第四十話  迷宮祭:その九

「――なにっ?」


 突如、背後からビリビリと伝わる覇気。振り向いたフウカは驚愕した。もはや身動きひとつできないだろうと思われたオズ・リトヘンデが、ゆらりと立ち上がったからだ。彼の体中から蒸気のように闇のマナが噴き出し、威圧感をまき散らしている。


「……《サタナ・ソーディア。暗黒剣》」


 オズの口から、ぼそりと言霊スペルつむがれる。闇のマナが瞬時に集束し、オズの手に黒剣が出現した。

 次の瞬間、


 ギュオオオォォ――!


 風を切りながら。大地を削り取りながら。オズはフウカへ肉薄する。予備動作もなく瞬時に距離を詰めたオズに、フウカは目をいた。


「――くっ!」


 とっさに構えたGブレードが、オズの攻撃を防ぐ。腕が痺れるほどの重い一撃。さらに、勢いをそのままに身をひるがえしたオズは、回転蹴りを放つ。フウカは左腕でそれをガード。衝撃がGスーツをつたってフウカの体を震わせる。

 ――どこに、こんな力がッ!

 衝撃を殺すため、あえてフウカは自分から飛び退く。地面を滑らせ、フウカはオズから距離をとった。


「《サタナ・キアルド。漆黒の弾丸》」

「――ッ!」


 そこに、すかさずオズの輝術オーラが放たれる。


「《アグニ・ラシルド! 火壁!》」


 フウカが唱えたのは防御。火の壁が立ち上がり、闇の弾丸がそれに衝突する。

 バシュウウゥ――!

 相殺されたマナが鼓膜を震わせる。マナの残骸ざんがいが晴れたとき、フウカの視界にオズはいなかった。

 フウカがばっと顔を動かすと、オズはエリカの側にいた。腕にはぐったりと動かないラグーンを抱え、もう片方の手にはGブレードが回収されていた。

 ――速い、いつの間に……!

 ラグーンとGブレードは離れた場所にあった。わずかな時間で回収できるものではない。

 そして、離れた位置で見て、はじめて気づく。――オズの変化に。

 Gスーツを取り巻く闇のマナは、半固形化して漆黒のロングコートのように変化していた。そこから瘴気がゆらゆらと立ち昇っている。頭頂からは、闇のマナで形作られた二本の角が伸びていた。――その姿はまるで、悪魔。そして、なにより威圧感を放っているのは眼である。絶望を思わせるほどの深い紫が、暗闇に浮かぶ猫の眼のようにきらめいていた。

 今にも死にていだったオズが、急に動けるようになったのもうなずける。フウカはつぶやいた。


「それがお前の、真の超越輝術エニグマか……!」


 超越輝術エニグマには“名前”がある。それを知らなければ真の覚醒とは言えない。この土壇場で、オズはそれを成し遂げたのだ。


「やはりお前はただ者ではないな、リトヘンデ……」


 フウカのひたいを汗がつたった。




「エリカ……ゴンを見ていてくれ」

「ゴ、ゴンちゃんは……!」


 オズはエリカの膝にゴンを乗せる。動かないゴンを見て、エリカの声が上擦った。


「まだ息がある。ゴンは死んでない」

「――!」


 膝につたわるのは、ゴンのわずかな鼓動。――ゴンはまだ生きていた。それを知って、エリカは安堵する。

 そして、ゴンをエリカへ預けたオズは、フウカへ向き直った。

 漆黒のコート、悪魔のような二本の角、煌めく紫眼――威圧感を撒き散らすオズの変化だが、それを前にしてもエリカはひるまなかった。逆に安心感を抱いたほどである。

 目の前の少年なら、自分のことを守り抜いてくれる――

 その背中へ、少女は声をかけた。


「オズ……勝って……!」

「……ああ」


 少年は静かにうなずいた。




 オズはGブレードを構え、フウカと相対する。

 心は落ち着いていた。

 信頼していたのに裏切られたこと。ハインの命を踏みにじったこと。エリカとゴンを傷つけたこと。

 爆発しそうに膨れ上がっていたにも関わらず、怒りはすでに静まっていた。

 そして、オズはそれを不思議とも感じなかった。


 ――暴食王子ベルゼビュートは、オズの感情を喰らい尽くしていた。身を焦がすほどの怒り。生への渇望。死ぬことの意味。少女を守るという意志。すべてをかてにして、暴食王子ベルゼビュートはオズを立ち上がらせた。


 脳に残された使令はただひとつ。

 それは、速やかに目の前の女を殺す・・ことのみ。


 ――ッ!


