解いた。「モーリオンパワー・ゴー・アウト」モーリオンは背広姿の鈴木征功に戻り、その横に大型で黒塗りの外車が現れた。今度のにはRがふたつ重なったエンブレム。


 「Falling down, Red Rose」あたしも人間の姿に戻り、ファイアーストームが現れる。するとモーリオンは、自分の車のボンネットを手のひらでなでながら鼻で笑った。「子供のおもちゃだな」一瞬、変身し直してその買春図体をローズショットで撃ち抜いてやりたい衝動に駆られたが、どうにか抑え込んだ。


 「……じゃあおまえのは大人のおもちゃかよ───エラいんだろ、運転手くらい雇えよ」


 「俺はものごとを人任せにはせんのだ」


 「自分の生き死にはクリスタル様に決めてもらったくせに」


 地下駐車場から上層階へ通じるエレベーターホールに入ると、そこに警備員がいた。突然の前社長の登場に、しゃっちょこばって敬礼する。「これは社長、お疲れさまです」


 「うむ」


 モーリオンは重々しくうなずいた。あたしから見るとハゲでちんちくりんのオヤジにしか見えないが、それでも、やはりこの会社の実力者なのだ。


 あたしは複雑な心境だった。この男が、見れば見るほど侮蔑したくなる、尊敬にも信頼にも値しない人間であるという認識には変わりない。でもやはり、この男が手にする力にびびっている。その是非にかかわらず、力や責任を背負って平気でいられることが妬ましい。


 「……そちらの方は?」


 「あぁ、取引先の娘さんでな。企業活動に関するレポートを書きたいそうだ」


 「では、ゲストカードの発行をしますので、こちらにお名前を」


 「いらんよ、俺の部屋で少し資料を見せるだけだから」


 警備員は納得して、部外者のあたしをあっさり通してくれた。納得しなくたって、まだ鈴木征功を「社長」と呼ぶ人間が、何か言い返すことはないに違いない。


 「たいした警備だな、あれでいいのか?」エレベーターに乗った後、あたしは尋ねた。


 「かまうものか、俺の会社だ」モーリオンは答えた。「嘘つけ、もうクリスタルのものだろう」「……それでも、俺が作って俺が育てた会社だ。陣頭指揮は今でも俺がやっている」


 一五人乗りならエレベーターとしては広い部類に入ると思うのだが、買春図体が隣にあるとやけに狭く感じられた。スピードも遅く、階数を示すデジタル表示がなかなか変わっていかないのがじれったい。


 ……あたしは続けてモーリオンに尋ねた。


 「それで? ものごとを人任せにしないヤツが、どうしてアメジストにはものごとを任されてるんだ?」


 「ふん。すべては貴様らを屠るためよ。俺は貴様らのような若造が、この神聖な不死の体を手に入れているのが気に食わんのだ。アメジストもおまえらの存在がずいぶんと目障りらしい、その点でのみ我々は一致している」


 ……神聖な体、ときたよこの男は。「そんなに不老不死は楽しいかよ」


 「楽しいね」モーリオンは答えた。「貴様らの方が、若いままでいられるんだ、楽しかろう?」


 「あたしらは死んでるんだよ、おまえと違ってな!」


 「学校にも行けるという話じゃないか、違いはあるまい。何が不満だ?」モーリオンは言った。「毎日何不自由なく、メシを食って、学校へ行って、キレイなおベベ着て、なのになんでそんなことでぐだぐだ言うんだ。あぁ?


 俺は貧乏だった。学校にはまともに行っていない。戦争で、闇市で、飢え死にしかけたことが何度もある。金持ちどもが米の飯を食っているのを横目に、具が何も入っていないすいとんをすすったのさ。


 俺は生き延びて、そして決めた。金、宝石、金持ちどものあらゆる持ち物を俺が吸い上げてやるってな。そう決めた頃に、俺の前に俺に似た年格好のひとつの死体が転がった。親の金で学校を出してもらった分際で、遊び性でごろつきに身を持ち崩して勘当されたぼんぼんだ。だから俺はまず戸籍を吸い上げてやったのさ。それを足がかりに、この商売に打って出た。あいつは高校を出ていたからな、学歴は何かと役に立ったさ、それだけで投資する馬鹿までいたくらいだ」高卒の知識でそんなに信用が得られる時代があったのか。同じ高卒でも、時代が違えば雲泥の差だな。


 「商売を始めてからも何度も死にかけた。借金が何千万にも膨れ上がって夜逃げ寸前になったこともある。ヤクザに撃たれたことだってあるぞ。だが俺は生き抜いて、働いて、そして会社をでかくした。


 金を稼ぐってなそういうことだ。これからもずっとずっと稼ぎ続ける。この世の富をすべて自分のものにするまで俺はやめはしない。そのためならプライドを捨てて這いつくばりもする。


 成り上がりと笑いたければ笑え、だが、俺にとって生きるとはそういうことだ。他人を蹴落としてでも、一秒でも長く生きて一銭でも多く稼ぐ、それを生きがいと言って何が悪い。貴様らガキどもとは、生の執着ってものが違うんだ。クリスタル様はそこのところをわかってくださる。俺はそれで満足だ。


 ……この体を持ってみて、なおさらよくわかるさ。何不自由なく暮らしてる人間が、哲学気取って生きるだの死ぬだのぐじゃぐじゃぬかすことほど、人間にとって無駄な時間はねぇんだよ」


 生への執着を言われてしまうと、暴走死のあたしには立つ瀬がない。まして、自らの目的のために戸籍を奪うほどの男を相手に、不老不死とは醜い欲望なのだと、訳知り顔で非難できようはずもない。


 とはいえ、なんだろうな、不老不死を選んだこの男に、何か違和を感じてしかたがなかった。


 「モーリオン」


 「何だ」


 「クリスタルに不老不死になるかどうか尋ねられたとき……あんた、即答でイエスと答えたんだって?」


 「……あぁ、そうだ」


 「永遠に稼ぎ続けて、どうするんだ?」


 「俺は欲しい物があるから稼ぐんじゃない。そうさな、あらゆる富が俺の手を経由し、俺が介在しなければ世界経済が動かない、なんてことになれば、俺も満足してそろそろ天国とやらに行ってもいいと思うのかもしれん。だが、この世はそんなに単純じゃない、ありえない話だ」


 「なるほどね」なんとなく納得はできた。ここまで開き直って昭和のモーレツ企業人ってことなのかもしれない。クリスタルが興味を持ったのもよくわかる。だが、


 「……だから俺は、世界が滅びでもしない限り、この世の富をあらん限り集めることを企て続ける」


 最後にモーリオンが漏らしたその言葉に、あたしの背筋が固まった。感じていた違和感の正体に気がついたのだ───「おまえ、」地球が滅びることを聞いてないのか?


 そう言いかけたとき、エレベーターがちょうど最上階に着き、扉が開いた。その向こう側を見てあたしは言葉を継げなくなった。「社長室」と銘の打たれた超高級木製扉まで、赤じゅうたんがずっ……と敷かれていたのだ。さおりがジジィの趣味うんぬんと言っていたことを思い出す。ホントだったのか。


 「……何か言ったか?」


 「いや……何も」


 それがいつもの風景であろうモーリオンは、さっさと下りていった。

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