4-13

 雨は上がっていた。


 夕暮れの街を、しばらくクリスタルと並んで街中を歩くことになった。


 どこだ? ここ? ヴァインの影響でひどく頭が疲れていて、深く考える気力が起こらなかったが、シトリンと戦っていた場所からは、だいぶ離れたところだ。都心のど真ん中らしく、首都高速が頭上を通っていて、東の空にくっきりと浮かび上がる虹を裁断していた。


 クリスタルに言われるままに地上に下り、変身を解いたのは、小ぎれいなブティックの試着室の中だった。そしてクリスタルが、着てみろと放り込んだ服ときたら、……。


 どこのセレブか叶姉妹か、胸元の開いた淡いピンクのイブニングドレスにヒールの高い靴。もちろん、初めて着た。……胸も背丈もいくら底上げしたって無駄なんだけどな、あたしの場合。だいたい、美容室に行けるわけもなし、ハネ上がるクセ髪にどうやって合わせろってのよ。


 どこで仕入れてきたのか、イヤリングやらペンダントまでつけさせられた。クリスタルが服は自分で選ぶと言い切ったのは、隣を歩くにふさわしい女にあたしを仕立てたかったかららしい。クリスタル―――いや、今はつまり、日本に進出してきたアメリカのベンチャー企業の社長クリストファー・ピーターズバーグなのだ。


 今日は黒革のコートを着ていない。ヤンエグというのか、高級ブランドらしきスーツでばしりと固めている。サングラスもかけていなかった。そのご尊顔を間近に拝謁すると、ハリウッド俳優といっても通るすがすがしさだ。長い金髪はむろんのこと、白色の瞳が灯り始めた街の明かりに映える。


 あー、これは何か、あたしは女としてものすごくハイエンドな立場にいるのか? ここで腕を組んでしなでも作っているのが一番威圧できるってことなのか。一度も憧れたことがないといえば嘘になるけど、どうもしっくりこない。さおりなら喜んでやるのかな。


 夕闇の街を歩き続ける。小路を覗き込むと、デザイン優先で店舗や看板をしつらえたバーだとかブティックだとか多国籍料理店が並んでいる。ひとことでいえば、しゃれた街だ。こういう土地は意外に表情が決まっていなくて、どんな姿格好も受け入れるものだ。ていうか、自分自身の格好を決めるのに忙しくて他人には気を留めない。


 それでも、あたしとクリスタルの組み合わせは目立った。妖怪変化でも見るような視線が刺さって気色悪い。近づいてこようとした客引きの黒服が躊躇して背を向ける。


 靴がなじまなくて歩きにくい。自然と、うつむいて小股になる。クリスタルの歩幅に追いつかず、後ろをちょこちょことついてゆくかたちになる。奴はたまに止まって待つ。どことなくうれしそうな顔をしているのがこっぱずかしさを増幅する。……あたし、「オンナ」の枠にはめられてる?


 クリスタルはやがて一軒の雑居ビルの前に立つと、地下のショットバーにあたしを連れ込んだ。


 光量を抑えた青白い照明の中で、黒光りしながらも木目の見えるカウンターの向こうに、ラベルに日本語の書いていない酒瓶がずらり並んでいる。控えめな音量で流されているジャズは、声だけで黒人って感じがする、しゃがれ声のボーカル。


 こんなの、バイト先の何周年記念だったかで、二次会で店長がカッコつけて以来だな。その後───やべっ、思い出したくもない。ただ、ひどく居住まいが悪かったのを覚えている。


 雑誌は落ち着いた大人の雰囲気とかなんとか書くのだろうが、あたしはこんな薄暗いところで他人と向き合いたい人間の心理がよくわからない。誰を見てもどんなに真摯に向かい合っても、何か裏心があるように思える。どうしても落ち着けなかった。


 あたしとクリスタルと、カウンターに並んで座った。時間がまだ早いせいか、客は他にいなかった。蝶ネクタイのバーテンダーがすっと前に立って、いらっしゃいませと頭を下げ、コースターとお通しを置き、メニューを広げてすっと退いた。バーったってパーティをやってるわけじゃないんだからこの格好は不自然だろう、表情こそ変えないが、あたしをちろりと見る視線は不審げだった。


 クリスタルは意に介さない。いわく、「好きなものをオーダーしていいぜ。何かカクテルでも頼もうか?」


 「あたしゃ未成年だ」


 「俺の前で法律など気にするな」


 「やだね、弱みは見せない」彼らに向かって地球法を云々するのは確かに無意味だろうが、飲酒はやはり後ろめたさを感じそうな気がした。それに、酔っ払って判断力が薄れるのもイヤだった。今の疲れ切った頭で、酒なんか入れたらイッパツだ。


 「しかたないな」


 クリスタルは指をぱちんと鳴らしてバーテンを呼んだ。……こんなキザな真似するヤツが実在するのか!


