第二十七話 迷宮訓練:その二

 まばゆい光がユーリの姿をかき消した。

 自分を包み込む光から逃れようと、オズは大きく体を動かした。四肢に力を入れ、思いきり飛び退く。


 ――バチバチバチィッ!


 瞬間、オズの全身が光に引き裂かれていく。強烈な痛みにオズはうめいた。


「うぐううぅッ! ……ユーリィィ!!」


 このまま戻ってはならない。戻れば残されたユーリは……。オズは転移石にあらがうように叫んだ。

 光が薄まっていく。オズは激しく体を地に打ち付けた。平衡感覚が戻ってくる。目を開けると、そこは地下迷宮ラビリンスの入り口……ではなかった。

 ――森だ。

 〈エリア5:森林地帯〉に間違いない。だが、自分が転移石を割った場所ではない。オズは辺りを見回した。この場所には見覚えがある。元いた場所からそう離れてはいないはずだ。

 短距離を転移したのか……? 転移石がこんな挙動を起こすなんて、聞いたことがない。何があろうと、発動した転移石は記憶したポイントへと使用者を送ってくれるはずなのだ。だが、今回ばかりは入り口まで戻されなくて助かった。

 そもそも、転移石が発動しないというのも不可解な話だ。ほかのメンバーは大丈夫だろうか。ゴンもいなくなっている。

 ……だが、今助けなければならないのは、ユーリだ。まさに今、イレギュラーなガイムの群れに襲われている。


「ぐうぅ……ッ!」


 立ち上がろうとしたが、オズは膝をついた。Gスーツがズタズタに引き裂かれている。全身から血が流れ出ていた。転移石に抵抗した反動だろうか……?


「……今いくぞ。待ってろユーリ……ッ!」


 こんな痛みなど、どうということはない。ユーリを助けるべく、オズは駆け出した。




 * * *




 ユーリ・デイ。

 帝国の下級貴族、デイ家に生まれたの名だ。頬に浮かぶ逆三角形の紋様は、彼女が〈シャマ族〉の血を引き継いでいる証にほかならない。

 人族至上主義を掲げる帝国において、異種族に家督権が継承されることはほとんどない。ましてや女である。彼女が家督権を継ぐなど、ありえない話だった。

 ――だが、デイ家は下級貴族だった。子宝に恵まれず、妾であるシャマ族の女から産まれたユーリだけが、唯一の子だった。通常、男児が生まれない場合は他家の三男、四男坊を養子として迎え入れるのだが、デイ家は他家との繋がりが薄かった。当主は苦肉の策として、ユーリを男と偽ることにした。シャマ族の母親のことも隠蔽し、頬に浮かぶ紋様は“先祖返り”であるとし、あくまでユーリは人族の子であるとした。

 下級貴族であるデイ家が成り上がるには、力が必要だった。母親を幼い頃に亡くしたユーリは、父親から厳しく育てられた。デイ家は遥か昔、“剣”で武功を立てたことが認められ、貴族となった一族であった。だが、ユーリは剣の才能がなかった。女であるため、男と渡り合えるほどの力もなかった。風の輝術オーラには非凡とも言える才能があったが、剣を重要視する父親がユーリを認めることはなかった。剣の腕が伸びないユーリを、いつしか父親は見限るようになっていった。そして、正妻である第一婦人からは煙たがられた。――自分が弱いから、彼らを失望させてしまうのだ。ユーリはいつも、自分を責めた。

 第一婦人から弟が産まれたのは、ユーリが三度目のバスター認定試験を受験する直前だった。父親から呼び出されたユーリは、家督権をその弟へ譲ると聞かされた。そして、もう男の振りをしなくてもいいとも。父親から向けられる視線には、もう何の色も宿っていなかった。――期待も、失望も、家族の情も。




「「「GUOOOOOO!!!」」」


 ユーリへとガイムの群れが襲いかかってくる。周りにはだれもいない――おれだけだ。

 恐怖に足がすくむ。弱いおれが、こんなにたくさんのガイムに勝てるわけがない。死の気配が、おれの体を侵食していくのがわかった。口の中がかさつき、声を出すこともできない。


「GUOOOOOOOOONN!」

「……あ、が」


 ――一瞬だった。ハウンドに振るわれた爪の一撃が、おれの体を引き裂いた。ぶしゅうぅぅ……と血が噴き出る。

 二撃目。ハウンドに突撃され、おれは吹き飛ぶ。視界がぐるぐると回る。

 三撃目。さらに体を引き裂かれた。もう痛みは感じない。引き裂かれたところが生ぬるく感じるだけだ。

 ハウンドが大きく口を開けた。

 ――ああ、おれ、食われるのか。

 おれの脳裏に浮かんだのは、最後に会ったときのお父さんの姿だった。無色の視線だけが空虚に思い起こされる。けっきょく、お父さんはおれを認めてくれなかった。おれなんか、生きる価値のない人間なんだ……


「GUOOOOOOOOOOO!」


 ハウンドの大きなあごは、目の前にまで迫っていた。訪れる“死”を認識して、おれの脳は新たなイメージを見せた。お父さんをかき消すように、ひとりの少年の姿が浮かんでくる。深い紫眼が特徴的な少年が、ニッとこちらに笑いかける。その笑顔を見た瞬間、おれの視界に色が戻った。


「オズ……? ――い、いやだ! 死にたくない! 《ウルド・エルニール! 風球!》」


 ――ドゴオォン!

