2-14

 驚くあたしの目の前、駐車場にいた一台の車が動き出した。大型で黒塗り、ボンネットにベンツのエンブレムスリーポインテッドスター。入ってきたときにはいなかったような気がする。そして、玄関前の車寄せに、陽光をてらてらと反射しながら移動してきた。まるで、墓地へ移動する参列者をハイヤーが迎えに来たような、自然な動きだった。


 問題はそれが、色鮮やかにくっきりと浮き出して見えたということだ───つまり車は、ロウシールドの内側に現れたのだ!


 あたしは身構えた。車に乗って、悠然と現れた、敵。


 左ハンドルの運転席から降りてきたのは、髪の薄い背広姿の男だった。サングラスをかけている。そのレンズから放射状に広がる皺の数は、もう壮年を越えて老人と呼べそうだった。頬はたるんで垂れ下がっているのに、はげ上がった前頭部だけは張りがあり脂でてらてらと光っていた。図体はあるけれど筋肉質ではなく、ワイシャツの下でベルトのバックルが隠れるほどに腹がぶよぶよしている。


 失礼ながら、ファーストインプレッションが「タイで買春をやっていそう」になったら、男も終わりだよな。


 「……諸君は葬式が悲しいのかね」


 そんでもっていきなりの発言がこれとくれば、


 「ナニモンだ、てめぇ」


 棘のある反応になるのはいたしかたないことだった。


 「何者? ……まったく最近の若いのは口の聞き方も知らん。小娘の分際で、生意気な」男はふてぶてしく言った。「まぁ、よかろう。俺の名はモーリオン、クリスタル様の忠実なる下僕しもべ


 けっ、と吐き捨てた。口の聞き方を知らないのはどっちだ。クリスタルの趣味の悪さは部下にまで伝染してやがる。時代がかる言葉が聴覚を震わすたびに喉の奥がムカムカしてくる。そんなあたしを知ってか知らずか、モーリオンと名乗った男は自分自身のセリフに酔い、悦に入っていた───クリスタルの部下であることがうれしくてたまらないようだった。


 「邪魔すんじゃねぇ」あたしは言った。あたしの真後ろでは焼香が続いている。「消えろ、今すぐ」


 「は! 『消えろ』だと!」モーリオンは鼻で笑った。「ガキが吠えるな!」


 そして、腰をわずかに低く落として構え、腹の底から絞り出すような声で叫んだ。


 「───ブリリアント・モーリオン・パワー!」


 構えたところでしょせん素人のみっともない見てくれ、明らかに英語教育を受けていない棒読みのカタカナ───だが、あたしには笑えなかった。モーリオンの姿が光の繭に包まれたからだ。あたしたちと同じ、変身? クリスタルの部下ってことは、シトリンと同類項の下位精神体なのか……。


 ところが、「あたしたちと同じ・・・・・・・・、変身です!」ゆきのが引きつった叫び声を発した。「ほら───光の中に、脳組織が見えてる!」


 「───てことは?」


 「この人は異星人でも精神体でもありません! 私たちと同じように作られたサイボーグ、つまり、もともと人間だったんです!」


 「なんだって?」


 しかも、光の繭に包まれたのはモーリオンだけではなかった───彼の乗ってきた黒塗りの車も、同時に光へと変化する。


 車から生まれた光子の群れは、渦潮のように光の繭に吸い込まれていく。モーリオンは車と一体化することで自らを強化することができるのか───見る間に、モーリオンの変身が完了した。


 「貴様らのことをクリスタル様が憂えておられるのだ。ブルーローズは面倒なものを残していった、とな。クリスタル様は当面捨て置くとおっしゃっていたが、邪魔な芽は早め早めに摘んでおくのが吉というもの。さぁ覚悟せぃ、全員まとめて潰してくれる!」モーリオンは高らかに宣戦した。


 醜い何かがそこに生まれていた。宙にふわふわと浮かんでいる。アダムスキー型円盤に、中年太りになったロボコップの上半身をつけたもの、という説明でどうだろう。円盤というより、足の出ていないスカートという方が正確か。ヘルメットはかぶっていなくてはげ頭が剥き出しになっているが、一昔前のブリキ細工のロボットについているようなアンテナ状の物体が、耳のあるべき場所の両側から真横に伸びていた。


 奇妙キテレツなのに、初めて見た気がしなかった。何かに似てる気がする。あれだ。あれ。ガンダムに出てくるヤツ。なんだっけ。……ゆきのが表情をなにひとつ変えずにぽつりと言った。「ジオングみたいですね」なんで知ってるんだ? 「スケールは1/6くらいでしょうか」なんだ、そのスケールって?


 ロボコップな顔面には、あたしたちと同じように黒く透き通ったゴーグルが備わっていた。サングラスのようにも見えるが、ハリウッド俳優ばりに鼻が高くて垢抜けていればサマにもなろうものを、サイボーグになってまでたるんだ頬と脂性の肌が再現されてしまっているのは、もはや同情に値する。まぁこの際、相手が憎ったらしいツラしてる方がありがてぇけどな!