 砂を巻き上げ、オズはフウカへ迫る。それをフウカが視認したときには、すでにオズは攻撃のモーションに入っていた。

 ガキイィン――!

 ふたつのGブレードがぶつかり合う。フウカは経験と勘で、オズの攻撃を見切っていた。

 即座に続くオズの攻撃。

 それもフウカは防ぐ。超越輝術エニグマを発揮したオズの連撃を、フウカはいなしていく。

 レベル40を越えたBランクバスターの実力は伊達だてではない。オズの重い攻撃を防御しつつ、反撃の機会をうかがっていた。

 そして、


 ザシュッ!


 オズの連撃をくぐり抜け、フウカのGブレードがオズの体を裂いた。


「リトヘンデ、お前は強い! それは認めてやる! ――だが、まだ経験が足りなかったな! お前の攻撃は直線的すぎる!」


 オズに足りないのは経験だった。逆に言えば、経験だけで超越輝術エニグマを発揮したオズと渡り合うフウカは、並大抵ではない。

 間違いなく、フウカは強者だった。


「ほら、次はここだ!」


 ザシュッ!


 またフウカの攻撃がオズに入る。徐々に、オズは斬撃をもらっていく。


「次はここッ! そらッ! ――ハハハ、どうしたリトヘンデ! その力は見かけ倒しか!」

「……うるさいな」


 オズはうっとうしげにつぶやいた。その冷えた声を聞いて、フウカの背筋が思わず震え上がる。


「あんたのクセは、もう見切った」

「――ッ! ごとを!」


 オズの紫眼が深淵を覗かせた。

 フウカがふたたび、オズの攻撃をってGブレードを振る。経験と技術に裏付けされた鋭い一刀。

 しかし、

 ――オズはそれを、皮一枚でかわしてみせた。そして、逆にそれはオズにとって好機となる。オズのGブレードが唸りを上げる。


 ズバァッ!


「……なん、だと?」


 フウカは斬られていた。オズの見事なカウンターであった。


「遅いよ。フウカ先生」


 ――そこからの打ち合いは、オズが主導権を握った。

 フウカの攻撃は、オズに当たらない。

 オズの攻撃だけがフウカに当たる。

 連撃はえを増し、もはやフウカに防御さえも許さなかった。


「……くそっ! なぜ、だッ!」


 体中から血を流しながら、フウカは問う。彼女がここまで耐えられるのも、高レベルの肉体があるからだ。しかし、その終わりもすでに見えている。


この眼・・・にも慣れてきた。……もう、ぜんぶえてるから」


 深い闇の底から、紫眼がフウカを射抜いた。

 怒濤どとうの連撃に、フウカは手も足も出なかった。オズの攻撃には容赦がなかった。一撃一撃に濃厚な殺気が乗せられていた。ハインと戦ったときにはなかったものだ。

 静かな殺気が、フウカを追い詰める。


「――ぐ、ふっ!」


 オズの鋭い蹴りがフウカを突き刺した。フウカは吹き飛ぶ。

 トドメをさすべく近づくオズへ、フウカは手をかざした。


「《アル・グラド・イグナトス! 大炎槍!》」


 Bランクバスターの輝術オーラである。それは学生のものとは比較にもならない。燃え盛る巨大な槍が、オズへ迫った。

 接近戦がダメなら遠距離攻撃。フウカは遠距離戦に切り替えたのだ。

 しかし――


「……《喰らい尽くせ》」


 たった一言。オズに直撃するかと思われた次の瞬間、フウカが放った輝術オーラは霧散した。それは闇のマナへ変換され、オズを渦巻く瘴気の一部となる。

 呆然とするフウカだが、起きたことを理解すると、顔を歪めた。


「……倒したガイムだけでなく、輝術オーラまでも吸収するのか!」


 オズの超越輝術エニグマはガイムを倒すことで強化されるものだった。それはガイム戦では有用だが、対人戦だと役に立たない能力のはずだった。しかし、それに輝術オーラまで加わるとなると話は変わってくる。