 おれの輝術オーラがハウンドの口内で吹き荒れる。ハウンドが吹き飛ぶのと同様、おれも反動で地を転がった。至近距離の爆発で自分にもダメージが入った。口から血を吐く。ガイムどもの咆哮がおれの耳を震わせた。死にたくない一心で、おれは輝術オーラをがむしゃらに放った。


 どれだけ時間が経ったのかわからない。十秒かもしれないし、一時間かもしれない。ただただ輝術オーラを四方八方に放っていた。接近されたハウンドに、いくらか攻撃をもらった気がする。おれの体はもうボロボロだった。――そして、もうマナが底をつこうとしていた。最後の力を振り絞って、おれはマナをかき集める。


「《エスト・ヒンメル・ディ・オーサ! 吹き抜けたる風よ、我が魂の元に荒れ狂え!》」


 今のおれが使える、最高威力の輝術オーラだ。

 嵐が吹き荒れる。その衝撃に、ハウンドどもの装甲にヒビが入ったのが見えた。――だが、それだけだ。その輝きは失われていない。

 マナが足りなかった。そして、おれの技術も。

 もう動けなかった。地面にどさりと倒れこむ。びしゃっ、と水の音がした。地面を濡らすのは、おれの血だった。


「オズ……たす、けて……」






「――ユーリィィィ!!」


 ……オズの……声、だ。




 * * *




 間一髪だった。ユーリへ今まさに食いかからんと迫るハウンドを、思いきり叩き斬る。ぱらぱらと散っていくハウンド。二体目、三体目とオズはハウンドを吹き飛ばすが、数が尋常ではないくらいに増えている。ユーリを守りながらここ・・で戦うのは無理だ。オズ自身も体の負傷が大きすぎる。オズはユーリを抱え上げた。ぼたぼたと垂れる血に、オズの背中が冷える。バルダの死を思い出したオズは、必死に頭を振った。


「う、あ……オズ……」

「ユーリ、今からおまえを安全な場所・・・・・へ運んでいく! 少しの間、辛抱してくれ……ッ!」


 Gシューズを使い、ガイムの群れの頭上を跳んでいく。

 オズが目指すのは――〈聖域サンクチュアリ〉。地下迷宮ラビリンスには、ガイムが侵入できない区域がまれに出現する。それが、〈聖域サンクチュアリ〉。ユーリを助けに走る過程で、オズはそれを奇跡的に発見していた。

 オズは走った。

 やがて、金色の光の筋が円状に立ち昇る場所を発見した。――聖域サンクチュアリだ。


「よかった! まだ消えてなかった!」


 地下迷宮ラビリンスは時間が経つと地形が変動する。聖域サンクチュアリも、いつもそこにあるわけではないのだ。オズは聖域サンクチュアリへ飛び込む。


「「「GUOOOOON……!」」」


 追ってきたハウンドどもが苛立たしげにうなった。オズたちの姿を目に入れながら、聖域サンクチュアリの周りを徘徊する。――聖域サンクチュアリは、中にいる者の姿までを隠してはくれない。


「ユーリ。しっかりしろ……!」

「う……うぅ……」


 オズは腰に取り付けた救急用具を引き抜いた。緊急時のために、Gスーツには動きを阻害しないほどの大きさの救急用具が取り付けられている。だが、あるのは血止めの薬くらいだ。一時しのぎにしかならない。普段なら〈クラフト=カメラ〉や巡回中の教官などがいるはずなのだが、姿が一向に見えない。オズは焦燥に息が荒くなる。

 ユーリを地に横たえ、傷を確認する。一番ひどいのは恐らく胸部だ。Gスーツもろとも引き裂かれ、そこから血が流れ出ている。血止めの薬を塗るため、オズは胸の引き裂かれた部分からGスーツを脱がしていく。


「――?」


 ユーリの胸に白い布――血にまみれて赤くなっているが――が巻かれていた。……サラシ? 一瞬手を止めるオズだったが、今は一時を争う。帝国での男用の下着かと合点して、サラシを引き裂いた。


「なっ!?」


 飛び散る血とともに姿を現したのは、男にはあるはずのないもの。揺れる巨大な双球を目にして、オズの思考はフリーズしかけた。


「オ、オズ……見ない、で……!」

「ユーリ……お、おまえ……」

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