第三十六話 迷宮祭:その五
ハインを見て、あたしはいくらかホッとした。
「ハイン、無事だったのね。……いったいなにが起こったのかしら。……スーはどうしたの?」
混乱した頭を落ち着かせるように、あたしは尋ねた。
「あの
「……え?」
あたしは耳を疑った。そこで初めて、あたしはハインが暗い笑みを浮かべていることに気がついた。
「薄汚れた亜人が姫の側にいるなど、前々から我慢がならなかったのです。少々、“計画”が外れて取り逃がしてしまいましたが……。
ハインは心底残念そうに天を仰いだ。
「な、なにを言っているの……?」
あたしの声が震える。
スーは
その仲間を……
“計画”って……なに?
……ハインの言っていることが、理解できない。
「――ハイン! バカなことを言うのはよしなさい!」
あたしが身動きすると、後ろ手に縛られた手錠がじゃらじゃらと鳴る。
「ちょっと! つっ立ってないでこの鎖を外しなさいよ!」
「……なぜ外さなければならないのです? せっかく、私が付けて差し上げたというのに」
「――えっ」
あたしは固まった。
砂を含んだ風がびゅうと吹き抜けた。
ハインは今までに見たことのない笑みを浮かべていた。歪んだ笑みは狂気を帯びている。
――気づいてしまった。
いつものハインは“仮面”をかぶっていたのだ。仮面を剥がした今の姿が……ハイン・クレディオの本性。
その笑みを見て、あたしは怖くなった。
「うそ……スーを、殺したの……?」
「殺してなどいませんよ。……この手で殺したかったですが。思ったより逃げ足が速く、逃がしてしまった
逃がしてしまった――その言葉を聞いて、あたしはいくらか安心する。スーはああ見えて強いバスターだ。そんなに簡単に死ぬなんて思えない。
それよりも、気になったことがある。あたしはハインをキッと見た。
「人づてに聞いたような言い方ね。どういうこと?」
ハインはにやりと笑った。
「仲間に追わせていたからですよ。……使えない者たちですが」
「仲間……?」
あたしは気を失う前の状況を思い出して、ハッとした。
「――帝国貴族?」
「おっしゃる通りです、姫」
「ハイン……いったい何をたくらんでいるの? さっき、“計画”って言ったわよね」
「“計画”、ですか。ククク……」
ハインは左腕を前につき出した。手のひらに乗っているのは、紅い球体だった。一見ガイストーンにも見えるが、どこか
「――ガイムどもよ! 姿を見せろ!」
ハインが叫ぶと、紅い球体が光輝いた。
「「「――GAOOOOOO!!!」」」
「――っ!?」
ドドド……と地面が揺れ、ガイムの群れが姿を現した。360度、ガイムがあたしの周りを取り囲んでいる。
ガイムの咆哮と姿を前にして、冷静でいられるはずがない。手錠を外そうと、あたしはジャラジャラと手を動かした。
しかし、外れない。あたしは恐怖でぺたんと座り込んでしまった。
そこで異変に気づく。――ガイムは取り囲むばかりで、あたしたちを襲ってこない。
「そうだ。手を出すなよ、ガイムども」
ガイムの群れは「GURURU……」と唸りながら、ハインへ
「ど、どういうこと……? ガイムを従えてる……?」
あたしの驚愕を見てとって、ハインは気をよくしたように笑みを深めた。ハインは手のひらの球体を、これ見よがしにちらりと見て。
「――〈賢者の石〉。
「なんですって……?」
「この〈賢者の石〉は、言うならば――“進化”する
「す、数千……! それに、“進化”、ですって……?」
「ええ、そうです。……姫。どうやってこの〈賢者の石〉を“進化”させたか、知りたくはありませんか?」
あたしは無意識に首を振った。聞いてはいけないことのような気がしたのだ。ハインはククク……と喉を鳴らした。
「――人間の命を吸収させたのです。しかるべき処置にて人間の肉体と
〈賢者の石〉が、ハインの言葉に反応するように光を放つ。ドクンドクンと心臓のように揺らめき、あやしく
その石が千人もの命を吸っているという事実。それが容易に信じられるほどの不気味さだった。
「な、なんてことを――! ゆ、許されないことだわ! 皇国でそんな非道なことが行われていたなんて……!」
「……皇国? 姫、あなたは勘違いしていらっしゃるようだ。そもそも、私は元より皇国に忠誠を誓ってなどいない。今こうして姫を捕らえたのも――すべては帝国のため。……ククク、
実験はすべて帝国で行われたのです。帝国奴隷――亜人どもから始まり、犯罪者、貧民街の住人、はたまた政争によって没落した帝国貴族……実に様々な者たちが生け贄に捧げられましたが……その過程で、あることが判明したのです。――〈賢者の石〉にとって、人の命は等価ではない。吸収させる人間によって、進化の度合いが異なったのです。そして、実験を進めるうちに、ある一つの事実が明らかになりました。
――賢者の石は〈古代人〉の血を
あたしはごくりと唾を飲み込んだ。
「……ブリュンヒルデ皇国は、〈古代人〉の生き残りが興した国だと言われているわ」
これは、一般人には知らされていない言い伝えだ。皇室で脈々と語り継がれてきたものであり、これを知るのは皇国でも一部の者に限られる。けれど、〈白騎士〉の称号を与えられたハインなら、知っていてもおかしくはない。
「その通り。あなたは言わば、〈古代人〉の直系の子孫だ。……賢者の石が最も欲する血。あなたの血肉を捧げれば、賢者の石は
ガイムの群れの真ん中で、ハインは高笑いする。
目の前の男が、今まで一緒にいたハインと同一人物だと信じたくなかった。口は悪いし頭は固かったけど、私に誠実に仕える騎士だと思っていたのに……!
