第十五話 薬湯屋 えにし

 大規模調査から数日。あれから城壁の防備が強化されたが、ガイムが襲ってくることもなく街は平穏である。オズは訓練の日々に戻っていた。

 そんなある日。


「お風呂に入りたい」


 オズは限界だった。もう一ヶ月以上、風呂に入っていなかった。

 この国に入浴の文化はない。体の汚れは〈浄化の輝術オーラ〉で落とすのだ。これは水属性の輝術オーラで、一般人でも扱える。水属性が使えないオズは、いつもセナかルークにかけてもらっていた。だから、風呂に入らなくてもオズは清潔である。

 しかし、日本からやってきたオズにとって風呂は生活の一部なのだ。風呂のない生活などもう耐えられなかった。


「オズくん、最近いつも言ってるね」


 セナが苦笑を浮かべる。その額にはうっすらと汗がにじんでいた。場所はバスタージムの訓練室。オズたち三人は、壁に寄りかかって休憩をとっていたところだ。

 最近はセナとも模擬戦をしている。セナが相手ならオズは勝つことができた。輝術オーラが得意な反面、彼女は剣を使った近接戦闘は苦手なようだ。

 一方、ルークからはいまだ勝ちを拾えていなかった。つい今しがた、また負けたところだ。戦闘狂との模擬戦を終えたあとは、とにかく汗をかく。だからなおさら風呂が恋しくなるのだ。


「お風呂に入りたい」


 オズは再度つぶやいた。ルークはあごに手をやると。


「もしかして、オズは東方諸国の出身なのかな?」


 オズとセナは顔を見合わせた。異世界出身であることを打ち明けたのはセナだけだ。


「東方諸国?」

「たしか、そこにはお風呂に入る文化があったはずだよ。まぁ、ここからは遠いけどね」

「へえー、そんなところがあるのか。行ってみたいな」


 遠いということはそう簡単に行ける場所ではない。この世界では街から街へ移動するのも大変なのだ。街々を繋ぐ〈ライン〉も絶対に安全とは限らない。

 するとセナが思い出したように。


「あれ? そういえば、この街にも東方諸国のお風呂屋さんがあったような……」

「――え!? マジで!?」


 オズはセナに詰め寄った。もし本当にあるのなら、今すぐ行かなければならない。


「う、うん。東方諸国って聞いて思い出したんだけど……」

「――ああ! 思い出した! 薬屋さんと一緒になってるところだ!」


 ルークが手をぽんと叩いた。


「薬屋さんと一緒って、どういうことだ?」

「東方諸国の薬を売ってるお店があるんだよ。〈東方薬〉っていうんだけど、輝術オーラでも治せない病気によく効くらしいんだ。でね、そこは風呂屋もかねていて、病気の治療のために入浴することができるんだってさ。といっても、病人だけじゃなくて健康な人でも入れるはずだけどね」

「なるほど。湯につかって体を癒すのか。――よし、行こう。今すぐ行こう」


 オズは立ち上がった。


「うん、じゃあいこっか! たまにはゆっくりするのもいいかもね。ルーク、場所はわかる?」

「大丈夫、バッチリさ」


 かくして、オズは風呂屋へ向かうことになった。



 * * *



「ここが……」


 目の前にはひときわ存在感を放つ建物があった。――薬湯屋〈えにし〉。東方諸国独特の、薬屋と湯屋が調和した商館である。ガイストーン製の建造物が軒を連ねる中、この店だけは木造だった。様式は和風に近く、東洋的な雰囲気が漂っている。


「私、よくここに来るんですよ」


 ジムの受付嬢、ミオがオズへ笑いかけた。風呂屋に行くという話をしたところ、「私も行きます!」とついてきたのだ。


「俺もこの店には世話になってるな。湯につかると肩こりに効くんだ」


 バルダもこの場へ来ていた。どうせなら、とオズが誘ったのである。ちょうど花屋も店じまいの時間で、バルダもよろこんでついてきた。

 ちなみに、バルダとミオは知り合いらしかった。最近になって気づいたのだが、バルダは顔が広いようである。


「もう待ちきれない。二人とも、行くぞ!」


 オズはバルダとルークを引っ張った。“男湯”と書かれた暖簾のれんを目指して。



 * * *



「ふぁー、いい湯だ……」


 肩まで湯につかり、オズは恍惚とした。湯けむりが視界に充満し、流れ込む湯の水音が心地よく響く。

 室内はなかなか広かった。湯の種類も豊富で、それぞれ特定の症状に対して効能があるようだ。今オズが入っている湯は筋肉痛に効くらしい。模擬戦で疲れた体を癒すのにはちょうどいい湯である。