 ザッ、ザッ、と静かに歩み寄るオズ。フウカにとっては、それはまさに悪魔……死神の足音に聴こえた。

 だが、フウカは、


「ふ、ふふ……! どうやらアタシは、心のどこかでお前を舐めていたようだ」


 接近戦でも遠距離戦でも敵わない。それを理解しても、フウカの心が折れることはなかった。凄惨せいさんな笑みを浮かべながら、フウカは立ち上がる。

 オズは足を止めた。そのフウカの笑みは、警戒に値すると判断したからだ。


「目には目を、歯には歯を……! これまで隠し通してきたが、アタシの本気を見せてやる……ッ!」


 もはや、フウカはなりふり構っていられなかった。エリカ・ローズを生け贄にするよりも。

 ――オズ・リトヘンデをこのまま野放しにすることを、なんとしてでも阻止しなければならないと思った。目の前の少年は、あまりにも危険。野放しにしては、近い将来、フウカにとって強大な敵となる。

 出し惜しみはしない。フウカはそれ・・を口にする。――今まで、人前で紡がれたことのない、言霊スペルを。


「――《布陣せよ! 百式衛星ヘカトンケイルッ!》」


 フウカの足元から凄まじい風が巻き起こる。ちゅうにひとつ、ふたつと光り輝く魔方陣が浮かび上がっていく。明滅を繰り返しながら、展開されていく魔方陣――その数は百にも及んだ。フウカの背後に浮かび上がった百の魔方陣は空中を埋めつくし、そのすべてが、オズを標的に定めていた。


「……超越輝術エニグマか」


 オズはつぶやいた。

 超越輝術エニグマはAランクバスターのあかしでもある。だが、フウカはBランクバスター。

 超越輝術エニグマを持ちながら、その事実をバスター連盟に秘匿するバスターも存在するのだ。フウカは、そのひとりだった。


「そうだ! いくらお前が輝術オーラを吸収するといっても、百もの輝術オーラを、同時に・・・吸収できるか!?

 ――《アル・グラド・イグナトス! 大炎槍ッ!》」


 両手を天にかかげ、フウカが叫ぶ。瞬間、背後の魔方陣が光を放った。そのそれぞれから、燃え盛る炎の槍が飛び出していく。――百本の炎槍。それらが上空を埋めつくし、空を真っ赤に染め上げた。

 フウカが秘匿してきた超越輝術エニグマ――百式衛星ヘカトンケイル

 その効果は単純かつ絶大だ。ひとつの言霊スペルに対し、百の輝術オーラが発動する。そして、それぞれの威力が損なわれることはない。――つまり、百倍の効果を見込めるということだ。それは、百人の上級バスターから輝術オーラ攻撃を受けるのに等しい。

 オズは微動だにしなかった。すでに心は喰らい尽くされている。恐怖はなかった。

 百の輝術オーラがオズへ襲いかかる。


「……《喰らい尽くせ》」


 バシュウウゥゥ――!!

 炎が闇に変わる。続々と撃ち込まれる炎が、漆黒のコートに吸い込まれていく。

 しかし、吸収した輝術オーラが五十を超えたあたりだろうか。

 ――ブシュッ! 音を立て、オズの背中が破裂する。血肉が飛び散り、オズはよろめいた。それに続くように、腕、脚、わき腹……と破裂していく。――吸収の許容量を超えたのだ。上限を超え、行き場を失ったマナは、オズの体の中で暴れまわった。

 数瞬ののち。

 百の大炎槍が止み、煙が晴れたとき。

 血まみれになったオズが、そこにいた。


「――オズッ!」


 エリカの悲鳴が上がった。オズは振り返る。


「エリカ、俺はおまえと約束した。……絶対に、勝つって」


 その言葉に、エリカはハッとする。


「――うん!」


 心が喰らい尽くされても、オズはオズだった。

 少女は、少年の勝利を疑わなかった。


 オズとエリカが言葉を交わすうちに、フウカは次の輝術オーラの準備を終えていた。『大炎槍』より、遥かに上位の輝術オーラである。


「リトヘンデ! お前もこれまでだ! 業火に焼かれて死ねッ!

