第三十六話 迷宮祭:その五

 ハインを見て、あたしはいくらかホッとした。


「ハイン、無事だったのね。……いったいなにが起こったのかしら。……スーはどうしたの?」


 混乱した頭を落ち着かせるように、あたしは尋ねた。


「あの半獣人デミ・ライカンなら、今ごろガイムの腹の中でしょう」

「……え?」


 あたしは耳を疑った。そこで初めて、あたしはハインが暗い笑みを浮かべていることに気がついた。


「薄汚れた亜人が姫の側にいるなど、前々から我慢がならなかったのです。少々、“計画”が外れて取り逃がしてしまいましたが……。地下迷宮ラビリンスでガイムが大暴走している現状を考えれば、あの山羊やぎはやつらのおいしいエサになったことでしょう。……ああ、私の手で始末できなかったことが悔やまれる……」


 ハインは心底残念そうに天を仰いだ。


「な、なにを言っているの……?」


 あたしの声が震える。

 スーは山羊やぎ系の半獣人デミ・ライカンだ。ハインが人族以外の人種を軽視しているのは以前から知っていたし、スーに対して差別的な言葉を投げかけることもあった。皇国内にも、少数だが帝国貴族のように人族至上主義の見方をもっている家系があって、ハインはそこの出なのだ。だけど、学園都市に来ることになってから今まで、一緒にやってきた仲間なのは間違いない。なんだかんだと言いながら、ハインはスーのことを認めていると思っていた。

 その仲間を……始末・・、ですって?

 “計画”って……なに?

 ……ハインの言っていることが、理解できない。


「――ハイン! バカなことを言うのはよしなさい!」


 あたしが身動きすると、後ろ手に縛られた手錠がじゃらじゃらと鳴る。


「ちょっと! つっ立ってないでこの鎖を外しなさいよ!」

「……なぜ外さなければならないのです? せっかく、私が付けて差し上げたというのに」

「――えっ」


 あたしは固まった。

 砂を含んだ風がびゅうと吹き抜けた。

 ハインは今までに見たことのない笑みを浮かべていた。歪んだ笑みは狂気を帯びている。

 ――気づいてしまった。

 いつものハインは“仮面”をかぶっていたのだ。仮面を剥がした今の姿が……ハイン・クレディオの本性。

 その笑みを見て、あたしは怖くなった。


「うそ……スーを、殺したの……?」

「殺してなどいませんよ。……この手で殺したかったですが。思ったより逃げ足が速く、逃がしてしまったよう・・です」


 逃がしてしまった――その言葉を聞いて、あたしはいくらか安心する。スーはああ見えて強いバスターだ。そんなに簡単に死ぬなんて思えない。

 それよりも、気になったことがある。あたしはハインをキッと見た。


「人づてに聞いたような言い方ね。どういうこと?」


 ハインはにやりと笑った。


「仲間に追わせていたからですよ。……使えない者たちですが」

「仲間……?」


 あたしは気を失う前の状況を思い出して、ハッとした。


「――帝国貴族?」

「おっしゃる通りです、姫」

「ハイン……いったい何をたくらんでいるの? さっき、“計画”って言ったわよね」

「“計画”、ですか。ククク……」


 ハインは左腕を前につき出した。手のひらに乗っているのは、紅い球体だった。一見ガイストーンにも見えるが、どこか禍々まがまがしい雰囲気を放っている。


「――ガイムどもよ! 姿を見せろ!」


 ハインが叫ぶと、紅い球体が光輝いた。


「「「――GAOOOOOO!!!」」」

「――っ!?」


 ドドド……と地面が揺れ、ガイムの群れが姿を現した。360度、ガイムがあたしの周りを取り囲んでいる。

 ガイムの咆哮と姿を前にして、冷静でいられるはずがない。手錠を外そうと、あたしはジャラジャラと手を動かした。

 しかし、外れない。あたしは恐怖でぺたんと座り込んでしまった。

 そこで異変に気づく。――ガイムは取り囲むばかりで、あたしたちを襲ってこない。


「そうだ。手を出すなよ、ガイムども」


 ガイムの群れは「GURURU……」と唸りながら、ハインへこうべを垂れた。


「ど、どういうこと……? ガイムを従えてる……?」


 あたしの驚愕を見てとって、ハインは気をよくしたように笑みを深めた。ハインは手のひらの球体を、これ見よがしにちらりと見て。


「――〈賢者の石〉。地下迷宮ラビリンスの奥深く、古代人の遺跡において発掘された遺物オーパーツ。これには、ガイムを意のままに操るという効果がある」

「なんですって……?」


 地下迷宮ラビリンスでは、現代の技術力では解明できない代物が発見されることがある。――それが、遺物オーパーツ。多くは古代人のものとされる遺跡から見つかる。古代人は高度な文明をもっていたが、一夜にして地下迷宮ラビリンスに沈み、滅んだとされている。