 「ふざけやがって……」今までに湧き上がった死に対するさまざまな感情が、まとめて怒りに転じていくのがわかる。


 自分が宇宙人どものために作られた警察犬ロボットだということ、好む好まざるは別にして事実だけは理解した。戦うこと自体に、今さら怯えたりしない。ロウシールドのしくみもおよそわかった、つまるところここで殴り合ったって、銃撃戦をやらかしたって、葬式をしているイッパンシミンが傷つくことはないということだ。


 でもここには、自分の棺にすがりつく、めぐみがいる。


 拳と手のひらとを叩き合わせた。ガシンと金属音。邪魔させてたまるか。やってやろうじゃないの。


 「ゆきの、下がってろ」


 根拠もなく負ける気がしなかった。すべてにおいて自分の行動が正当だと思った。その正当さを阻害するイヤなものが目の前にある。めぐみのためにも、排除せねばならない。一対一サシの真っ向勝負なら逡巡する理由がなかった。


 しかし、「待ってください」ゆきのの声は重かった。「もうひとり、来ます」


 モーリオンの後方、駐車場上の少し高い位置に、陽炎が生まれた。精神体がワープしてくる兆候だ。ワープアウトしてくるまでがサンフラワーより少し遅い。後から彼に確認したところでは、ワープにかかる時間は距離に比例するんだそうだ。つまり、遠く離れた場所からのワープだったわけだ。


 少しずつ実体を現すその姿をよく見てみた。あたしたちと同様の鋼の鎧を身にまとい、女性の姿をしている───今度こそシトリンか? いや、似ているようでいて顔立ちがかなり違う。やはりブルーローズのひとまわり小さくした感じ、髪の長さや顔のパーツの位置が少し違っている点は同じだが、切れ長の目線に大人の印象があった。シトリンより、もしかするとさおりよりも年上の設定であるのかもしれない。ことさらに違うのは、髪先だけ軽くカールのかかったストレートの長髪の色が、薄紫だということだ。「おそらくは、『アメジスト』でしょう」ゆきのの分析は速かった。「地球上での準備行動を担当しているはずの、クリスタルの下位精神体です。シトリンは戦闘専用だとサンフラワーさんは言っていましたけど、アメジストはそうではないはずです」


 中空に現れたアメジストは、あたしたちとモーリオンをまとめて見下していた。あたしたちは冷ややかに一瞥しただけで、モーリオンには侮蔑を含んだ言葉を投げかけた。「勝手なことを。自分が何をしているかわかっているの?」


 「知れている」モーリオンはアメジストを見上げ、苦々しげに答えた。「ブルーローズの手先を退治てくれるのよ。クリスタル様のお手を煩わすことはない」


 「その名を口にしないように」アメジストは答えた。丁寧な口調だったが、ゆきののそれとは違って、ただ事務的で冷たかった。「あなたに命令を下すのは私です」


 「───なぜ貴様に命令されねばならん?」


 「あなたは、自らの愚行の不始末をクリスタル様に背負わせるつもりなのですか?」


 「愚行かどうか、やりもせんうちから決めるのか」モーリオンは不満げだった。


 「根拠のない虚栄の言動が愚行だと言っているのです。───だから人間は」


 「黙れ、金魚のフンの分際で偉そうに。奴らはいずれ排除せねばならぬ邪魔者なんだろうが。だったらいつやっても同じこと」


 「その点については私も同意しましょう?」アメジストは言った。「しかしクリスタル様の同意はない。だから私が命令するのです、排除せよとね」


 「なるほど。気には入らんが話はわかった。よかろう、その命令に従おう」


 この会話の意味は、後でサンフラワーから説明されることになる。ここで簡単に述べるとすれば、つまり、アメジストはクリスタルの関与を否定したのだ。悪事はすべて秘書の仕業、ってわけだ。


 あたしには、彼らが襲撃してきた理由などどうでもよかった。少なくともそのときは、一対一の真っ向勝負でなくなったことを憂えていた。二対一になってしまったのだ。───二対一?


 「ゆきの」あたしは尋ねた。「───あんた、戦えるか?」


 「えぇ、なんとか、……やって、みます」


 今さらできないと言えるわけもない、決意を込めた口調でそう言ったものの、ゆきのは激しく緊張していた。左肩の飾りからすぅっとローズアームズを取り出し長く青白い刃を伸ばしてみせたが、手の震えが止まらず、ぶるぶる揺れて構えが定まらない。サイボーグの体や変身にいちばん抵抗のない彼女が怖れているのは、誰かを苦しめること、傷つけ合うことだろう。……あたしは、その壁を一度超えてしまったが最後、歯止めが利かなくなって、二度とためらわなくなるのをよく知っている。だが、あたしたちはもはや、超えざるをえないんだ。


 とはいえ、現状がこんなんじゃあ、彼女を味方にカウントできない。やはりこの場は、二対一だ。

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