第三十九話 迷宮祭:その八

「「「GAOOOOOO!!」」」

「――くそっ!」


 フウカへ向かっていた足を止め、オズは迫り来るガイムを斬りつけた。ボロボロになった体でも、オズの剣技は正確無比。一刀のもとにガイムを破壊する。砕片はオズの体へ吸いつけられるように集まっていき、闇のマナへ変換される。そして、オズのパワー速度スピードは増す。

 ――名もなき超越輝術エニグマが解放された。

 エリカとゴンの回りを、円を描くように駆け、押し寄せるガイムを殲滅していく。

 ほどなくして、オズはトップスピードに乗った。もはやエリカとゴンには残像がかすかに見えるのみである。


「な、なんて速さなの……!」

「きゅう……!」


 危険な状況にも関わらず、エリカは惚けたようにつぶやいた。オズの殲滅は、それだけ圧倒的だったのである。

 その速度は、超身体活性フル・ブースト使用時を軽く上回る。それだけ超越輝術エニグマの効果は圧倒的なのだ。

 だが、だからと言ってオズの超越輝術エニグマ超身体活性フル・ブーストの上位互換というわけではない。

 超身体活性フル・ブーストのメリットは、ガイムを倒さなくても発動できる点にある。また、攻撃が紫電をまとうため、対人戦では相手を痺れさせることも可能になる。その反面、制御がむずかしく、自らの体をも紫電で焼くことになる。

 一方、超越輝術エニグマはガイムを倒しさえすれば発動できる。力と速度も超身体活性フル・ブースト以上に強化される。単純な殲滅速度では、超越輝術エニグマの方が上だ。超身体活性フル・ブーストが対人戦向きであるのなら、超越輝術エニグマはガイムとの戦いで真価を発揮すると言えるだろう。

 しかし、超越輝術エニグマには反動がある。これまでにオズは二回ほどこの能力を解放したが、どちらも力を使い果たした後に気絶している。今までは超越輝術エニグマの効果が切れる前にカタをつけることができたからよかった。……だが、もしこのガイムの大群を倒しきる前に超越輝術エニグマの効果が切れたらどうなるか。――フウカが狙っているのはコレだ。自ら手を下すことなく、オズを葬り去ろうとしている。


「うおおおおおおおぉぉッ!!」


 オズはひたすらGブレードを振るう。ガイムを殲滅するうちに、地面にはガイストーンが散らばっていく。頃合いを見て、オズはGブレードを大きく振りかぶる。


断界ダンカイィッ!」


 ガイストーンを闇のマナに変換し、それが巨大な黒刃となって数十体ものガイムを吹き飛ばした。しかし、その穴を埋めるように後続のガイムがなだれ込んでくる。

 オズは見た。ガイムの群れの中、〈賢者の石〉を掲げるフウカの姿を。勝利を確信したフウカは、奮迅するオズを見て、わらっていた。

 ――そうか。あのときも、そうやって嗤っていたんだな?

 今の状況は、冬季休暇のあの事件の焼き直しのようだ。オズはユーリを守るため、超越輝術エニグマを解放して戦った。フウカは陰からそれを見ていたに違いない。思えば、オズが力尽きる絶妙のタイミングでフウカは助けに来た。効果が切れるのを見計らって姿を現したということだ。――それはつまり、彼女が超越輝術エニグマの解放時間を把握していることを意味する。オズの超越輝術エニグマが切れるまで、フウカによるガイムの波状攻撃は続くだろう。


「くそおおおぉぉッ!!」


 オズはフウカの手のひらの上で踊っているに過ぎなかった。

 そして、闘争のゆくえは冬季休暇のときと同じ。エリカを守りながら戦うオズは、無傷ではいられない。処理が間に合わない攻撃は、その身をもって受けることになる。エリカをかばうために、腕を噛まれ、腹を尾で刺され、脚を踏み潰される。