「この〈賢者の石〉は、言うならば――“進化”する遺物オーパーツ。元は操れる数にも限度があったのですが、今では数百、いや数千というガイムを操ることができるのですよ」

「す、数千……! それに、“進化”、ですって……?」

「ええ、そうです。……姫。どうやってこの〈賢者の石〉を“進化”させたか、知りたくはありませんか?」


 あたしは無意識に首を振った。聞いてはいけないことのような気がしたのだ。ハインはククク……と喉を鳴らした。


「――人間の命を吸収させたのです。しかるべき処置にて人間の肉体と魂魄こんぱくを取り込ませることで、この〈賢者の石〉は成長してきた。今までに喰らった人の命は、千にも及ぶでしょうか。ククク……」


 〈賢者の石〉が、ハインの言葉に反応するように光を放つ。ドクンドクンと心臓のように揺らめき、あやしくうごめいた。

 その石が千人もの命を吸っているという事実。それが容易に信じられるほどの不気味さだった。


「な、なんてことを――! ゆ、許されないことだわ! 皇国でそんな非道なことが行われていたなんて……!」

「……皇国? 姫、あなたは勘違いしていらっしゃるようだ。そもそも、私は元より皇国に忠誠を誓ってなどいない。今こうして姫を捕らえたのも――すべては帝国のため。……ククク、予定・・までまだ時間はある。ゆっくり聞かせて差し上げましょう。

 実験はすべて帝国で行われたのです。帝国奴隷――亜人どもから始まり、犯罪者、貧民街の住人、はたまた政争によって没落した帝国貴族……実に様々な者たちが生け贄に捧げられましたが……その過程で、あることが判明したのです。――〈賢者の石〉にとって、人の命は等価ではない。吸収させる人間によって、進化の度合いが異なったのです。そして、実験を進めるうちに、ある一つの事実が明らかになりました。

 ――賢者の石は〈古代人〉の血をほっしている。〈古代人〉の血を得ることで、この石は、より遥かな高みへと昇華するのだ、と。……姫。〈古代人〉と聞いて、思い当たる節があるのでは?」


 あたしはごくりと唾を飲み込んだ。


「……ブリュンヒルデ皇国は、〈古代人〉の生き残りが興した国だと言われているわ」


 これは、一般人には知らされていない言い伝えだ。皇室で脈々と語り継がれてきたものであり、これを知るのは皇国でも一部の者に限られる。けれど、〈白騎士〉の称号を与えられたハインなら、知っていてもおかしくはない。


「その通り。あなたは言わば、〈古代人〉の直系の子孫だ。……賢者の石が最も欲する血。あなたの血肉を捧げれば、賢者の石は突然変異体ミュータントでさえも操る力を得るだろう! クハハハッ!」


 突然変異体ミュータントを操る――それはすなわち、地上世界において人為的な〈波〉を引き起こすことが可能である、と同義だ。そんな力を、ひとつの国家――帝国が手にしてしまったらどうなるのか。――世界は間違いなく混沌と化す。

 ガイムの群れの真ん中で、ハインは高笑いする。

 目の前の男が、今まで一緒にいたハインと同一人物だと信じたくなかった。口は悪いし頭は固かったけど、私に誠実に仕える騎士だと思っていたのに……!


「姫、あなたを生け贄とする計画は、何年も前から進められていたのだ。姫がバスターを志し、学園都市フロンティアへいくことを決めた時から……!」

「そんな……昔から?」


 あたしがバスターになることを決意したのは、十歳になったとき。つまり、今から五年も前だ。


「皇国内で皇族の命を奪うのは難しい。皇国から離れる必要があったのだ。姫が学園都市に来ることになったのは、実に都合が良かったのですよ。立てられた計画は――迷宮祭にて混乱を引き起こし、姫を一人にすること。

 賢者の石はガイムを操るだけでなく、一部のガイム=クランクの制御を狂わすほどにまで進化している。〈帰還石〉や〈クラフトカメラ〉を使用不可とし、ガイムどもを帝国貴族たちに従わせ、暴れさせる。ククク……彼らには帝国暗部特製の興奮剤を飲ませてある。理性を失ったあの者たちは、今ごろ各階で大暴れしているだろう。その上、強力なガイムを低階層まで転移させれば、学園の生徒などひとたまりもない。ガイムの群れをうまく誘導することで、教官どもは孤立しているはずだ。助けもないまま、生徒たちはガイムに喰われていってるのだろうなぁ! ――クハハ! 計画通り! あとは姫、あなたを生け贄に捧げるだけだ!」


 饒舌となったハインから聞かされるのは、衝撃の事実。あたしの脳に、気を失う前の惨劇がフラッシュバックする。あの光景が、今や迷宮のいたるところで繰り広げられているというのだ。人の死を、いったいなんだと思っているのか……!