 「このお嬢さんにはジンジャーエールを、俺は、そうだな、マティーニをエクストラドライで」


 あたしは唖然としてクリスタルのそのキザな面構えを見つめた。


 精神体って酒の種類にこだわるような連中か? 彼はきっと、好みとか気分とかの人間的な意味でそれをセレクトしたんじゃないだろう。あたしには知る由もないこういうところのお作法をどっかで覚えてきたか、さもなきゃ、「カッコイイ酒」としてインプットされている名前から適当に選び出したに違いなかった。


 飲み物が運ばれてくる。クリスタルがすっとカクテルグラスを持ち上げた。乾杯、ということらしいが、あたしは応じなかった。クリスタルはつまらなさそうに淡白色の液体に口をつけた。


 ……あたしは警戒を解けないまま、ジンジャーエールのグラスを握りしめてクリスタルを睨みつけていた。こわばった表情がおかしかったのか、クリスタルがふっと笑ってあたしを見つめ返してきた。「怖い顔をするもんじゃない」……部分部分を切り取って足し算すれば、いい男なのは確かだ。


 あたしは目をそらした。「目つきが悪いのは生まれつきだ、気にすんな」


 「損だな」


 「あぁ、年がら年中損してる」


 「……そう突き放した言い方をするもんじゃない、よけいに損をする」


 「説教しにきたのかよ、てめぇ、」あたしはカウンターを拳で軽くこづいて見せた。「だいたい、シトリンけしかけたのはそっちだろうがっ」


 店内に流れるジャズは、スローテンポでピアノ主体の曲に変わる。低音の効いたスピーカーで、ウッドベースの音がよく響く。他に客がいなくても、騒ぐには不釣り合いな場所だった。厳しい口調でも声のボリュームは小さくささやくほどってのがもどかしい。


 「けしかけてはいないさ。本当に戦闘の許可は出してないんだ」クリスタルの返答は穏やかなものだった。「さっきの戦闘、先手を切ったのは君だろう? どういう経緯で戦闘になったのか、俺の方が知りたいんだが、シトリンが何かしたかい?」


 拍子抜けした。本当に理解していないようだ。


 「……あんたの入れ知恵じゃないのか?」


 「いいや、俺は何も命令していない。あいつには勝手にやらせている。学校に行きたいと言い出したのもあいつからだ」


 「ゆきのと同じ学校で、同じクラスで」


 「ゆきの……あぁ、ホワイトローズか。さぁな、俺は学校とやらに興味ない。狭い部屋に拘束して知識だけを脈絡なく押し込むシステムをありがたがる奴の気が知れないね」


 なんだ。どうやらクリスタル一派は、単純に興味がないという意味で、ホワイトローズがアキレス腱であることを知らないらしい。彼らはローズフォース全体をザコ視してるんだから、考えてみれば当然か。


 とすると、シトリンが「友達が欲しい」というのは、本気なのだろうか。


 黙っていると、クリスタルは苦笑してこう言った。「気を悪くしないでくれ、下位精神体は上位精神体の役に立とうといろいろ知恵をめぐらせるものなのさ。シトリンは戦闘用だから、戦闘によって上位精神体に貢献しようとするわけだ。おそらく、君かホワイトローズが今のように突っかかってくることを期待したんじゃないかな」そうだろうか? そんな感じはしなかった。もっとも、クリスタルが彼女の行動をつまらないアクシデントとして認識しているのは確かなようだった。


 「だとすれば、あいつはこれで目的を果たしたと思うかもしれないが───」彼はカクテルを飲み干すと、スツールを回して体ごとあたしに向けた。そして、一転真剣な口振りになった。


 「それは俺の本意ではない。俺は君たちローズフォースを敵とは思わない。むしろ友好的な関係を築きたい。だから話をしに来た」

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