「オズはお風呂が好きなんだねえ」


 隣でルークが笑った。黒縁メガネをはずした彼はいつもより幼く見える。


「最高だ。毎日入りたいくらい」

「毎日かぁ。そういえば、“英雄”カムロ・カイドウも風呂好きで有名だったらしいね。毎日入ってたっていう話だよ」

「へぇー。あの〈ゾーン〉を作った伝説のバスターも風呂が好きだったのか。たしかこの国の出身だったよな?」

「そうそう。この国に薬湯屋みたいな入浴施設が増えたのも、カムロ・カイドウの影響かもね」

「なら感謝しないとな。ゾーンで今も人々を守ってる上に、風呂の文化まで広めてくれたんだから」


 オズの言葉に、ルークは苦笑を浮かべた。


「感謝かぁ……。ボクはね、オズにはとっても感謝してるんだ」

「ん? 俺なんかしたっけ」


 突然のことでオズは驚いた。ルークに感謝されるようなことをしただろうか。


「あぁ、もしかしてセナを助けたことか?」

「もちろんそれもあるけど、ボクが言ってるのはべつのことさ。オズが来てから、姉さんは変わったんだ」

「変わった? どういう風に」

「笑うようになったんだ。オズに出会うまでは、いつも仏頂面だった」

「――仏頂面? うそだろ?」


 セナといえばよく笑っているイメージしかない。オズはセナの笑顔が好きだった。


「ボクもそうだけどね、バスター予備生なんてやってると友だちをつくるヒマがないのさ。笑わなかったというより、笑い合う相手がいなかったのかもね。まあ、オズは友だちとは違うと思うけど」

