05.選択肢のない物語
某所で見つけた面白そうなノベルゲームをプレイしている最中、選択肢が出てきました。そこでふと考えます。
私達は生きていく上で、様々な選択をしています。例えば、今日のお昼ご飯に何を食べるか、とか。
それらは自由な意志に基づいて選択されている、と多くの人は考えています(おそらくこのゲームの中の主人公も)。
けれど、本当にそうでしょうか? 私は今日のお昼ご飯に、ジャムパンではなくメロンパンを食べる、という選択をとることが出来たのでしょうか?
別の選択を選ぶことも出来た、という強い意味、あるいは狭い意味での自由意志は、私にあるのでしょうか?
人間もまた、自然の一員です。私も人間であるからには、自然の一部です。
私は超自然的な存在ではありません。その意味で自然現象の一部です。そして自然現象であるからには、自然法則が働いていることでしょう。
つまり、ジャムパンを選んだ私の選択もまた、自然法則に従ったものでしょう。
法則に従うということは、法則外の振る舞いをしない、ということです。例外がないということは、どういうことでしょうか。
私の選択が物理的な、あるいは精神的な――精神もまた、自然の一部ではないでしょうか? これには異論があるかもしれませんが――法則に基づいているというならば、そこに自由な意志が介在する余地はあるのでしょうか?
自然は運命論ではありません。未来を予測するラプラスの悪魔は、不確定性原理が殺してしまいました。
けれど、それで得られたのは確定した未来は存在しない、ということだけです。私が自然の一部なら、今この瞬間、私が書き付けている言葉の選択も、法則に基づいて行われているのです。選択の時まで、どの言葉が用いられるのか決定はされていないとしても。
チュニィは、自身の考えを備忘録に残しておきたいと考えたからこれを書いています。けれどそれは、私がこの備忘録を書いたから、チュニィが書きたいと思っただけなのかもしれません。
法則的な意志は自由なのでしょうか? 意志の力とは、どれほどの影響力を持つのでしょうか?
私という存在は、自然法則に従っているだけなのでしょうか? あるいは超自然的なものだとしても、あらゆる法則から自由な、非法則的な存在なのでしょうか?
非法則的とはどういうものでしょうか? 六面ダイスを振れば、1が1/6の確率で出ます。それは法則的です。全知全能の神のごとき知性を持つラプラスの悪魔なら、どの面が上になるか予測さえするかもしれません。
世界は極めて複雑に出来ています。蝶々の羽ばたきは台風を生み出すかもしれません。けれどそれも、元を正せば単純な法則に従っているのです。奇妙な量子の振る舞いさえも。
確率でしか示せない事象がある故に、ラプラスの悪魔が死んだのだとしても、確率で振る舞いを記述できるなら、それは法則的です。
完全に法則的でない事柄を、私は自らの心を除いて、この世の中から見つけ出すことが出来ません。もしかすればそれも、法則的なのかもしれません。どうして心だけが非法則的だと言えるでしょうか。
仮に超自然的なものが存在したとしても、そこには何かしらのルールが働いているようにも思えるのです。あらゆる法則から自由な存在というものは、想定し得るのでしょうか?
もしも世界に非法則的なものなど存在しないなら、それは不幸でしょうか、幸福でしょうか? あるいは、考えるだけ無駄でしょうか?
選択肢のない物語は悲しいでしょうか? それとも、チュニィの物語に選択肢はあるのでしょうか?
そして、その選択肢をチュニィは自らの意志で選ぶことが出来るのでしょうか?
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