第三十四話 迷宮祭:その三

 〈エリア15:密林地帯〉にて。


 ――ドゴオオォン!


 爆音とともに、生い茂った木々が吹き飛んでいく。


「ヒャハハハァッ! 逃げても無断だぜぇっ! シエルゥゥ!!」


 破壊を生み出したのは、帝国貴族会のトップにして風紀委員長――ライナー・ツァールマンだった。数人の手下を引き連れて、破壊された大地を駆ける。


「ふぅ……本当、しつこい男ね」

「会長! のんきにため息なんて吐いてる場合じゃないですよっ!」

「ため息じゃないわ。いつも言ってるでしょう、これは低血圧な私のクセよ。……ふぅ」


 ライナーたちから逃げているのは、生徒会長シエルと副会長フィリップの一団だった。生徒会と風紀委員は犬猿の仲と言えるほど、深い因縁がある。生徒会の面々からすれば、風紀委員から逃げるなど屈辱以外の何物でもないのだが、そうしなければならない理由があった。


「「「GYAOOOOO!!!」」」


 おびただしいほどのガイムの群れである。シエルたちに襲いかかってくるガイムどもだが、なぜかライナーたちを襲う様子はない。立ち止まってしまえば、ライナーたちとガイムどもの双方から攻撃を受けることになってしまう。ゆえに、シエルたちは逃げに徹していた。ガイムの群れはたしかに脅威的だが、シエルたちの腕なら足止めされるということはない。突然変異体ミュータントと遭遇していないのが唯一の救いだ。


「《エスト・ヒンメル・ウルドーラ! 疾風破シップウバァ!》」


 ライナーの放った輝術オーラが炸裂する。狙いは正確でないため、シエルたちに直撃するわけではない。しかし、その余波だけでも人を軽々と吹き飛ばす威力がある。闘技祭ではシエルに敗れたものの、準優勝しているライナーである。在校生二位の実力は本物だ。

 ライナーはおそらく、あぶり出しをしているのだ。背後からの輝術オーラによる攻撃に加え、ガイムの群れを操ることによって、シエルたちの行く先を誘導している。

 ――ガイムを操るなど、到底信じられることではないが、状況を見ればそれは明らかだ。


「ふぅ……《サタナ・シ・グヴェリアス。闇霧やみぎり》」


 シエルの詠唱により闇のベールが生み出され、彼女たちを覆い隠す。闇の濃霧はその範囲を広げ、逃走者たちの姿を見失わせた。

 シエルは珍しい闇属性輝術オーラの使い手である。オズとは違い、シエルの輝術オーラは相手を惑わせる性質が強かった。ライナーたちとガイムの追走から逃げきれているのも、彼女の輝術オーラがあるからこそである。


「――クソがァ! 隠れんじゃねぇよシエルゥゥ! 出てこいやァ!!」


 ライナーの怒声を背に、闇の中をシエルたちは駆ける。


「会長、いくら走っても巡回の教官どころか、クラフトカメラさえ見つかりませんよ!」


 シエルたちもただ逃げているわけではなかった。時間稼ぎをすることで、救援が来ることを待っていたのだ。


「ふぅ……やっぱり、逃げ回っていても意味がなさそうね。〈帰還石〉はいまだに使えないのでしょう?」

「ええ。さっき残っていた一個を割ってみましたが、やはり何も起こりませんでした」


 フィリップは顔をしかめた。帰還石が使えないことはとっくにわかっていた。フィリップが引き連れるチームは二年生である。精鋭とは言えども、彼らにとってエリア15はギリギリ探索できるか、といったところだった。そこに今回の襲撃である。すでに、肉体的にも精神的にも限界を迎えているチームメイトがいた。帰還石が使えるのなら、とっくに使っている。


「そうね。このままじゃ体力を消耗するだけだわ。ふぅ……こちらの方から打って出ましょう」

「了解です! ――聞いたかお前たち! 気合い入れろッ!」

「「「おうっ!!!」」」


 フィリップの発破に、男臭いかけ声が返ってくる。決闘クラブ部長でもあるフィリップは、自分のチームを決闘クラブの部員で固めていたのである。


「ふぅ、暑苦しいわ……」


 そう言いつつ、シエルは苦笑した。彼女に付き従うチームメイト――三年生の生徒会役員たち――も同じ面持ちである。

 シエルたちは闇の中を駆ける。『闇霧』の使用者であるシエルは、闇の中を正確に見通すことができる。ライナーだけでなく、ガイムでさえもあざむく闇。気づかれずに帝国貴族の一団へ接近すると、彼女たちは横合いから飛び出した。