 拘束されたエリカは、それを見ていることしかできなかった。できるのは、涙を流すことだけ。飛び散ったオズの血が、エリカの涙を汚していく。


「――オズ! あたしのことはもういいから、逃げて! あたしが殺されることはないから! あたしのことなんか、守ろうとしなくていいからぁっ!」


 エリカは叫んだ。自分はあくまで〈賢者の石〉の生け贄として生かされていることは、オズには言わない。そのことを知らないオズは、フウカが言った「ローズは死ななければ好きにしろ」という口上から、エリカが殺されることはないと思っているはずである。

 なのに、オズは戦い続ける。エリカを傷つけないために。

 このままでは、オズは死んでしまう。オズをどうにかしてここから逃げさせなければならない。たとえ、嘘をついてでも。


「フウカ先生の狙いは、あたしなのっ! 〈賢者の石〉を進化させるために、あたしのマナがちょっと必要なだけだって! ハインがそう言ってたの! 命まではとらないって! だから、あたしのことなんて放って、逃げてよぉっ! オズのことは見逃してくれるはずだからっ!」


 エリカがいくら叫んでも、オズは逃げなかった。エリカの叫びに返答もせず、ただひたすらガイムを殲滅していく。


「――どうして! あたし、あんなにひどいことしたのに!」


 エリカの口から出たのは、ダンスパーティーでオズにした仕打ちのことだった。エリカは、つまらない嫉妬でオズを拒絶したのだ。それなのに、オズはエリカのために戦っている。

 エリカの心はもうぐちゃぐちゃだ。今にも死にゆくオズを、これ以上見たくなかった。でもオズは戦いをやめない。エリカはついに、感情的になって叫んだ。


「――逃げてって言ってるのに! どうしてわからないのよっ! バカバカ! オズのバカぁ! アンタなんて、大っきらい!!」


 今にもガイムに噛みつかれ、刺され、踏み潰されながら。一心不乱にガイムを叩き潰すオズは、エリカへえた。


「エリカァッ! ――俺は、お前に嫌われたっていい! お前を守れるのなら……いくらだって、嫌われてやるッ!!」

「――ッ!」


 エリカの心臓が跳ね上がった。目の前に、自分を助けるため、命をも投げ出す男がいる。


「うおおおおおおおぉぉッ!!」


 オズは戦い続ける。まさに体を張って。


「オズ……やだ、死なないで……!」

「きゅう……!」


 エリカにできることは、ただひたすら祈るのみだった。








 むき出しの岩山と、吹雪ふぶく砂風。

 ガイムの楽園は今、静けさに支配されていた。


「まさか、倒し切るとは思わなかったぞ……リトヘンデ」


 すでにガイムは全滅していた。闇のマナをゆらゆら立ち昇らせ、肩で息をするオズがそこにいた。

 オズは〈エリア10〉に集結していたガイムを、すべて消滅させたのだ。――エリカを守りきって。


「……だが、さすがのお前も時間切れのようだな? これで、お前を危なげなく倒せる」


 オズの視界はすでに朦朧もうろうとしている。ほどなく、力を使いきったオズは気を失うだろう。

 かすんだ視界の向こう。フウカが〈賢者の石〉を腰に収納し、Gブレードを構えていた。フウカの像はボヤけていて、二重にも三重にも見えた。


「悪く思うなよ、リトヘンデ。アタシの使命ために――死ねッ!」


 ――斬!