「姫、あなたを生け贄とする計画は、何年も前から進められていたのだ。姫がバスターを志し、学園都市フロンティアへいくことを決めた時から……!」
「そんな……昔から?」
あたしがバスターになることを決意したのは、十歳になったとき。つまり、今から五年も前だ。
「皇国内で皇族の命を奪うのは難しい。皇国から離れる必要があったのだ。姫が学園都市に来ることになったのは、実に都合が良かったのですよ。立てられた計画は――迷宮祭にて混乱を引き起こし、姫を一人にすること。
賢者の石はガイムを操るだけでなく、一部のガイム=クランクの制御を狂わすほどにまで進化している。〈帰還石〉や〈クラフトカメラ〉を使用不可とし、ガイムどもを帝国貴族たちに従わせ、暴れさせる。ククク……彼らには帝国暗部特製の興奮剤を飲ませてある。理性を失ったあの者たちは、今ごろ各階で大暴れしているだろう。その上、強力なガイムを低階層まで転移させれば、学園の生徒などひとたまりもない。ガイムの群れをうまく誘導することで、教官どもは孤立しているはずだ。助けもないまま、生徒たちはガイムに喰われていってるのだろうなぁ! ――クハハ! 計画通り! あとは姫、あなたを生け贄に捧げるだけだ!」
饒舌となったハインから聞かされるのは、衝撃の事実。あたしの脳に、気を失う前の惨劇がフラッシュバックする。あの光景が、今や迷宮のいたるところで繰り広げられているというのだ。人の死を、いったいなんだと思っているのか……!
――しかし、その事実よりもあたしを震わせたのは。
「ハイン……あたしを、殺すの?」
目の前の男は、あたしを本気で殺す気だ。そのことが何よりも恐ろしかった。
「……私も本気で姫を殺したいわけではないのですよ。正直に申し上げれば、姫と学園へ同行することが決まり、そして行動を共にするうちに、私はあなたを殺さなければいけないことに……葛藤したのです。何も、姫を殺す必要はないのではないか……と。皇族はあなただけではないのだから。計画を失敗させ、次は姫以外の皇族を生け贄にすれば良いのだ……と、そう考えるようになりました」
「じゃあ、どうしてあたしを殺――かはっ」
頬にものすごい衝撃を受け、あたしは体を岩山に打ち付けた。口のなかに、血の味が広がった。
ハインが拳を振り抜いていた。怒りの形相で肩を震わせている。
「“どうして”、だと……? ふざけるなっ! それは、姫が一番よくわかっているはずだ!」
「な……なに、を……」
「あの男だ……すべてはあの男が元凶なのだ! ――オズ・リトヘンデが!」
「……オズ?」
その名前を聞いて、あたしの胸は締め付けられる。ダンスパーティーの日から、オズとは一度も話していない。
「あの男と出会った時から、姫は変わってしまわれた……! あの男の姿があれば目で追い、あの男と話せば笑い、あまつさえ、あの男のために涙まで流す! 一度でも、私にあのような笑顔を向けたことがあったか!? あなたを救おうとしているのは、この私なのに……! ――姫、この私を裏切ったのは、あなただ!」
「そんな――くふっ! や、やめて……ハイン……!」
ハインはまた拳を振りぬいた。一発、二発、三発……ハインは容赦なくあたしを殴りつけた。拘束されているあたしはなすがまま。やがてハインの表情は、怒りから愉悦へと変わっていた。
あたしの髪の毛を掴んで顔を上げさせ、狂気の笑みを浮かべたハインは言う。
「姫。あなたも死にたくはないでしょう? あなたを助けることができるのは私だけだ。……あの男を忘れ、この私のモノになると誓うのなら、あなたを助けてあげましょう。ククク……」
何度も殴られて沸騰するように熱くなったあたしの頭は、いくらか恐怖を打ち消してくれた。オズのことを忘れる……? そんなこと、できっこない。――答えはただひとつ。
「……死んでもイヤ」
あたしはそう言って、血の混じった唾を吐きかけてやった。
「――ふ、ふざけるなぁァ!!」
ぶすり。
ハインのGブレードがあたしのGスーツを破壊し、そして肩を貫いていた。
「ぐうううぅぅ――!!」
「そこまで言うのなら、望みどおり殺してくれる! 姫を私の手で殺し、あの男から解放するのだァ!」
ハインはぐりぐりとGブレードを押し付けた。血がぶしゅぶしゅと飛び散る。あたしはたまらず絶叫を上げた。
「助けてよ……! オズ……っ!」
「この期に及んで、まだその名を……ッ! そもそも、あの男が来るはずがない! お忘れか!? 姫自身が、あの男を拒絶したではないかッ!」
「あ……」
あたしは思い出した。つまらない嫉妬で、ダンスパーティーの夜にオズを拒絶したのはあたしだ。その後も、オズはあたしに話しかけようとしてくれたけど、あたしはそれを無視してきたんだ。どうしてあたしは応えなかったんだろう……。こんなことになってから後悔するなんて……あたしはバカだ。
涙を流すあたしを見て、ハインは狂ったように笑った。
「ハハハハ! 最高だ! 今この女を泣かせているのは……ほかでもない、この私なのだ! クハハハハハハハハ――――ァッ!?」
ハインは驚いたように飛び退いた。黒の輝線が地面をえぐる。
「き……貴様ァ……!!」
聞こえたのは、ハインが吐き出した
あたしを守るように立った人影の、背中が目に映った。その背中は思っていたよりも大きく感じられた。
「エリカに……汚い手で触れるんじゃねぇッ!!」
オズだ。あたしを助けに来てくれたんだ。――あたしの胸は、歓喜に震えた。
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