「《メルド・アトス・サターニア。混乱の黒刃くろやいば》」


 シエルの闇属性輝術オーラが炸裂する。放たれた複数の刃には、「斬りつけた対象を一時的に混乱させる」という強力な効果があった。攻撃を身に受けた帝国貴族は混乱状態におちいった。ある者は平衡感覚を失って倒れ、ある者は敵と味方の区別がつかなくなり、味方へと襲いかかった。

 シエルの作り出したスキを、彼女の仲間たちは突く。フィリップを筆頭に、接近戦に強い決闘クラブ部員たちが猛攻をしかける。


「シエルゥ……やっと戦う気になったようだなァ?」


 ライナーが凶悪な笑みを浮かべ、シエルの前に立ちふさがった。ハァハァと荒い息を吐く彼は、相当興奮しているようだ。スモークのかかった眼鏡の向こうには、ほかの帝国貴族たちと同じく、真っ赤に充血した目があるに違いなかった。


「ふぅ……はやいところ、あなたたちを倒して帰るわ」

「ハッ、言うじゃねぇか。……イイコトを教えてやろう。仮にオレ様を倒すことができたとしてもなぁ、そう簡単に地下迷宮ラビリンスから出られることはできねぇよ!」

「……どういうことかしら?」


 シエルが眉をひそめると、ライナーは歪んだ笑みをさらに深めた。


「ガイムの大量発生が起こってるのは、このエリアだけじゃねぇのさ! 低階層帯でもオレ様の手下たちが暴れ回ってるハズだからなァ!」


 シエルは目を伏せた。ライナーから知らされた事はあらかじめ想像できたことではあったが、あらためて聞くとショックが大きい。今まさに学園の生徒たちが危機におちいっているのだ。すでに命を落とした生徒もいることだろう。生徒会長として胸が締めつけられる思いだった。


「冬期休暇の事件も、あなたの仕業なのかしら?」

「さあなァ? ご想像におまかせってとこだ」


 冗談じゃない。あのとき、シエルにとって大切な部員二人が命を落とすところだった。

 そして、それは今も同じこと。


「シエルゥ……よくもオレ様のことをコケにしてくれたなぁ? せっかく高貴なオレ様が付き合ってやるって言ったのによぉ!」


 シエルがライナーに想いを告げられたのは、入学してすぐのころだった。そのときから、ライナーは横暴で、傲慢だった。自国でいくら身分が高かろうが、どうしてそんな男を好きになるのか。告白を断ったときから、ライナーは逆恨みのように突っかかってくるようになった。それが今までずっと続いてきたのだ。シエルにとってはいい迷惑である。


「オレ様の言うことを聞けねぇんならよォ、殺す・・しかねぇよなぁ?」

「なんですって……?」


 シエルの目が細くなる。


「だからよォ! オレ様の気持ちにこたえられねぇんなら、せめてオレ様の手で殺してやるって言ったんだ! 邪魔するヤツら共々なァ! ――行けッ、ガイムども!!」

「「「GUOOOOON!!!」」」


 ガイムがいっせいに飛びかかってくる。ライナー自身もそれに続いた。

 危険を肌で感じつつも、シエルは不敵に笑った。


「こんなにイライラするのも久しぶりだわ……。あなた、私の実験台・・・になりなさい」

「あァ!?」


 シエルは腰のバッグから、ひとつのガイム=クランクを取り出した。カチリとボタンを押すと、ウィーンウィーン……と瞬時に変型・分裂し、それらはシエルの周囲を飛び交った。虫のような外見のそれらはするどい針を備え、腹のあたりには円柱型のタンクのようなものが付いていた。

 シエルが作り出した試作型ガイム=クランク――〈スズメバチ〉。危険すぎて試用することさえためらわれた一品であった。


「ねえ、高密度のマナを注入すると、どうなるか知ってる?」


 シエルはガイムに試したことがある。そのときは実に様々なことが起こった。

 あるガイムは内側から弾け飛んだ。ガイストーンも残さないほどに。

 あるガイムは強化・・された。大きさ、力、速度――すべてが上昇し、突然変異体ミュータントに匹敵するまでになった個体もいた。その反面、強化されたガイムは共食い・・・をはじめたのだ。

 この状況でガイム同士が共食いを始めてくれれば、“多対一”の構図を崩すことができる。……強化されたガイムが暴れまわる、ということに目をつむれば。


 だが、シエルが真に試したいのはこれではない。

 この場にいる敵はガイムだけではないのだ。

 普段はできない倫理観を無視した実験も、今のこの状況ならできるのではないか?

 シエルは時と場合によっては、非情になれる女だった。

 なら……


人間に・・・注入したら、どうなるのかしらね……?」


 シエルは静かに問うた。

 無数の〈スズメバチ〉が、ライナーとガイムを迎え撃つ――!

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