「……ぐ、は!」


 オズは吹き飛んでいた。地面を跳ねながら転がっていく。体中が痛い。胸が冷たくなっていく。口から血が溢れだすが、むせる力もない。朦朧とした意識のなか、どうやら、自分がフウカから致命的な一刀をもらったらしいことはわかった。自分の体から、熱が失われていくのを感じとれる。


「――オズッ! やだぁ! 死なないでぇ!」


 じゃらじゃらと鎖の音がする。エリカが拘束を抜けようともがいていた。オズに迫る死を前に、冷静でいられるはずがない。


「きゅうぅ!!」


 そして、それは幼きラグーンにとっても同じ。愛する主人を助けるため、ゴンは飛び出した。――しかし、


「邪魔だ」

「――ぎゅっ!」

「ゴンちゃんっ!!」


 オズの元に飛んでいくゴンを、フウカは蹴飛ばした。飼い主と同じように、地面を跳ねながら転がっていく。


「ゴ……ン……」


 オズはぴくりと右腕を動かした。そこで、使いなれた愛刀――バルダからもらったGブレードが手から失われていることに気づく。フウカから攻撃を受けた際に、手放してしまったらしい。

 どこに、いったんだ……オズはぼんやり考えた。


「さぁリトヘンデ、ひとおもいに殺してやる」


 フウカがオズのことを見下ろしていた。無機質な表情。無機質な瞳。フウカのたたずまいからは、現実感が感じられなかった。彼女がなにを思い、なぜこの混乱を起こしたのか。そしてなぜ自分を殺そうとしているのか。オズには、ひとかけらも理解できなかった。ただただ、空虚な死が近づいてくるだけである。

 視界の先のボヤけた姿のフウカが、Gブレードを振りかぶる。そして、それを振り下ろそうとして――


「――やめてッ! オズを殺すならあたしも死ぬ! 舌を噛みきって、死んでやるんだからぁ!!」


 フウカはピタリとGブレードを止めた。オズの首に当たる寸前だった。


「あたしの命がほしいんでしょ!? いくらでも使えばいいじゃない! あたしは抵抗なんてしないわ!」

「ほう……」


 エリカを見て、フウカは興味ありげに笑った。


「そのかわり……オズにはもう手を出さないでっ! 誓ってくれないなら、舌を噛んで死ぬわよ!!」

「……いいだろう。約束するよローズ。そういう覚悟は嫌いじゃない」


 そう言って、フウカはエリカへと歩を進める。

 消えかかる意識のなか、オズは必死に手を伸ばした。


「やめ、ろ……」


 オズの脳は、必死に「動け!動け!」と肉体に命令を送っている。だが、それに肉体が答えることはない。

 エリカが殺される。

 二人の会話から、その事実だけがオズを押し潰す。

 だらりと動かない自分の腕が見えた。そこにGブレードはない。

 フウカに蹴られて倒れているゴンが目に入った。ゴンはピクリとも動いていない。

 そして、遠ざかるフウカの背。その向こうには、死を受け入れた少女がいる。

 ――苦しい。

 息ができない。

 体が冷たい。

 そして、脳が意思を拒否しはじめる。動かない肉体に痺れを切らして。

 ――もう無駄ではないか?

 ――自分ができることは、すべてやったのではないか?

 ――これ以上、なにができる?

 オズは嗚呼、と血を吐いた。

 なんだか、眠く、なってきた……







 光が、射した。


≪――諦めるのですか? オズ。≫


 オズ……? あぁ、俺の名前か。


≪オズ。あなたには、まだこの世界でやらねばならないことがあるのです。≫


 世界……、たいそうな話だな。


≪オズ。わたしはあなたを、ここで死ぬために呼び出したのではありません。≫


 ……死ぬため? ……そうだ、俺は死ぬ理由を探していたんだった。そして、それを見つけた。……この世界で。


≪あなたは今まさに死ぬところなのです。……オズ、あなたはその理由を果たしたのですか?≫



 …………果たしていない! ここで死んだら、俺は犬死にだ! あの子を――エリカを、助けなければならないッ!


≪では起きるのです、オズ。あなたはまだ自分の真の力を出しきっていません。わたしがきっかけを与えましょう。その言霊スペルは……≫







 オズの意識は浮上する。

 血にまみれた口で、オズはつぶやいた。

 自らに宿る、真の力の名を。


「…………喰らい尽くせ。暴食王子ベルゼビュート……!」


 ドオォン――!


 死にゆくオズの体から、闇の闘気が噴き出した。

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