 ――《アル・グラド・エルドラゴニカ! アギトひらけ、炎龍よ!!》」


 魔方陣から、炎の龍が飛び出していく。

 百の龍が解き放たれた。

 フウカは勝ちを確信していた。『大炎槍』でさえ五十しか受けきれなかったのだ。『炎龍』なら、受けきれても十かそこらだ――と。


 グオオオオオォォ!!


 百頭の龍がとどろく。

 砂を巻き上げ、大地を揺るがし、大気を震わせ。

 龍の群れが、オズへと落ちてくる。

 深い紫眼が上空を見据えた。その煌めきが、さらに存在感を増す。


「……《喰らい尽くせ! 暴食王子ベルゼビュートッ!》」


 バシュウウゥゥ――!

 炎龍はオズへと飲み込まれていく。

 その数が十を超えたところで、オズの体が破裂する――はずだった。

 行き場を失ったマナは、右手のGブレードへと集められた。それは凝縮し、瘴気となる。瘴気はGブレードをコーティングするように重なり合い、徐々に巨大化していく。

 ――マナの流れを見切り、それを制御したオズは、行き場のないマナをGブレードへと回す、という荒業をやってのけたのである。

 オズは静かにGブレードを構えた。もはやそれは、オズの身の丈を超えていた。

 やがて、

 百の龍はすべて喰らい尽くされる。

 瞬間、オズは駆けた。――そして、跳躍。

 炎で生じた煙から突き出るように、オズは上空へと飛び上がった。


「――な、なにッ!?」


 その姿を視界にとらえ、フウカは驚愕する。まさか、オズが生き残っているとは思わなかったからだ。そして、振り上げられた巨大なつるぎを目にした瞬間、フウカの口は反射的に動いていた。


「――《ジル・ガンド・ラシルダッ! 我を護れ、岩神の障壁よ!》」


 背後に展開されていた魔方陣が、瞬時にフウカの前面へと集まり、ドーム状に覆う。

 地面から岩壁がせり上がるのと、オズが巨剣を振り下ろすのは、同時だった。


ダンカイ……ッ!!」




 音を置き去りに、闇が大地を斬り裂いた。


 そして。


 遅れるようにやってきた轟音ごうおんが、迷宮中に乱反射する。




 地面に着地したオズは、フウカを見た。


「これほど、とは、な……!」


 破壊された岩壁の向こう。

 フウカが仁王立ちしていた。

 右腕――いや、右上半身は吹き飛んでいた。破壊された胴体に、瘴気がうごめくようにこびりついている。頭は辛うじて残っているが、右側の顔は焼けただれたように溶け落ちていた。

 だが、それでもフウカは立っていた。

 彼女の腰から、赤い光が明滅する。


「〈賢者の石〉、に、生かされた、か……」


 一方、オズにも限界がやってきていた。真の解放に至ったとは言え、その力を使いこなしたわけではない。

 黒のコート、悪魔の角が、パラパラと散っていく。飛びかける意識を、オズはなんとか押し留めた。


 そこへ。


 ――ドォン


 地響きを上げ、この場にひとりの男が到来する。

 二メートルを超える巨体。頭は厳めしい茶毛の狼。

 学園都市最強のバスター――グノ・ギュメイだった。


「フウカァ……! 貴様が今回の元凶かッ!!」


 狼は憤怒していた。目はつり上がり、鼻に深いシワが寄っている。

 それに対し、瀕死のフウカは笑みを浮かべた。


「く、今回は、アタシの、負けだ……。逃げさせて、もらう……」


 突如、赤い光がフウカを包み込む。〈賢者の石〉の光だった。――それは、〈帰還石〉の発光に酷似していた。

 それを察知したグノが、飛び出す。


「逃がすかぁッ!!」


 しかし、グノが距離を詰める前に。

 フウカは赤い光に飲まれ、その姿を消した。

 最後に、こんな言葉をオズへ残して。


「リトヘンデ……お前とは、また、戦うことに、なりそうだ……」


 オズの記憶はそこまでだった。

 限界を超えたオズは倒れ、意識を失った。

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