 ――しかし、その事実よりもあたしを震わせたのは。


「ハイン……あたしを、殺すの?」


 目の前の男は、あたしを本気で殺す気だ。そのことが何よりも恐ろしかった。


「……私も本気で姫を殺したいわけではないのですよ。正直に申し上げれば、姫と学園へ同行することが決まり、そして行動を共にするうちに、私はあなたを殺さなければいけないことに……葛藤したのです。何も、姫を殺す必要はないのではないか……と。皇族はあなただけではないのだから。計画を失敗させ、次は姫以外の皇族を生け贄にすれば良いのだ……と、そう考えるようになりました」

「じゃあ、どうしてあたしを殺――かはっ」


 頬にものすごい衝撃を受け、あたしは体を岩山に打ち付けた。口のなかに、血の味が広がった。

 ハインが拳を振り抜いていた。怒りの形相で肩を震わせている。


「“どうして”、だと……? ふざけるなっ! それは、姫が一番よくわかっているはずだ!」

「な……なに、を……」

「あの男だ……すべてはあの男が元凶なのだ! ――オズ・リトヘンデが!」

「……オズ?」


 その名前を聞いて、あたしの胸は締め付けられる。ダンスパーティーの日から、オズとは一度も話していない。


「あの男と出会った時から、姫は変わってしまわれた……! あの男の姿があれば目で追い、あの男と話せば笑い、あまつさえ、あの男のために涙まで流す! 一度でも、私にあのような笑顔を向けたことがあったか!? あなたを救おうとしているのは、この私なのに……! ――姫、この私を裏切ったのは、あなただ!」

「そんな――くふっ! や、やめて……ハイン……!」


 ハインはまた拳を振りぬいた。一発、二発、三発……ハインは容赦なくあたしを殴りつけた。拘束されているあたしはなすがまま。やがてハインの表情は、怒りから愉悦へと変わっていた。

 あたしの髪の毛を掴んで顔を上げさせ、狂気の笑みを浮かべたハインは言う。


「姫。あなたも死にたくはないでしょう? あなたを助けることができるのは私だけだ。……あの男を忘れ、この私のモノになると誓うのなら、あなたを助けてあげましょう。ククク……」


 何度も殴られて沸騰するように熱くなったあたしの頭は、いくらか恐怖を打ち消してくれた。オズのことを忘れる……? そんなこと、できっこない。――答えはただひとつ。


「……死んでもイヤ」


 あたしはそう言って、血の混じった唾を吐きかけてやった。


「――ふ、ふざけるなぁァ!!」


 ぶすり。


 ハインのGブレードがあたしのGスーツを破壊し、そして肩を貫いていた。


「ぐうううぅぅ――!!」

「そこまで言うのなら、望みどおり殺してくれる! 姫を私の手で殺し、あの男から解放するのだァ!」


 ハインはぐりぐりとGブレードを押し付けた。血がぶしゅぶしゅと飛び散る。あたしはたまらず絶叫を上げた。


「助けてよ……! オズ……っ!」

「この期に及んで、まだその名を……ッ! そもそも、あの男が来るはずがない! お忘れか!? 姫自身が、あの男を拒絶したではないかッ!」

「あ……」


 あたしは思い出した。つまらない嫉妬で、ダンスパーティーの夜にオズを拒絶したのはあたしだ。その後も、オズはあたしに話しかけようとしてくれたけど、あたしはそれを無視してきたんだ。どうしてあたしは応えなかったんだろう……。こんなことになってから後悔するなんて……あたしはバカだ。

 涙を流すあたしを見て、ハインは狂ったように笑った。


「ハハハハ! 最高だ! 今この女を泣かせているのは……ほかでもない、この私なのだ! クハハハハハハハハ――――ァッ!?」


 ハインは驚いたように飛び退いた。黒の輝線が地面をえぐる。


「き……貴様ァ……!!」


 聞こえたのは、ハインが吐き出した怨嗟えんさの声。

 あたしを守るように立った人影の、背中が目に映った。その背中は思っていたよりも大きく感じられた。


「エリカに……汚い手で触れるんじゃねぇッ!!」


 オズだ。あたしを助けに来てくれたんだ。――あたしの胸は、歓喜に震えた。

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