「え、友だちとは違うってどういうことだよ?」


 おそるおそる聞き返すオズ。セナに友だちと思われていないのはけっこうショックだ。


「ふふ、友だち以上ってことさ……わかるだろう?」

「なるほど、つまり……」

「うんうん」


 ルークが期待したように目を輝かせた。


「――親友とか? そう思ってくれてるなら嬉しいな。いや、自分で言うのも恥ずかしいけど……」

「…………」

「な、なんだよ急に固まって。変なこと言ったか?」

「いや、うん。いいんじゃないかな、それで」

「どういうことだよ。ちゃんと言ってくれないとわからないぞ!」

「さーて、そろそろ違う湯も試したいなあ。あっちに“水風呂”っていうのがあってさ、おもしろそうだから行ってくるよ!」

「お、おい――」


 ルークはざばぁと立ち上がり、逃げるように浴槽から出ていく。納得いかないものを感じながら、オズはぶくぶくと顔を沈めた。


「――お、こんなところにいたのか」


 見上げると、バルダが同じ湯に入ってきたところだった。鍛え上げられた筋肉質な体がオズの目に入る。


「バルダってムキムキだな。花屋の体じゃないってそれ」

「はは。そうだろ? 今でも鍛えてるからな」

「今でも?」

「……ん、まぁ、いつも鍛えてるってことだ。それより調子はどうだ? もうそろそろ認定試験だろ?」

「うーん……全力はつくしてるけど、正直どうなるかわかんないな。セナが言うには、俺には闇属性の適性があるからそれで加点をもらえるかもしれないってさ」

「そうか。闇属性の輝術オーラが使えるバスターは、かなり貴重だからな」

「へぇ……バルダって、けっこう詳しいんだな」

「――い、いや、これくらいは一般常識じゃないか?」


 バルダの額をたらりと汗がつたった。手ぬぐいをぱたぱたと顔に当てるバルダ。

 オズは感心した。いい汗かいてるな、と。


「そうなのか。……でも最近よく考えるんだ。セナとルークが受かって、俺だけ落ちたらどうしようって」


 考えたくはなかったが、ありえることだ。


「まあ、今はとにかくがんばるしかないな。がんばった分だけ結果は返ってくる。努力は報われるもんだ」

「そうか……そうだよな。俺、がんばるよ」


 オズはうなずいた。バルダの言葉が、湯の温かさとともに胸の中に染み込んでくる。


「わーい、おふろおふろー!」

「おいこら、走っちゃだめだぞ!」


 どこからともなく、そんな声が聞こえてきた。家族づれの利用客らしい。走る男の子に、父親であろう男が声をかけている。オズは思わず、親子二人をじっと見つめた。


「どうした?」

「え、いや……家族ってどんなだろうなって思って。俺、家族のことを覚えてないからさ」


 打ち明けづらい言葉のはずなのに、どうしてか、口からするりと漏れ出した。不思議なことだが、バルダを前にすると自分の気持ちを素直に打ち明けることができた。


「……なんなら、俺のことを家族だって思ってくれていいんだぜ?」

「え?」


 オズが目を丸くすると、バルダおもしろそうに笑った。


「なに驚いてんだ、俺からしてみれば、オズはもう家族みたいなもんだ。一緒に住んでるんだし、気にかからない方がおかしいだろ? まあ、なんつーか、俺も独り身だしな。空いた懐をもてあましてる俺が、オズの親代わりになってやるのもやぶさかじゃねぇな」


 最後の方になると、照れくさそうに頬をかくバルダ。オズもなんとはなしに気恥ずかしく感じてしまう。


「バルダが親父おやじかよ……。俺、酒飲みの父親なんてほしくないぞ」

「おいおい、酒飲みとは心外だな。たしかによく飲んでるかもしれないが、仕事にはなんの支障もきたしてないぞ」


 バルダは苦笑いして、オズの肩を小突いた。


「――ま、家族とか抜きにしてよ、万が一試験がダメだったり、バスターになるのがいやになったりしたら、いつでもうちに帰ってこい」


 バルダはオズの頭に手をのせ、ぐりぐりと撫でた。心地いい熱を感じるのは湯のせいではない。きっと、バルダの手が温かいからだ。恥ずかしくなったオズはそっぽを向き、立ち上がった。


「――ふぅ、そろそろここは出ようかな」

「そうだな。あんまり長く入ってるとのぼせちまう」

「なに言ってんだよバルダ。違う湯に入りに行くんだよ」

「――え、まだ入るのか?」

「ああ。ついでだから付き合ってくれよ。次は腰痛に効く“モモン湯”ってやつに入りたい」

「そ、そうか……まあ、少しくらいならいいぞ」


 結局、オズはそれから二時間以上も湯を堪能した。バルダは律儀にもオズに付き合ったが、湯屋を出ると顔が赤くなっていた。

 ルークは水風呂で泳いでいたらしく、従業員に注意を受けていた。

 ほくほく顔のミオは、オズと同じように長々と風呂につかっていたようで。


「オズ君、気が合いますね〜。今度は一緒に入りましょう!」


 オズは思わず、ミオの肢体に目がいってしまう。一緒に入る……わけないよな。言葉の綾だよな?

 一方、セナは見るからに落ち込んだ様子だった。ルークいわく、ミオのナイスバディに打ちのめされたらしい。セナをちらと見て、気にすることはないのにとオズは思った。セナは、ミオとは違ったタイプでスタイルがいいのだ。

 バルダが胸元をぱたぱた揺らしながら。


「風呂上がりは酒が飲みたくなるなあ」

「いいですね! オズ君、今夜は私もご一緒していいですか?」


 なぜか身を寄せてくるミオ。大人の色気を感じてオズは慌てた。そもそも、どうして自分に聞いてくるのか。


「べ、べつにいいと思いますけど……」


 気恥ずかしさから、口ごもるオズであった。


「はあ……わたしも飲もうかな……」

「めずらしい。姉さんが酒を飲むなんて」


 日が暮れたボスト・シティの街並みを、オズは歩く。

 慌ただしくも平和な日常が、そこにはあった。

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